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バレエの本 E 『バリシニコフ 故国を離れて』

ゲナディ・スマコフ著『バリシニコフ 故国を離れて』(阿部容子・訳) 新書館版
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 ロシア・ソ連文化史、それはスラブ大地20世紀の政治史でもあるのだが、そこで大きな役割を担ったのがバレエであることは、これまでも繰り返し書いてきた。
 たとえばロシア語文学で3人のノーベル文学賞作家がこの間、誕生した。しかし、ストックフォルムの授賞式に臨めたのは1人だけだ。クレムリンが公認したのは受賞作家のうち大河小説『静かなるドン』の作家ショーロフ一人だけだった。しかし、今日、その読者はロシアにもほとんど存在しないだろう。いわんや日本ではある。かつては世界名作全集などに入っていたものだが、すでに絶版になって久しい。20世紀のロシア文学の国際的貢献度はパステルナークの受賞作『ドクトル・ジバコ』、ソルジェニーツィンの幾多の大長編を除けば、一時的に話題作を提供した作家を例外とすれば、帝政ロシア時代のあの豊穣な文学世界はいまなお再興していない。社会主義革命とやらが窒息させたことは衆知の通りだ。プロレタリアート独裁なんてことは露ほども実現することはなかった共産党独裁のなかで持続的に国際的な水準を維持していたのはバレエのみだ。そして、その舞踏芸術の世界から革命後も多くの才能が輩出した。それは革命前の状況と変わらない。しかし、その才能たちは等しく苦悩した。

 本書の主人公、キーロフ劇場のスターであったミハイル・バリシニコフは大戦後、ヌレエフに継いでロシアに誕生した男性舞踊家の筆頭だ。ヌレエフはパリで、バリシニコフは公演先のカナダで亡命した。
 バリシニコフがラトビア共和国の首都リガからレニングラード(現サンクトペテルブルグ)に出てきてキーロフの練習生時代から知る著者によって書かれた評伝である。本書の著者もまた米国へ亡命した人だ。芸術一般への関心の高い著者であるが、20世紀ロシア芸術の主要な要素としてバレエを置く立場からかかれたもので、バレエを鑑賞する識眼はまるで振付師かステージ監督のように精緻だ。

 本書には実に多くのことが語れている。まだ、30年ほどの時間しか肉体に刻んでいないバリシニコフの半生、その短い歳月のあいだになんと語ることの多い舞踏家であったかと今更ながらに思う。「亡命」というその人その一生を左右する岐路を超えた舞踏家を語るペンは綿密だ。なりより古典を完璧にマスターした上に個性的な創造精神の肥料を撒きつづけた若きバリシニコフを語ろうとするため、著者は振付師の視線を獲得している。そこで批評的に語られる一連の技術論、あるいはプティパ、フォーキン、バランシン、あるいはモーリス・ベジャールらバレエ史上に欠かすことのできない振付師の思想との比較のうえにバリシニコフを語る。このあたりの記述はかなり克明で、バレエにさしたる興味のない読者を遠ざけるだろう。本書の邦訳が、本来、大手出版社から出すべきだが、バレエ物を中心に出版活動する新書館から出たのは、そうした内容からだ。

 「亡命」の決意と決行、その成り行きを中心に据えて書けば、より広く読者を獲得できただろうが、著者はそうしたジャーナリスティックな方法論は取らなかった。ゆえに「亡命」を語っても、国を出なければバリシニコフの才能は古典の繰り返しと官僚主義のなかで殺がれてしまうだろう、という“芸術的”観点から擁護し、芸術の正当な権利として語るのだ。
 本書で、バリシニコフの亡命が1年近く、ソ連内では、「長期の外国バレエ団との競演のため」と偽装されつづけたことを知った。ヌレエフの亡命の時は、すぐ反国家行為、犯罪者の烙印をおされ家族が不利益をこうむっている。

 マイヤ・プリセツカヤの自伝のなかでも記述されているのだが、革命ロシア下で実に多くの“人民主義的”な創作バレエが制作されていることを知る。本書のなかにも参考例として何作も登場する。そして、駄作、愚作であり、数ステージで再公演などありえないことを承知しても、それに付きき合わせられる人民芸術家としての舞踊家バリシニコフの焦燥も語られるわけだ。マイヤあたりになると、当局がそうした人民主義的な表題作を持ち出してくる前に、能動的に自ら作品を発掘し、意味づけし、官僚の壁を乗り越えて芸術的欲求を満たしてきた才能であった。だから「亡命」せずに乗り越えた。もっとも最愛の夫君が絶えず人質のように、妻マイヤの外国公演につきあうことができずモスクワから出られなかったが・・・。

 バリシニコフの大きな美点は演劇的な才能、創造性である。彼が「亡命」してから間もなく映画『ターニング・ポイント』(1977)でオスカーの助演男優賞にノミネートされるほど俳優として成功を収めるが、その演技者としての才能はすでにソ連時代に踊らない役でテレビドラマに出演していることを本書で知った。バリシニコフの映画出演はその後も『ホワイト・ナイツ』へと繋がっていく。映画批評的にみれば、『ターニング・ポイント』のほうが優れている。しかし、バリシニコフは気にいらなかった。何故なら、舞踊家としてスクリーンに登場し、その妙技を披露するわけだが、それが編集の段階でカットされてしまうことに不満だったからだ。そして、映画は監督のものだとあらためて納得し、1980年4月、自らプロディース、構成から踊り歌い演技するTV『バリシニコフ・オン・ブロードウェイ』を制作する。ライザ・ミネリとの競演であった。彼の履歴に「歌唱」という芸歴が加わるのである。本書は、そんな絶えざるフロンテア精神に燃えるバリシニコフを讃歌してペンを置いている。
 *余談だが、米国での亡命生活のなかでバリシニコフはテープにヴィソツキーの歌を歌い録音していたことを知った。ちょっと触れて置くという感じで記るされたエピソードだが、そんな夜もあったバリシニコフになんとなく孤独な背をみてしまうのは私だけだろうか? 政府に認められずソ連国内での録音もレコードを出すことも許されず、しかし、コピーされたカセットテープが民衆の手から手へと渡った反体制歌手のアノ野太い声にバリシニコフは望郷のような愁を覚えていたのかもしれない。

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