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署名アラカルト №10~11 野坂参三、宮本顕治

 野坂参三(1982~1993)
野坂
日本共産党の顔でありつづけた人だ。だから共産党本部は東京の選挙区を割り当て連続当選を死守してきた。そんな顔であった政治家を、1992年、野坂100歳になってから、政党としてもっとも重い処分、除名に処した。93年、101歳で死去した際も、参議院は在籍25年議員ということで弔詞を捧げようとしたが、それに共産党は反対したのだった。理由は、「ソ連のスパイ」であったからで、野坂自身も「残念ながら事実」と認めた。一説には、米国のスパイでもあったとも言われる。
 写真の署名は1984年、共産党名誉議長であった当時に書き下ろされた著書『北に南に』に記されたものだ。墨書に書きなれた筆で記されたもので、そこにいささかのわだかまりの気配もない。この時、野 坂はソ連が崩壊し、さまざまな公文書が公けにされ、自身の記録まで暴露されることになることなど露ほども思っていなかっただろう。そして、自らの高齢を思えば後はただ戦後政治におおきな痕跡を残した政治家として大往生するときを静穏に待っていればよいという日々であったろう。署名はそんな日の余禄のような些事であったろう。
 政治家は自分の痕跡を遺したいものらしいし、共産党もまた党への財政に寄与してくれるよう、一定部数、しかも無条件で購入しようという党員は少なくないはずで、堅実に部数が捌ける名誉議長の回顧録をもとめたりしただろう。101歳のコミニュストなんて、どうもピンと来ない。長命もけっして良いことばかりではない。けっきょく晩節を汚したことになってしまった。そして、恥じ入ったかどうかはしらないが多くのナゾを抱えたまま去った。
 
 スターリン時代のモスクワにあって、日本人コミュ ニストを売った。裏切った。それも自ら認めた。生き延びるために友を裏切った。そんなことも明らかになった。そうした自らだけが知ると思っていた歴史的事実を胸にだきつづけ、それも自ら、「かつて、そんなこともあったかもしれない」という靄がかかりはじめたころに書かれた署名だろう。そういう人間の闇の不可思議さを署名から汲みとめられないだろうか。署名の筆跡はいがいと若々しい気配がする。いわゆる老成といった枯淡の境地にはいたっていないところが生涯コミニュストであろうとした野坂の真骨頂かもしれない。

 宮本顕治(1908~2007)
 宮本
 野坂とともに昭和を駆け抜け、共産党のもうひとつの顔であった宮本顕治。その70代に著した著作におけるサインペンの署名もまた若い。
 文芸評論家として小林秀雄と同時代に文 壇に登場した宮本の出自が象徴されているような、原稿のマス目に似合いそうな字体である。これもキビキビと若い。宮本は野坂のように晩節を汚すことなく不破哲三時代の地ならしをしたといえる。 その不破の署名もまた政治家らしくない気配のするもので、ある意味ぞんざいなものだった。
 自民党の諸先生方は総じて達筆立派である。その立派さと業績が比例するわけではないが、墨痕鮮やかな署名が多い気がする。民主党の管直人という政治家の署名も首相になる前から、署名だけはそれは立派なものだった。それは権柄ずくという感じであんまり良い感じのするものではなかった。

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