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バレエの本 C,D 日本におけるロシア人の貢献

C 白浜研一郎・著『七里ヶ浜パヴロワ館 ~日本に亡命したバレリーナ』
以前、「ロシア革命」なるものに国際的な貢献度というものがあるなら、その“美点”のひとつがロシア・バレエの精華を地球大に拡散したことだろう、と書いたことがある。むろん、「革命」の否定的な側面に対する逆説としてそういう言い方をしたのだが、結果としてロシア・バレエの優れた人材がただバレリーナだけでなく振付師、指導者、練習時のピアノ伴奏家にいたるまで多数、亡命したことによって、それぞれの漂着地にバレエの種を蒔き、根付かせ、花開かせることに貢献したことは事実である。日本もまたそうだった。
 大正から昭和の10年代期、エリアナ・パヴロバというロシア 人亡命バレリーナが活躍していた。彼女の墓碑銘には、「日本バレエの親」とある。本書は、このエリアナの活動を中心に、母ナタリア、妹ナデジタ、母娘三人の生涯を追った貴重な資料だ。類書がないため貴重な資料であることは間違いないが、一編の著作としてみれば二級品だ。しかし、これに頼るしかエリアナと母妹の軌跡を追えないということで手にするしかない。しかし、ナタリアたちの生涯を追って、本書を超えるものを書きたいと思う人は、バレエを知る人ほど手に染めないだろう。せいぜい日本バレエ史の一章としか扱うのがせいぜいだろう。
 ナタリアたちが日本で活動できたのも、日本にバレエが存在しなかった荒蕪地であったからで、指導者としての熱意に敬意を払ったとしても、芸としてのそれはどうみても三 級品であった。著者は、そのあたりの評価を賢明にも避けている。故に、本書を超えるパブロワ母娘の物語は連続テレビドラマには相応しいだろうが、批評家から一顧だにされないだろう。
 この著作を二級品と書いたのは無論、理由がある。そのひとつが著者がエリアナのバレエに対する批評をまともに行なっていないことだ。そして、パブロワ母娘が日本に渡来するまでの記述が、すこぶるあいまいであること。「革命」の混乱のなかで資料が散逸したことは理解できるが、著者自身がきわめて限られた俗流資料に頼って書き、しかも、「・・・と想像にかたくない」、「・・・どのよう な理由からだろう」、「・・・正確な事情はわからない」、「・・・だったと思われる」の頻出であって、著者自ら、私の著述を信じるなと言外に主張しているようなものだ。
 わたし自身、本書をだいぶ前に手にして読みはじめ、その著述のいい加減さにパブロワ母娘が日本の地を踏む前に本を閉じてしまった。今回、もうひとり、日本を第二の故郷としたロシア人バレエ指導者オリガ・サファイアとの関連で、あらためて手を出した次第だ。
 エリアナはコーカサスの小国グルジアの首都トリビシで1904年に生まれ、5年後、妹のナデジタはウクライナの首都キエフに生まれたということになっているが、これも証明されたわけではない。そして、ロシア貴族の末裔であるためソ 連下では生きられず亡命したということになっているが、これもどうよう確証があるわけではない。本書は1986年に書き下ろされている。ソ連最後の書記長となったゴルバチョフがペレストロイカを提唱した年となる。当時、ソ連内の旅はかなり自由になっていた。私自身、85年12月にひとり旅でグルジアを旅行している。その前年にはウクライナ国内も旅している。著者にグルジアに行けウクライナに行って取材せよ、とはいわないが著述ためまともな地図を机上に広げる手間すら怠っている。引用される地図はかなりいい加減。本書中、グルジアという国名はひとつも出てこない。もし、著者が豪語するように40年間、バレエを観てきた人なら、当時、ボリショイ・バレエのプリン パルとして活動を開始していたニーナ・アナニアシヴィリのことをしらぬはずはないだろう。トリビシ生まれ、モスクワに出てボリショイのプリンシパルになった才能だ。そしてソ連崩壊、退団、トリビシの国立バレエ団芸術監督就任し、ロシア=グルジア戦争を迎えた人だが、本書の著者のソ連=ロシア理解はリアルタイムでの視点が決定的に欠如している。
 しかし、日本で活動しはじめてからのパヴロワ母娘、とくにエリアナの活動への取材は途端に精緻になる。日本語資料が散逸することなく残っていたからだ。引用されている写真も他ではなかなか見られない貴重なものだ。そして、エリアナがいかに身分の不安定な亡命者として日本に根付くため、金銭的な理由も無論あったろう、旺盛な仕事ぶりは大変なもので あった。それはよく分かる。
 昭和6年には帰化し母娘は日本名に改名、日本人になる。エリアナは「霧島エリ子」。しかし、墓碑には「エリアナ・パブロワ」。帰化記念公演も開催。日本に積極的に同化、馴染もうと努力した思いが伝わってくる。著者も生前のエリアナを知る人たちへの取材を通して、当時のエリアナの心情をひも解こうとしているが文章上では切実に伝わってはこない。しかし、日本芸能人として中国戦線の日本人将兵を慰問するため出かけた訪問先でエリアナは病死した。享年37歳。そういう履歴のなかにロシア人亡命者のひとつの典型があるのだろう。
 エリアナの活動によって鎌倉・七里ヶ浜に建設されたバレエ学校兼住居は、彼女死 後、母と妹、そして彼女たちの支持者たちによって継承されてゆく。そこでレッスンに励んだ人たちのなかから戦後バレエ界の逸材が育ってゆく。

