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カリブ地域史におけるレゲェ、そしてボブ・マーリー №3 「マーリーの血の覚醒」

カリブ・ジャマイカ史におけるボブ・マーリーの生涯と音楽 №3


 一九六二年、ボブ一七歳で遭遇する祖国ジャマイカの独立は、すでに歌で生きていこうと人生の目標を定めていた多感な少年を刺激する。しかし、最初から、たとえば独立した祖国の国づくりに役に立ちたい、社会参与したいという意思があったわけではない。それは後年のことだ。彼の名声と歌の実力がジャマイカ人として、独立以来の政治的騒擾に疲弊する母国の現状を批評し、和解を説くようになるには、まだ歳月を必要とした。

 ボブ・マーリーのレゲェが内に抱えるメッセージの強さは、レゲェそれ自体の特質ではない。マーリーが資質が獲得したものだ。しかし、カリブ音楽の伝統に即してみれば、違和感のないものだ。
 ニューヨークのヒスパニック社会の下層音楽だったサルサが、やがてパナマ生まれ のルベン・ブラデスによってカリブの歴史が歌い込まれたとき、サルサもまたカリブの伝統音楽としての社会性を獲得するのである。

 ボブ・マーリーは、自分の体内を流れる二つの血、支配者の英国人の血(父)と、被支配者のアフロ系の血(母)を意識することによって、思想性を獲得したといえるだろう。その血の混淆はグローバリズムの軋轢を象徴する。そして、ボブは母方の血にアイデンティティを求めた。それはアフリカ性を模索することであり、エチオピアのハイレ・セラシエ皇帝(当時)を“生き神”と崇めるラスタファリズムに帰依していくのは必然的な帰結であった。

 ジャマイカが英語圏であり、その公用語として英語を歌詞とするレゲェであったために、そこにカリブの伝統音楽としてのア フロ性より、英米ポップスの枠組のなかで語られることが多いが、それは一面的なみかたである。日本の旧来のレゲェ評はその文脈で語られきた。そして、その語り手に痛痒感はないようだ。

 米国の黒人奴隷は英語を強いられ、キューバの奴隷がスペイン語を強いられ、ハイチの砂糖黍畑で強制労働させられる桎梏の人間がフランス語を強いられたように、ジャマイカの奴隷たちにとっても、英語は強いられた言語である。いわば“用の具”としての言葉であった。しかし、その借り物の言葉をのせるリズムはアフロの魂なのだ。その意味でも英米ポップスの枠のなかに充足してレゲェを語るのはおかしい。

 支配階級と被支配階級の二つの血の親密な邂逅から生を受けたボブ・マーリーはジャマイカ独立の一九六二年、「ジャッジ・ノット」でデビューする。翌年にはウェリング・ウェイラーズ結成し、ウェイラーズの骨格をつくる。そのウェリング・ウェイラーズの初録音 が、「シマー・ダウン」。レゲェではなくスカのリズムで唱われた。それはキングストンのスラムを徘徊する怒れる青年たちのリズムであった。
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ボブはまだ尖っているだけの少年に過ぎなかったが、音の言霊は飛翔の時季をまっている。やがて、ラスタファリズムという触媒を得て、彼の音楽はソウル・レベルに押し上げられてゆく。それから後の彼の活動は、この本のなかで他の筆者が詳細に論述していくだろうから、筆者は別経路をたどることにしたい。

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