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バレエの本 A マイヤ・プリセツカヤ*B マーゴ・フォンテーン

バレエの本

A マイヤ・プリセツカヤ自伝『闘う白鳥』
 
 ただバレリーナの自伝というだけでなく20世紀後半、冷戦という政治史のなかで芸術はどのように生き抜いたか、という現場で第一線で活動してきたひとの貴重な証言集である。さまざまな読み方が可能だが、本書はソルジェニーツィンの厖大な労作と比べてもいささかも見劣りしない。ノーベル賞作家の「収容所列島」が労作というなら、マイヤの自伝はクレムリンの膝元から定点観測された熱情あふれる力作だ。そして、ともに生命を賭して活動してきたひとの言葉には熱がある。
 
 ロシア革命、そしてソ連邦の樹立によって世界は比喩的にいうのだが大きく二分された。そして、冷戦という“戦時下”で無数の人々の命は無残に失われ、若者の夢は砕かれ、才能は冷凍されたまま砕かれた。
 マイヤの父も密告という名の根拠のない告発を受けて流刑・処刑された政治犯であった。マイヤ自身、政治犯の娘として僻遠の地に家族ごと流刑されている。マイヤがはじめて踊ったのも、そんな僻遠の地であった。

 日本語版にしてA5判2段組約450ページに凝縮された自身の生きざまはロシア人的感性の迸りのように密度濃いもので、そこのは多くの歴史上の人物も証言者として登場する。むろん、バレエのことボリショイのこと、バレリーナの本としての内容は玄人筋の要請に応えつつ、しかし、私(マイヤ)が見て、体験してきたことは20世紀の真実として後世に伝えていく義務があるという切実な思いが先行している。
白鳥

 スターリン時代のこと、そのスターリンとの対話、スターリンをとりまく野卑な文化官僚との闘い。ボリショイ劇場のプリンシパルとして、その「瀕死の白鳥」が世界中に喧伝され、海外から幾多の招聘を受けながら、クレムリンはマイヤにビザを出すことはなかった。厳密にいえば東欧諸国への公演はあった。しかし、パリでロンドンで、ニューヨークで踊ることはできなかった。クレムリンはボリショイのスターが亡命することを恐れたからだ。
 海外からの要請、ボリショイでの黙殺、治安当局の監視、スターでありながら給与はいつまで据え置かれる政治犯の娘。優れたバレリーナが舞台を奪われ、あるいは何時の間か姿を消すことを見てきたマイヤ。そうしたことも生活感覚のなかから解かれている。
 やがて、亡命の恐れがないとされて海外公演が許される。それは彼女が作曲家と結婚したことによって、夫が「人質」となることを
受け入れたからでもある。
 海外での賞賛の日々、栄光のキャリアが積み上げられる。しかし、海外公演のギャラはことごとく当局に搾り取られる。ボリショイのプリンシパルとのプライドを守るための衣裳、歓迎の祝宴でゲストに招かれるマイヤだが、そのイブニング・ドレスはなけなしの金をはたいてつくった自前。そういう“些事”も細かく報告され、ソ連時代のモスクワの市民生活の貴重な証言ともなっている。
 そんな時代の挿話のひとつにピエール・カルダンが登場する。彼は無償でマイヤのドレスをつくり、新作バレエの衣裳もマイヤの要請を受けて無償でデザインしていたことなども本書で知る。しかも、ボリショイはポスターやプログラムに衣裳・デザインの担当者としてカルダンの名を出すのを禁止する。パリのカルダンはマイヤのステージが第一義として自分は影の存在でよいと退く。カルダンは不当な当局の措置を批判もしない。沈黙を守る。自分が 批判することによってマイヤが政治的に脅かされることを知っているからだ。
 そうした挿話にみちている。
 『ロメオとジュリエット』『シンデレラ』『石の花』などのバレエ音楽をかいたプロコフィエフとの親交から、この大作曲家から成り上がりの文化官僚に幾たびも侮辱される場面に遭遇している。芸術の価値を知らない役人たちはプロコフィエフすらシベリア送りにすることは容易であった。現に舞台芸術の分野からメイエルホリドというロシア演劇の至宝が粛清されていた。

 ソ連から亡命したヌレイフ、バリシニコフのことにも触れいる。マイヤしか語れない彼らとのパリやニューヨークでの邂逅。その場面は悲痛なドラマだ。ヌレイフの亡命によって家族のひとりは確か流刑されている。しかし、その不当をヌレイフはパリでさえ公言することができなかった。安全な地で活動する自分の発言がソ連に残っている(=囚われている親族)の生命を脅かすからだ。マイヤとの対面、しかし、なにも話すことはできない。話せば、マイヤが帰国して当局に問い詰めらる。正義感の強いマイヤはウソをつけないだろう。なら、沈黙を守らなければいけない。バリシニコフも亡命後、数年、まったくソ連に関することに口を閉ざした。

