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明治の青春を音楽を通して描く~  映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』

明治の青春を音楽を通して描く~  映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』 澤井信一郎監督

 つづけて映画を媒体に外国人作曲家のことばかり書いてきたので、口直しではないが、やはり日本の才能を愛でたくなる。
 西洋音階が日本の歴史に登場するのは16世紀、カトリック宣教とともに九州の一角で根付いた宗教音楽を除けば、本格的な導入は明治まで待たなければならなかった日本。映画の主人公となるべき人材は残念ながら少ないし、興行面でいえばそれなりの著名人でなければならないという制約を考慮すれば、けっきょく、この人・滝廉太郎ということになってしまうのだろう。
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 戦後日本の映画史におけるクラシック音楽素材の作品といえば群馬交響楽団の創設から県民への浸透へという歳月を描いた『ここに泉あり』(今井正監督・1955年)が嚆矢ということになる。山田筰作が本人役で登場して台詞もいえば指揮する貴重な映像とか、欧州留学前の室井摩耶子のチャイコフスキーのピアノ・コンチェルトの一部が聴けるという音楽ファンにとっては資料価値のある映画で、音楽監督が団伊玖麿が担当しておりスタッフは強力だが、今井流の善意の押し売りが目立つ作品として労作という程度の評価だと思う。なにより音楽演奏シーンのほとんどがまるでウソという映画だ。けれど、日本における地方交響楽団の第一号として群響を描いたということではクラシック音楽素材の映画として巻頭にくるだろう。厳密にいえば、黒澤明監督の『素晴らしき日曜日』(1947年)の後半で描かれたシューベルトの『未完成交響曲』をエアー指揮する有名なシーンを取り上げるべきだろうが、そこに音楽家のモデルはないので、ここでは割愛。

 日本映画界はながいこと“国民的作曲家”滝廉太郎を描くことはなかった。23年余という短い生涯でありながら、その凝縮された夭折の物語を描くことにしり込みしていた。評伝ということに囚われ過ぎるとそういうことになるのだと思う。
 『わが愛の譜』は、滝廉太郎の生涯に沿って象徴的な虚構を織り交ぜた映画となるだろう。
 滝廉太郎(風間トオル)に心を傾ける中野ユキ(鷲尾いさ子)は実在しない女性だし、モデルとなったのは幸田露伴の妹・幸だが、彼女はヴァイオリストであって、映画にあるようなピアノ巡る挿話はすべて創作である。しかし、幸の姉・幸田延(壇ふみ)は史実に触発されたかたちで描かれている。山田なども証言しているのだが、当時の東京音楽学校では女帝のように振る舞っていたというが、そういう傲慢さを壇さんはよく演じていると思う。おそらく、女優としての壇さんは、それまでお嬢様といった役柄が多かったと思うが、この映画で新境地を拓いたと思える。
 よくできた映画だから、なんとなく史実として受け入れてしまうような気がするが、鵜呑みにしてはいけない。本作の後、『カルテット』とか『さよならドビュッシー』などクラシック素材の映画が制作されているが、本作を超える映画はまだ出ていない。

 東京音楽学校の学生たちは自発的な運動としてはじめた、芸術性のある新しい子どもの歌づくりのエピソードが描かれる。滝の一連の歌曲を象徴するため、名作『花』を巡る話を挿入する。映画のなかでは厳選して「音楽」を選ぶという制約があるから、この曲を選び、女声二部合唱で披露するシーンを描いたのは見識である。なりより、21歳の滝が、「日本的情緒を初めて西洋的芸術歌曲形式の鋳型に注入し、その方式に学びつつ、しかもただ日本人にしてのみ可能な変容をも試みつつ、はやくも質的にも最高の日本近代歌曲を創造した奇蹟」(海老澤敏)の作品であるからだ。もう一曲完唱されるのは『荒城の月』だが、これをソプラノの佐藤しのぶさんに和服姿で詠わせている。しかし、この映画が音楽解釈でなりより品位と、音楽性を高めているのは創作された滝とユキがドイツ貴族の館で、ヴェートーベンのピアノ・ソナタ「熱情」の練習を通して、その音楽解釈を語り、弾奏するという真摯な熱気をおびたシーンだろう。本作のなかで音楽シーンは、滝作品ではなくヴェートーベンがもっとも長く描かれているのだ。凡庸なシナリオなら滝作品にこだわってしまうところだろうが、映画は、ドイツ音楽の歴史の重厚さの前にたじろぐ滝の姿とともにそれは描かれる。そこでは、明治の若き才能が維新政府の下、欧州諸国に留学を命じられ、国家のためになにごとかを吸収し、お国のために尽くさなければいけないという重みに耐える青年の象徴が「音楽」を通して描かれていいるのだ。
 また、留学前の挿話に、結核で療養中の滝のために女中奉公する娘が登場する。その娘はやがて貧しさ故、妾奉公に出される。そうして、社会の下層に沈んでゆく。ピアノ一台で家が買えるという明治の市井も描かれている。貧富の格差はとてつもなく大きく、学生身分と女中奉公の娘の暮しには雲泥の差がある。そういう明治の青春の諸相が周到に描かれていることによって、この虚構の物語はリアリティーをもって迎えられた。

 滝の遺作『憾(うらみ)』も描かれているが、この映画はその遺作に縁取られている。冒頭、タイトルの背景に映し出されるのは『憾』の楽譜である。志半ばどころか、音楽家・滝にとっては助走にすぎない若さで病いに侵された。残念至極という思いが、そのピアノ曲に込められている。映画では、ユキに捧げた愛の献呈曲と語られているが、むろん、それは違う。23年の短い時間しか与えてくれなかった神への怒りさえそこに感じる。滝はその曲をピアノにいっさい触れることなく書き上げた。明治という疾風怒濤の時代、多くの才能ある若者を憤死させたが、滝もまたその一人であったと思う。しかし、そういう緊張とヒロイズムのなかで活動したことによって、滝の幾多の名作が生まれたことも事実である。そういうことを教えてくれる良質な映画だ。

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