 ロシア革命によって各地に散ったロシアバレエ関係者はパリや米国に根付いた。当時のバレエ先進国にはやはり一流の人材が集まった。しかし、それほど実力のない人は日本とか南米諸国に生活の糧を求めた。パヴロワ母娘もまたそのような人であった。そういう技量の差をリアリズムで認めたうえでロシア人亡命者一家の物語を語った方が説得力があったはずだ。マイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」をすでに知る読者に、エリアナのそれを比較してよいものかどうかぐら、バレエを少し知るものなら誰でもわかるはずだ。 *昭和61 年11月初版・絶版。文園社刊。

D 佐藤俊子『沈黙のはばたき ~文学とバレエのあいだ』
 著者が顕彰しようとするバレリーナはロシア革命以後、日本人男性と結婚し、1935年に日本の国籍をとったオリガ・サファイア。しかし、評伝といった精緻なものでなく、せいぜいエッセイ的年譜といったところか。日本に来日後、すぐ日劇でバレエ教授として活動するかたわら自ら舞台に立ったロシア人バレリーナの記録である。これも類書がないので貴重な資料に違いないが、あまりにも紙幅は少なく意に満たない。パブロワ母娘との関連でいえば、この二書は互いに背を向けた気配があって、同時代の東京で活動した事実がありながら、白浜本ではまったくオリガは登場せず、佐藤本では批評としては取り上げられることなく記録として一度、記載されているだけだ。

 ここで取り上げた主旨とは違うが本書に価値があるとすれば後半の『ディアギレフのバレエ・リュッス』だろう。ディアギレフの死後間もなくフランスの音楽誌『ルヴュー・ミュージィカル』(1930年12月号)で特集されたバレエ・リュッス(ロシア・バレエ団)の創設者にして創造的プロデューサーであったディアギレフへの追悼論文集の訳出だろう。本書の主旨はおそらく佐藤俊子という人の自身の活動への自己評価というものだろう。本書が自費出版であることからも、それがうかがえる。まぁ、そのあたりは読み飛ばすとしても、長短6本の論文の訳出は見事なものだ。それまでの自身を記述した文章のゆるみは一切なく、ディアギレフ資料として価値ある仕事となっている。本書がほぼ自費出版の体裁であるために広く流布することはなかったため、本書中のディアギレフ資料が広くしられていないのは残念だと思う。 *1974年7月初版・絶版。新日本教育(札幌市)刊行。

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