 ロシア革命。解放された民衆より、貧窮のなかで口を閉ざした民衆のほうがはるかに多かった。自由は封殺され、芸術は主義への僕(しもべ)となった。優れた芸術家の多くは亡命した。たとえソ連に残された妻、両親、子、孫、兄弟姉妹たちがシベリアに流刑されてしまうことあっても亡命を選んだひとたち。革命前にロシアの外にあった芸術家の多くは帰国しなかった。その象徴的な例がディアギレフ創設の「バレエ・リュス」のメンバーたちだろう。彼が世界中に散った。そして、各地でロシア・バレエの伝統を根付かせた。ロシア革命最大の成果のひとつは紛れもなくロシア・バレエの種が亡命者たちによって世界中に蒔かれたことだろう。日本もまたそうだった。日本人が書いた満州時代の思い出、回想録といった本が戦後、無数に出版されたが、そのなかで時折り、ロシアから亡命した音楽家たち、バレエ教師のことが書かれていたりする。日本における「バレエの母」といわれるエリアナ・パヴロワも鎌倉にバレエ教室を創設した人だが、出自はサンクトペテルブルグの貴族の出である。後年、日本名「霧島エリ子」をなのったパブロワは南京で戦病死し、靖国神社に祀られている。
 
 マイヤの自伝は、1993年、ソ連崩壊後の混乱のモスクワ、外出禁止令が出ているボリショイ劇場のなかの記述で終わる。そこにマイヤは淡々と書き付ける。「五十年間の習慣どおりの手順で準備にとりかかる。化粧を済ませ、ヘアスタイルを整え、タイツとレオタード、靴、レッグウォーマーを着ける。次はウォーミングアップ。」
 ▽山下健二・訳。1996年・文藝春秋刊。

B マーゴ・フォンテーン自伝『愛と追憶の舞』
 マイヤとほぼ同時代に活躍したマーゴ・フォンテーン(1919~1991)の自伝だが、ふたつを併読すると非常な違和感を覚えてします。マイヤ(1925~2015)の自伝を並べると、マイヤの自伝は闘争の記であるとすれば、マーゴのは傍題そのものの「愛と追想」記である。鉄のカーテンの向こう側とこちら側の差というものが鮮やかに対比される。しかし、同時代であり、バレエの神のイタズラで時空を超えて繋がっている。
マーゴ
*写真はヌレエフと。

 マーゴがはじめてバレエと出会うのは戦中の上海、亡命ロシア人の舞踏家から手ほどきを受けたのが最初だ。そしてマーゴの引退が囁かれた1960年代、ロシアからヌレエフが亡命してくると、彼はマーゴをパートナーとして『ジゼル』を踊り、『眠れる森の美女』『ロメオとジュリエット』など10年ものあいだ競演することになる。マーゴからみるヌレエフは芸術家として妥協の許さない男だった。マイヤは海外公演でヌレエフと秘密裡に合うと、彼からソ連内の家族に連絡できないので、彼女が通信や、私設宅急便係りを勤めている。むろん、当局から禁止されていることだ。
 そのそばにマーゴもいるが、そういうことには気づいていないようだ。マーゴにとってみればヌレエフは、「いちじるしい幼児性的特徴は素直に『ごめんなさい』と謝れないこと、『おかげさまで、ありがとうございました』などと、当然の社交辞令が身についていないことだった」となる。しかし、政治亡命者であり、KGBから「足の骨を折り踊れなくさせてやる」と脅迫もあったといわれるヌレエフである、亡命の日々のなかで踊るために費やす以外にも極度の緊張を強いられていた時期におけるマーゴの観察は、彼女があまりにも「冷戦」の内実に無知だとしか思えない。上海時代にであったロシア人舞踏家、そして長じてロシア・バレエを修得するために訪れるパリで出会う幾多の亡命舞踏家たちの存在。バレエに関わるエピソードを語りながら、マーゴはいっこうに彼、彼女らの運命、亡命者としての悲哀といったことに思い至らす気配が希薄なのだ。
 自伝を文学観賞的視点、そして舞踏史という観点からみればマイヤの自伝のほうがはるかに優れている。しかし、舞踏芸術家の二人の力量はともに優れた開花の華やぎに彩られている。判定するものではない。それは観賞するがわの嗜好の問題である。舞踏家マーゴ、マイヤともに芳香たゆまぬ名花であった。
 マーゴの言葉、「そして、私は? 私自身、人生に何か目的をもたなくては、生きてゆけない。その目的のためになら、贅沢の一つや二つは、喜んで犠牲にすることはできる。幸い、とても順応性に富んでいるし、人の世が理屈どおりに仕組まれていないことも、これまでの人生で学んできた。」
 ▽湯河京子・訳。1983年・文化出版局刊。

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