スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

カリブ地域史におけるレゲェ、そしてボブ・マーリー №1「承前」

カリブ・ジャマイカ史におけるボブ・マーリーの生涯と音楽 №1

 カリブ海には「島」を表す言葉が二つある。
  *本稿は、数年前、『文藝』(河出書房新社)の特集号に掲載したものである。長文なので、些少、手を加えながら数回にわけて掲載する。


〈承前〉
 アイランド、そしてキーcaye。ヘミングウェイが自ら命を絶った猫屋敷は、フロリダ半島マイアミの南端から延びるハイウェイのどん詰まり、カリブ海に浮かぶキー・ウェスト・・・そのキーの形状は日本列島を取り巻く島嶼には存在しないものだ。サンゴの死骸が堆積して造られた標高がせいぜい二~四メートルの平たい陸塊。ハリケーンが飛来すれば、波が扇状にひろがって島を横切っていく。カリブ海には約七千の島があるといわれるが、小さなキーを含めれば万を超えるだろう。キーまで網羅した地図はいまだかつて作成されたことはないだろう。

 コロンブスの発見航海によってカリブの島が西欧諸国に知られるまで、アイランドとキーはタイノ 族を中心とする先住民の生活圏だった。ジャマイカという国名もタイノ族の言葉、「ザイマカ(森と水の国)」から来ているといわれる 。キューバはカリブでいちばん大きな島で、(海、または地域の)中心を意味する「クバナカン」というタイノ族の言葉に由来するといわれ、ハイチは「山ばかりの土地」を意味する。
 英国もスペイン、ポルトガル、フランスもオランダも先住民の言語を尊重しなかったが、カリブの新興国は絶滅した先住民の言葉(文化)を国名という最上級の名誉を与えて後世に遺贈したのだ。

 ジャマイカとハイチ、そしてドミニカ共和国などは西アフリカから“搬入”された奴隷を祖先とする人たちが圧倒的多数派だ。キューバもアフロ系市民は混血層を含めて多数派、この国のあらゆる文化に芳醇な鋭気を与えている。ハイチはフランス植民地軍と困難な戦い経て、史上初のアフロ系市民の共和国となった。その時、父祖の地・西アフリカのヨルバ系の言葉ではなく、絶滅した先住民の言葉を選び、そして戴 いたのだ。

 カリブ諸島の先住民文化はほとんど知られていない。西インド諸島を征服したスペイン人が書き残した資料はラス・カサス司教の記録を除けば、思いこみと偏見、さらに悪意に満ちている。
 「新世界」がスペイン、ポルトガルの蛮勇によって血なまぐさい侵略・征服の戦いがつづいている最中、先住民に寄り添い、その解放と人権擁護のために生涯を捧げ、ゆえにスペイン植民者と敵対することになるラス・カサス司教の膨大な著述にしても科学的実証性ということでは危うい。ただ、ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴにある博物館にはタイノ族が残した土器などが多数収蔵・展示されていて、虚飾のない質朴な生活のよすがは想像できる。

 今日、カリブ域内において先住民が島の主人公となっているのはパナマ共和国のサン・ブラス諸島の クナ族だけだ。総人口が約五万といわれる先住民で自治権を持ち、現在も先住民言語を公用語とし、民族的習俗を守っている。一九二五年、当時、中央政府の冷遇を受けていたクナ族が武装蜂起して、それこそ民族の存亡を賭けた闘争を展開、実力で自治権を勝ち取った。現在、外交・防衛権をのぞく諸権利をクナ族が把握する。外交にして、筆者自身が見聞した事実だが、サン・ブラス自治区には南の隣国コロンビアの港町カルタヘナあたりからやってくる小さな商船と独自に公益しており、自治区から出て自治区にもどる限りビザの必要もないようだ。筆者自身、商船の船員からカルタヘナ観光にいかないかと誘われたことがあった。まだ、麻薬王パブロ・エスコバルが君臨している時代であったし、椰子の実を買い付けにきているという話をそのまま鵜呑みにはできなかった。コロンビア産のコカインがサン・ブラス諸島から中米地峡、メキシコ、さらにジャマイカあたりにも運ばれていくルートがあるはずだから。

 ジャマイカのタイノ族がおだやかに生活していた頃、現在のメキシコ南部、グァテマラやベリーズといったマヤ文明圏とも交流があった。アンティール諸島には人とモノが流れる航路が存在していた。メキシコ・ユカタン半島のマヤ文明の遺物が遠くプエルトリコの島で発見されている。しかし、カリブの海に精通していた先住民の船乗りも、アンティール諸島の東にひろがる大西洋に漕ぎ出しはしなかった。
 250px-Reconstruction_of_Taino_village,_Cuba キューバに復元されたタイノ族の集落

 カリブの富は豊かだった。インカの金、メキシコの銀はなかったが、豊かな自然は人を飢えさせることはなかった。自給自足していた。あらたな 富を求めて外洋に乗り出す必然性はなかった。したがって、カリブの島づたいの目視航海だけで事足りていた。この地域に飢餓を教えたのは大西洋を越えてやってきたカトリック教徒たちだった。

 一四九二年、コロンブスによって見出されたカリブ諸島の先住民は、アメリカ地域における最初のグローバリズムの犠牲者となった。
 スペイン人植民者から仕掛けられた理不尽な戦い、その後の強制労働、そして西欧人が持ち込んだインフルエンザなど先住民に免疫のない感染症によって壊滅的な打撃を受けた。「新世界」と「旧世界」の出会いは圧倒的な武力と経済力の差による対立からはじまった。コロンブスによって世界が海路で結ばれ、人とモノの行き来がグローバル化する。しかし、それは矛盾に富んだ出会いからはじまった。その歴史的な 発火点がカリブ諸島であった。

 カリブ諸島最初の独立国はハイチだが、旧宗主国、「自由・平等・博愛」の三色旗のフランスは産ぶ声をあげたばかりの小さな島国に巨額の賠償金を課した。新興独立国の数年分の国家予算に相当するものだった。その債務が今日、ハイチを西半球最大の貧困国に落とし込んだ。これが先進国が途上国を武力ではなく経済で支配する新植民地主義のはじまりだ。カリブ海はかつても今もグローバリズムに切り裂かれ血が吹き出す海なのだ。

 ジャマイカがスペインのコンキスタドール(征服者)ファン・デ・エスキベルによって征服されたのは一五〇九年、それからわずか五〇年足らずで征服時、十万を数えたといわれる先住民はほぼ絶滅した。ジャマイカの植民当局は先住民を持 続的な労働力として使役することに見切りをつけ、一五一七年には最初の黒人奴隷を西アフリカから移入している。そこにボブ・マーリーの母方の祖先がいたかも知れない。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。