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カリブ地域史におけるレゲェ、そしてボブ・マーリー №4 「キューバにおけるレゲェ」

カリブ・ジャマイカ史におけるボブ・マーリーの生涯と音楽 №4

昨年(2012年)一〇月二二日、キューバの首都ハバナで、ボブ・マーリー没後三〇周年を記念するコンサートが行われた。
 ボブ・マーリーの業績がキューバで栄誉が与えられるのははじめてだ。この国で英語圏の歌手が顕彰された事例として筆者は米国の黒人歌手ナット・キング・コールしか知らない。例外というなら、十年ほど前にジョン・レノンの銅像がハバナ旧市街の一角に建てられているが、それぐらいなものだ。
 コンサートに先駆けて記念アルバムも制作された(ちなみにビートルズに関してキューバでもトリビュー・アルバムが制作されている)。ボブ・マーリーを顕彰するアルバムはロベルト・ガルシアという作曲家が「ノーウーマン・ノークライ」「コンクリート・ジャングル」「アイ・ショット・ ザ・シェリフ」などをソン、ルンバ、ヨルバ、チャチャチャなどキューバ・テイストで編曲して構成したものだ。キューバの音楽家は、ボブの歌を古典的なカリブの伝統音楽の形式に置き換えることによって、彼の汎カリブ性を明らかにしたのだ。

 冷戦時代末期、それはボブ・マーリーの最盛期であった。その時代、“ベルリンの壁”は世界中に現存していた。キューバでは、南の隣国でありながらレゲェはリアルタイムでは聴かれなかった。しかし、“壁”が消えた今日、レゲェを母胎とするレゲトンはニューヨークのヒスパニック社会とどうようにハバナの若者のあいだですっかり定着し、周辺国の旬なレゲトンもリアルタイムで聴かれ、自分たちも発信している。レゲトンはスペイン語圏におけるヒップホ ップといえるが、ラテンアメリカでは先住民社会の若者まで、アイディンティティの誇示、先住民権限の拡大を目指すメッセージ性を蓄えながら増殖している。それはボブのレゲェの直系であろう。

 このレゲトンの創始者のひとりといわれているのがパナマのアフロ系歌手エル・ヘネラルだが、彼の祖父母世代は、米国がパナマに運河を建設する際、ジャマイカを中心とする西インド諸島から大量に募られたアフロ系労働者であった。その移民労働者はそれぞれの故地の伝統音楽を内に抱えて運河建設の現場にやってきて寝起きをともにした。彼らは過酷な労働の合間、あるいは酒場の気晴らしで歌い踊っただろう。そうした歌がパナマにもともとあったアフロ系音楽としてのバジェナードやクンビアに融合して いった。そんな土壌を背景にエル・ヘネラルという才能が出てきた。

 キューバではジャマイカから旧宗主国のイギリスに出て、そこから世界制覇されたレゲェには冷ややかだった。もっともレゲェを導入しなくてもキューバには豊潤な音楽世界があったともいえるが、カリブの周辺国、たとえばハイチやドミニカ共和国、あるいはプエルトリコの音楽は積極的に取り込んできた歴史もあるし、革命前は、一衣帯水のフロリダ半島から米国ポップスをリアルタイムで消費してきた国である。
 革命後、映画『ブエナビスタ・ソシアルクラブ』’ヴィム・ヴぇンダース監督)で知られるように、キャバレーや盛り場の消費音楽としての大衆歌謡は冷遇され、革命時代の音楽としてヌエバ・カンシオン(新しい歌)の運動が起きた。ボリビアで死んだチェ・ゲバラを称える歌が 、その運動のなかで書かれた。
 ゲバラがニューヨークの国連総会で戦闘服姿で壇上に立ち、舌鋒鋭く新植民地主義、帝国主義を第三世界の立場から指弾した演説は一八六四年、ボブ・マーリーがジャマイカでスターとなった時期だ。しかし、レゲェではなくスカのリズムだ。
 その六四年、録音当時15歳(年齢には異説あり)だったジャマイカ人ミリー・スモールが英国ロンドンで吹き込んだ「マイ・ボーイ・ロリポップ」がスカと認識されることなくヒットした。スカによる最初のグローバルな成功作だ。日本でもかなり売れた。全世界での売り上げた700万枚を超えたといわれる。
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 この「マイ・ボーイ・ロルポップ」のヒットはその後のレゲェの歴史に大きく関わってゆく。何故なら、創設間もないアイランド・レコードの経営に安定をもたらし、ジャマイカのアーティストを積極的に活動の場を与え、1973年以降、遺作までボブー・マーリーのアルバムが制作・販売することになる。
 ジャマイカの若いミュージシャンたちはミリー・スモールの成功で、自分たちの音楽が世界に通用することを知り、英語の汎用性をも見直されたのだ。スカのリズムは「バナナ・ボート」のメントのように通用することを認識したのだ。

 レゲェにもビートルズにも距離をおいてきたキューバではあったが、チェ・ゲバラは中欧チェコの滞在先のホテルでビートルズのレコードを聴いている。
 アフリ カの反植民地闘争に加担するも、同地の“革命兵士”に幻滅し疲労したゲバラはキューバに帰還する前、プラハに数ヶ月滞在中、ビートルズのレコードに耳を傾けている。ビートルズの作品のなかにあって唯一、レゲェの影響を受けているといわれる「オブラディ、オブラダ」が録音される二年前の話で、ボブ・マーリーが「スタジオ・ワン」で精力的に録音を遺した年だ。時代の英雄たちは時空を超えて錯綜する。
 キューバがレゲェに理解を示しながらも一定の距離をおかざる得なかったのは、ボブ・マーリーに顕著に体現されるラスタファリズムの属性としてのドレッドヘアーや、ときにドラッグも使うことへの忌避感であっただろう。しかし、アフロ系宗教としてのラスタファリズムそのものへの忌避感は 少なかったはずだ。なぜなら革命政府はハイチのヴードゥー教の系譜につらなるサンテリアの信仰を黙認していたし、西アフリカを起源とするヨルバ系文化をキューバの多様性を誇るものと見なしていた。ラスタファリズムの根っこにあるアフリカ回帰願望は、出自をアフリカの地に求めることから生じるものだが、これはヴードゥー教、サンテリア、ブラジルのカンドブレなどアメリカ地域に暮らすアフロ系市民たちの民族信仰の心性に通底するものだ。 (つづく)

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