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「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」に沈着する憂愁を    ~カメラータ・ド・ローザンヌ初来日公演

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」に沈着する憂愁を
   ~カメラータ・ド・ローザンヌ初来日公演

 スイスのローザンヌ市で2002年に結成された弦楽合奏団カメラータ・ド・ローザンヌの初来日公演の初演を7月7日、天の川がまったくみえない夜に聴いた。ふたりの日本人女性がヴィオラ奏者として参加する清新な活気に満ちて統一感の若い合奏団。当夜の公演では同合奏団がもっとも精神を傾注させて演奏したのは四曲目、チャイコフスキーの「弦楽セレナード ハ長調」だろう。彼らのチャイコフスキーについては、もう一夜、第2部をチャイコフスキーの作品を集めた演奏会があるので、それに譲りたい。
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 7日のプログラムにモーツァルトの作品中、もっとも有名な(優れたという意味ではない)作品「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が取り上げられていた。小さな夜想曲、セレナーデ。清廉な快活にあふれたアレグロがはじめってから、ふと、これをコンサートで聴いたのはいつだったか、と思った。まったく思い出せないくらい昔のことだ。
 たぶん、聴いたとしたら、セミプロ・オケの演奏とか、東京音楽祭とかで、どこかの広場で演奏される家族向けのフリーコンサートとか、そんなところで触れたのが最後じゃないかと思う。そう、この名曲は意外とコンサートで取り上げられることは少ない。著名な交響楽団の定期演奏会などでもプログラム入りする機会はほとんどないはずだ。そういう特異な作品だ。しかし、この 作品にはそれぞれ一家言、といえばオーバーだか、人それぞれ私的なアプローチの言葉をもっているのではないかと思う。そんなふうに親しまれている作品だから。
 神童に嫉妬する宮廷音楽家サリエリの視点からモーツァルトを描いた映画『アマデウス』のなかで、サリエリは思わず口ずさむ曲のひとつに、「アイネ~」があった。というふうに、クラシック・ファン以外を広く集客したいと考える商業映画は、なるべく親しまれている曲の注入をはかるわけで、「アイネ~」はそのように取り上げられるポピュラー作品であるということだ。むろん実際のサリエリがそんなふうに口ずさんだという証言はない。
 カメラータ・ド・ローザンヌは地元では青少年向けのコンサートなどを積極的に行なっているようで、「アイネ~」はプログラムに欠かせない作品だろう。当夜のコンサートでも、いかにも手馴れ熟知した演奏という感じで明朗に響きわたった。
 しかし、筆者はこのセレナーデは意外な難曲だと思っている。
 モーツァルトの澄明な響き、快活な明朗さというのは少々、厚みのあるオブラートであって、31歳、生命力が枯渇しはじめた時期で、父レオポルトを失い、『ドン・ジョヴァンニ』作曲中の緊張のなかで自ら癒しを求めたように書かれたセレナーデであった。どこの演奏であったか、筆者にもっとも響いてきた「アイネ~」は澄明な響きのすき間からこぼれ出てくる〈憂愁〉ともいえる哀調の陰の徘徊であった。その〈憂愁〉の静謐さの記憶が、カメラータの演奏を聴きながら蘇ってきた。カメラータの演奏には、その〈憂愁〉、あのモーツァルトの横顔にあるような気配はまったくなかった。
 帰宅後、モーツァルトのCD群を抜き出しながら収録曲を点検する。「アイネ~」はなかった。たぶん、「名曲集」とかそういう企画モノには収録されているのだろうが・・・。
 ずいぶん昔に筆者を捉えた「アイネ~」の〈憂愁〉はレコード時代のLPのなかにあった。いまは誰の演奏家か思い出せない。でも、そのLPで筆者の「アイネ~」像は刻印された。
 小林秀雄は彼の「モーツァルト」をト短調交響曲を主調音にして描きだしていたが、筆者にとってのモーツァルトの音楽は「アイネ~」のなかから立ち上ってくる、やるせないような〈憂愁〉なのだ。それは合奏する演奏家たちの哲学といっては大げさかもしれないが、一度、蹉跌でもあじわったものでもない限りでてこない音、その集積だと思う。
 かつて筆者をわしづかみにした〈憂愁〉の鎖を投げてきた演奏家たち、それは1970年以前の録音であったはずだから、おそらく例外なく演奏家たちはみな大戦下の欧州のどこかで、それぞれ近い人の死に遭遇してきた世代だ。あるいは自ら引き金を引いたかも知れない、そんな時代を生き延びた人たちの演奏であったはずだ。
 演奏思想に経験則はむろんないが、でも時代に捉えられてしまう音というものがある。嫌味でいうのではないが、カメラータ面々の音は、きわめて優秀で才能にあふれた人たちの自信にあふれたものであった。「アイネ~」も合奏団のアットホームな暖かさのなかで充足していたのだ。でも、それは筆者の感興にはならなかった。(7月7日、東京文化会館小ホールで)

11日の築地・浜離宮朝日ホールでの演奏会は、チャイコフスキー・プロといってよい内容であったが、前半の小曲集はカメラータのメンバーが自己紹介的にソロを取るといったサロン的雰囲気に終始するもので、それぞれの実力のほどを知らしめる効用は確かにあったが批評を乞う、といったものではなく、いかにも弾きなれた作品を選んでいるという印象であった。そして後半の「フィレンツェの思い出 作品70」の弦楽合奏版の演奏となった。
 チャイコフスキーに限らず帝政ロシア時代の知識人たちは陽光を求めるようにイタリア詣でを繰り返していた。革命前の知識層のほとんどは上層階級から出ている。遠くイタリアまで旅をする余裕があった。宗教的な類縁地ギリシャのエーゲ海がオスマントルコの勢力図のなかにあってみれば、ロシア知識人はカトリック本山のイタリアに足を延ばさざる得なかったのだろうか? 革命後も、たとえば映画監督のタルコフスキーは晩年、イタリアにアフリカからの南風を感得しようとした。そういうロシア知識人特有のイタリア観を理解しないと、チャイコフスキーの同曲も良くできた作品、ケレン味ない良質な演奏というしかないだろう。

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