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ニカラグアの「上を向いて歩こう」 ~永六輔さん追悼

ニカラグアの「上を向いて歩こう」

 外国で暮し、現地の人と親交深めるために座を盛り上げようとするなら、「上と向いて歩こう」を披露するがいい。まだ、名と顔がいっちしない人も、和してくれる可能性が高い歌、それは坂本九さんが歌った「スキヤキ」、上を向いて歩こう、しかない。

 永六輔さんが昨日、死去された、というニュースを聞いて私はたちまち1992年10月、日付けは忘れたが、マナグアのイエスズ会系の大学の講堂の一夜に引き戻された。中米地峡の小国ニカラグアの首都マナグア、10月とはいえ日中はTシャツ一枚でも汗ばむ暑気に包まれていた。中米諸国の首都のなかではパナマ・シティと並んで通年、暑さの厳しい町だ。
 その年、中米グァテマラの先住民活動家リゴベルタ・メンチュウさんにノーベル平和賞が贈られた。少女時代からマヤ系先住民の人権擁護に献身した功績が理由だった。彼女の受賞を念頭に計画されたものではなかったが、その日をはさむ数日、中米諸国の先住民活動家の代表たちがあつ まって国際会議が開かれた。平和賞受賞の決定の報道から数日後にその会議が開かれたのだ。その会議の最終日の夜、参加者の慰労を兼ねたパーティーが開かれた。その会場にカメ ラをもって参加した。当然、被写体はメンチュウ女史であった。
 会場には日本人はおろかアジア系の参加者は他にいなかったので、私の存在は、自分のあずかりしらないところで目線を引いたのだろう。突然、
 「セニョール、あなたは日本の方ですか?」と、日本でいえば小学校の4年生といった感じの女の子に呼び止められた。
 赤茶けた長い髪に熱帯の大ぶりの白い花を射し込んだ少女は私を見上げながら言ったのだ。浅黒い瓜実顔は若いラテン娘特有の化粧が施されていて、やたら瞳が大きく、白地の民俗衣裳を着ていた。
 「うん、いまは仕事でグァテマラに暮らしているけど、日本人だよ」
 「ほら、やっぱり、そうだよ」とパシッと両手を叩いて、そばにいた中年男性の腕を叩く。父親らしい。少女は、早口でなにか言い募っている。その男の胸か ら斜めに使い込んだアコーディオンが下がっている。その男のそ ばには少女のお姉さんといった感じの若い女性、それに微笑んでいる若い男性、みればみな白い民俗衣裳と着用していた。
 「セニョール、実は、」と中年男性が語り掛けてきた。
 「きょうは、このパーティーに招かれて歌うことになっているんですが、来月、私たちは日本に行くことになっています」という、よく意味がわからなかったが、日本のどこかの民間団体の招きで、日本で数回小さなコンサートを開くらしい。
 「そこで私たちは日本の歌を披露しようと練習しているところなんです。一曲だけですが、それでスキヤキ・ソングを練習しています。この子が、、」と少女に視線を移して、「あの人は絶対、日本から来た人だ、というので、確かめてみるかと、あなたに話しかけたわけです」と言う。少女はにこにこと私を見つめている。「この子が歌います 。差し支えなければ聞いて欲しいです。日本語が正しく伝わっているものかどうか確かめたいのですよ」
 そして、ニカラグア民俗音楽のアコーディオン、それはこの国の国民的歌手であるカルロス・メヒア・ゴドイとそのグループによって海外でも知られることになった哀調のある音色であった。
 少女はきれいな日本語で歌い出した。周囲に輪がたちまちできた。
 マナグアで「上を向いて歩こう」をこんなシュチエーションで聴くことになろうとは思わなかった。彼女たちのファミリーにとってはレッスンの一場であったかも知れないが、その場では期せずしてメンチュウ女史の受賞を祝う歌にもなったのだ。
 どうでしたか、と少女の瞳が感想を強要する。私は父親に、「ムイ・ビ エン」、全然、問題ありませんよ、そのままで大丈夫ですと言った。そして、少女には「エクセレンテ」、素晴らしい、そして、ムチシマス・グラシアス、と最上級の言葉でありがとう、と言った。難をいえばいえるけど、「上を向いて歩こう」なら日本人は誰でも知っている。少女が一生懸命、歌えば多少、発音がまずくても愛嬌というものだ。

 それから数年後、米国テキサス州を中心に活動を開始し、やがて全米のヒスパニック系米国人から圧倒的な支持を受けることになった女性歌手セレーナが非業の死を迎えた。
 その人気は“テハーノの女王”とまで言われた。テハーノとはテキサス州に住むメキシコ系米国人を指すヒスパニックたちの言葉だ。そのセレーナがキューバ系米国人歌手として成功 していたグロリア・エスティファンにつづく才能として、最初の英語版アルバムを準備中に、ファンクラブの会長という、いわば内輪の女性に射殺されてしまった。お腹に数ヶ月の赤ちゃんを宿したまま新婚間もない時期の悲劇だった。享年23歳。未完成に終わったアルバムは録音が完了した英語歌に、旧録のスペイン語歌を足して遺作として発売された。それは米国ではミリオンセラーとなり、日本でも発売された。そのアルバムには日本盤のみ収録された曲があった。「スキヤキ」、上を向いて歩こう、である。その「スキヤキ」はむろん、日本でのアルバム発売など念頭にない時期に録音されていたものだ。セレーナの唯一の日本の歌が「スキヤキ」であった。
 セレーナの葬儀には全米から万余の会衆が集まった。その光景は全米に報道され、非ヒスパニック系米国人ははじめて 、「セレーナって誰?」と驚いたのだ。当時、テキサス州知事であった。ジョージ・W・ブッシュはセレーナの誕生日を「セレーナの日」として敬慕することを州法で決めたのだった。

 永さんは、そんなことは露知らず、黄泉の国に旅立った。「スキヤキ」、上を向いて歩こう、をめぐるそうした挿話は世界中に無数にあるのだと思う。そういう歌を書いてくれた永さんには、日本人として素直に感謝したいと思う。「上を向いて歩こう」の世界的なヒットで、海外に生活する日本人はなごやかに現地の人と交流することができたのだ。こういうのを「国民歌」というのだろう。

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