スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ディカプリオのオスカー受賞を記念しての回顧批評 1 『ブラッド・ダイヤモンド』 

 レオナルド・ディカプリオがメキシコの名匠アレハンドロ・G・イニャリトゥのメガフォン『レヴェナント』でやっとオスカーの主演男優賞を獲得した。ということで彼の主演映画を少し見直してみた。
 blood3.jpg
2006年の主演映画『ブラッド・ダイヤモンド』(エドワード・ズウィック監督)。アフリカの貧しい白人入植農民の息子アーチャーで現在は傭兵崩れのダイヤモンドの密売人を演じて主演男優賞の候補になっている。主題は、先進国の宝飾メーカーがアフリカの小国の紛争を利用して不当に利ざやを稼ぎ、紛争は教育もまともに受けられない少年たちを兵士に仕立て上げ内戦を泥沼に導いている北の資本家たちへの糾弾ということになるだろう。必然、アクション・シーンが多くなるが、背景説明が〈現在〉の時点からの台詞だけの回顧となってしまって、その辺りの掘り下げは浅い。
 アフリカの土地にしがみつかなければ生きてはいけなかった貧しい白人植民者の息子という出自、その植民地が独立した際、その混乱のなかで父母が惨殺され南アフリカに逃げ、そこでアパルトヘイト下の軍隊でゲリラ戦のノーハウを仕込まれ、冷戦下のアンゴラで大義のない戦いに倦んだ。二重にも三重にも厭世観にとらわれている青年だ。ダイヤモンドの蜜売に手を染めるのは、それは命がけの商売という緊張感と、利益の多さだけだ。生きているから喰う、そんな生き方だ。しかし、その絶望の深さが演技にあらわれていなし、映画そのものも主張過多で散漫になっている。一兵士として強制徴用された少年と父(ジャイモン・フンスー)の挿話も本作のサイドテーマで、その話しを膨らましても一遍の物語となる。現にフンスーの演技も評価され受賞は逃したら助演男優賞にノミネートされた。しかし、父子との話だけになってしまうと社会派作品となってしまって娯楽性は希薄になり、アフリカの資源問題を広く知らしめる映画とはならない。ここにディカプリオという名の大きさがあり、彼が主演したことで娯楽性も獲得し、世界市場に出ることができた。
 大スターの公的存在理由は、そういう側面があるということだ。

 舞台となった西アフリカのシエラレオネの他に、台詞のなかで南アフリカ、アンゴラ、ローデシア、ジンバブエ、リベリアという国が語られている。W杯サッカー、ラクビー大会を開催した南アフリカを除けば、大半の日本人には見えない国だ。いま国名を掲げたが、この並べ方はおかしいとすぐ気づいた人は国際感覚に鋭敏といえるかも知 れない。ローデシアが英国より独立して黒人の主権国家となりジンバブエとなった。だから、ディカプリオ演じる青年は、その植民地ローデシアに入植した英国人の父母のもとに生まれた。だから、彼はローデシアと語る。彼とほのかな恋情を交わすことになる博愛主義者らしい女性ジャーナリスト(ジェニファー・コネリー)たちはジンバブエと語っている。
 しかし、製作のそうした意図は観る者に普遍的には伝わらないだろう。表題にしても、紛争の資金調達のため非合法的手段で取引きされている「紛争ダイヤモンド」の意味だが、これを日本人がわが事の問題として認知することもないだろう。
 現在、南スーダンで武力紛争がつづく地域は携帯電話などにつかわれるバッテリー用の希少金属の鉱床があることで悲惨な状況になっている。映画のなかで「(シエラレオネに)石油が出なくてよかった」と語る老人が登場する。現在の中東の紛争のおおきな要因もまた石油であってみれば、本来、埋蔵地をもつ国にとって掛け替えのない資源であるべきものが、ほとんど惨劇の温床となってしまっている。その矛盾をダイヤモンドに象徴化したのが本作である。

 本作にアントワープが登場するベルギーの都市だが、ここにダイヤモンドの 品質基準の設定、取引業者たちの倫理規定などを決める国際機関があるからだ。
 ベルギーの発展もまた現在のコンゴ民主共和国を中心としたアフリカの地から富を収奪したことにある。特にレオポルド2世治世下におけるコンゴに対する圧政はすさまじく、総人口の5分の1が消えたといわれる。「イスラム国」戦闘員によるテロによってベルギーの首都ブリュセルが多大な被害を受けた。同市がテロ実行犯の潜伏場所となり、被害を受けたとき、レオポルド2世時代まで遡って南から審判が下されているように思ったのは、筆者ばかりではないだろう。
 
 シエラレオネの貧しい農民たちが強制労働 で川底の小石を掬いダイヤモンドの原石を探し出す光景は、アマゾン流域で金を探すブラジルの貧しい労働者たちの姿にも重なる。
 世界は不正に満ちている、と指弾したところで何も変わらないが、先進国といわれる国に住むわれわれは朝のコーヒー一杯から不正に加担している。それを自覚するかどうかは個人の知力と想像力、あるいは倫理観だろう。でも、そのコーヒーを飲むことは止められない。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。