スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『エイミー  AMY』ピーター・バラカン監督

映画『エイミー  AMY』ピーター・バラカン監督 
                  *7月16日公開。
324 (1)

 音楽を“発見”するという喜びがある。それは理屈抜き、ある日、突然、やってくる。いや、襲われた、といってよいほどの衝撃かも知れない。筆者にとってエミー・ワインハウスというユダヤ系英国人のジャズ・シンガーの存在を認識したことは、そういうものだった。
 クラッシック音楽以外ではラテン音楽を集中して聴いている、聴かなければならない筆者にとって英語圏のフォローに割く時間は少ない。だからエイミーの歌も見過してきた。こんな凄い歌手がいたのかと筆者は正直、感服した。魂で歌うほんものの歌手であった。映画『エイミー』はステージ、録音時におけるにパフォーマンスと、実生活の貴重なプライベート・フィルムで構成される。それが見事ぐらい相乗効果をあげているフィルムだ。つまり、エイミーにとっての歌は生活であり、歌うこと、それ自体が自身を語る手段であった。そして、映画は愛の物語、より正確にいえば、愛の不条理を問うた切ない物語であった。否、それが主題ともいえる。

 27歳で夭折したエイミー。その濃密な生き様、そして歌の圧倒的な訴求力は、やはり夭折したブルース歌手ジャニス・ジョプリンを思い出させる。筆者にとって英語圏で見出したジャニス以来の才能だった。

 ヒップポップ全盛の英国にあってジャズというジャンルを自己表現手段とした10代の少女、という存在自体、稀有なことだろう。そのジャズのフィーリングで若者たちの胸倉を鷲づかみにした圧倒的なパフォーマンスというものは、創作できない。個性、本能的に歌に仮託した心の在りようから生じる発露そのものだ。

 生前、たった2枚のアルバムしか遺さなかった。ほとんど自前の曲・・・という言い方はエイミーの歌には安易な表現だろう。愛の喜び、あるいは恋に破れ、その切ない心を吐き出す手段としての歌、ダメ男に執着してしまう自分、アルコールとドラッグに溺れてしまうのも、ダメ男の悪癖としりつつ、その行為に共感することこそ愛の行為だ、と・・・詩はそんな自分を客観的に見つめてもいる。それでも刑務所に収監されてしまうような男を忘れられない、男の不在はエイミーを絶望させる。
 愛の不条理を歌い尽くして、自死するように自分の存在を消してしまった歌手エイミー。流星のように出現し、永遠に去ってしまった脅威的な才能を、愛の悲劇として描いた映画だ。それが、つい数年前に英国であった現実というのが辛い。

 言いたくはないが、「女は男次第」という下世話な言い方がある。エイミーの愛とはそんな感じだ。しかし、その愛の顛末から素晴らしい歌が生まれる。エイミーに愛された若い男は、まだどこかで生きているのであろう。画面ではエイミーに銀蝿のつきまとう様子も描かれている。マスコミ関係者にも疎まれていたようで、写真の邪魔だ、「あんた離れてくれ」と言われる場面もある。エイミーにとっては心に取り付いた病巣のようなものだが、そんな男との愛のカタチがすばらしい歌を生んでしまう不条理。
 その男、いまは娑婆にでてきて相変わらず酒とドラックに溺れながら、エイミーに替わる女の尻を追っているのかも知れない。その男は、エイミーの歌の琴線に触れることなく、たぶん、エイミーの遺作にも目もくれないのだろう。

 

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。