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ニカラグアのサルスエロ、ルイス・エンリケが心情吐露

ニカラグアのサルスエロ、ルイス・エンリケが心情吐露
ルイス・エンリケ

 日本にも熱心なファンを獲得しているサルサ歌手ルイス・エンリケ。代表的なヒット曲は「Yo no sé mañana」。軟らかい自身の声質を知りつくし、自作するルイスをビジネス的に“サルサの王子”と言っている。
 現在、54歳。もう“王子”でもあるまい。体型も立派に中年男にふさわしく緩みはじめた。そんなルイスが4月、インターネットの国際的な配信網RTのスペイン語版で長時間のインタビューを受け、いままで見せなかった素顔をさらして話題となった。
 ニカラグア人である。ながいあいだプエルトリコを拠点にしてキャリアを積んできたルイスをニカラグア人と認識するファンは少ないだろう。
いや、ニカラグア出身とのクレジットはあった。しかし、その意味を探ったサルサ・ファンは少ない。
 本名ルイ ス・エンリケ・メヒア。その名を聞き、ニカラグア出身と聞けばラテン音楽の熱心なファンなら誰でも1970年代後半から90年代、ラテン音楽の“良心”として畏敬されたルイス・エンリケ・メヒア・ゴドイ、カルロス・メヒア兄弟を思い出すだろう。ラテン諸国が冷戦下、抑圧的な軍事独裁政権に覆われていた時代、社会正義の実現を目指し質の高い娯楽性も失わずに活動をつづけたニカラグアの象徴的な存在であった。サンディスタ革命闘争期には“ギターをもったゲリラ”といわれた。ルイスは、その兄弟のひとりフランシスコを父としてニカラグアに生まれた。
 「私が歌手として活動を本格化しはじめたのは80年代だが、当時のニ カラグアはメヒア・ゴドイたちの世界で、音楽界はまるで彼らの機関のようなものだった。私が目指す音楽の時代ではなかった。そこで私はプエルトリコでサルサ歌手として成功を目指した。メヒア・ゴドイたちを見返してやりたいとも思っていた」
 ニカラグア革命の英雄でもあった叔父たちからは、商業主義にそまった甥とでも軽んじられていたのかも知れない。
 1988年、ルイスはプエルトリコ入りする。1987年に発表したデビュー・アルバム『Amor de Medinoche』が注目された。全9曲中、7曲を自作で埋め作詞・作曲家としても認められた。しかし、まだささやかな成功でしかない。若いルイスはまんまんたる野心を抱いて88年、プエルトリコ入りする。
「サルサだけではやっていけなかったよ。時にはポップス歌手、さまざまな音楽をトランポリンしていた」
 実際、グロリア・エステファンの「ミ・ティエラ」、リッキー・マルティンのアルバムに参加している。しかし、そうした苦労の甲斐があって実力が認められ、以後、毎年のようにアルバムを発表し今日に至っている。ルイス、かつて“ギターをもったゲリラ”と賞賛されていたメヒア・ゴドイ兄弟を、愛の歌で超えたのかもしれない。歌のゲリラたちの声はもうニカラグア以外では聴けなくなった。時代はめぐりエンリケのサルサが首都マナグアの夜を彩る。
 サルサが傍流の国から出て成功したアーティストとしてパナマのルベン・ブラデス、コロンビアのグルーポ・ニチェ、ベネズエラのオスカル・デ・レオンらがいるが、いずれも苦労人ばかりだ。  


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