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武満徹と映画音楽  ~没後20年を迎えて

武満徹と映画音楽
 ~没後20年を迎えて
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 没後20年を迎えた今年、武満芸術を多角的に検証する活動が、演奏会での再演の企画とは別に進行している。日本音楽史上、創作活動そのものが世界同時進行で注目されたはじめての才能だろう。そして、雪渓を彼方にもつ泉のように湧き出した作品の総量はとてつもない拡がりをみせた。
 尺八と琵琶による協奏が管弦楽のうえでたなびく『ノヴェンバー・ステップス』、雅楽アンサンブル『秋庭歌一員』辺りを頂点とする純音楽だけでなく、その作曲活動は拡張・肥大しつづけ、なかでもシナリオを改編させるほどの批評性をもった映画音楽への傾斜は瞠目すべきものがある。100本近い映画に関与し、さらにテレビ・ラジオ、演劇への劇伴音楽まで広がる。今年、没後記念企画として映画音楽も含んだ『全集 』も発売された。
 武満が関わった映画のDVD化はさほど進んでいないだろうし、ビデオ時代にも黙殺された映画も多いはずだ。映画を観れば武満音楽と映像との関わりはわかるが、映画は秀作・佳作と呼べる 作品ばかりでないのでそうもいかない。現実問題として、いまは音楽だけしか聴けない。筆者自身の体験では、小林正樹監督の記録映画『東京裁判』(1981)での武満音楽との出会いの記憶は生々しい。それから武満が関わった映画、『東京裁判』以前のたとえば『砂の女』『怪談』『切腹』等々、それは戦後日本映画名作史ともなるではないか? それまで、黒澤明監督の映画を通して、佐藤勝さんの音楽に親近感を抱いていた筆者に、もうひとつの鉱脈をみせてくれるものだった。
 武満は映画という媒体を通してジャズ、ロック、邦楽全般、各地の民族音楽への尽きない狩猟者となった、武満はあらゆる大衆音楽を書ける稀有な作曲家であった。必要とあらば演歌すら書いただろう。時代を超越し、人間社会の各層を描く映画の要請に応じ武満はあらゆる実験をしたのだ。数秒、一音で悲恋の悲しみに添えろ、という破天荒な注文にどう応えるなかで、武満は純音楽への昇華へ導かれていったのだ。
 武満芸術を批評する海外の批評家は多い。現に今日もっとも体系的に武満音楽を語ったと労作として知られるのはピータ・バードの『武満徹の音楽』(音楽之友社)だが、ここに 映画音楽への取組みはない。日本人であっても旧作映画へのアクセスが難しい状況の中、海外の批評家がそれを試みるのは至難の業なのだ。こうしてみると武満という高峰への登攀はいまやっと麓にやって来たという段階なのだ。
 多い年には300本の映画を観たという武満、それは古今東西の映画にも精通し、映画音楽を通して映画批評も展開し、その批評性はあまたの映画評論家を超える。秋山邦晴との「対談」でもそれはよく了解できる。そして、常々思うのだが、あれだけの多忙な日々のなかにあって、何時、映画を見ているのだろうか、という時間の消費活動の卓抜さ。おそらく、それも今後の研究事項なるかも知れない。著作も実に多く、なかにはレシピまである。そう、武満はまごうことなく超人なのだ。あの小さな 痩身のどこにダイナモが隠されていたのか摩訶不思議。 その不思議のいったんが没後20年して、やっと武満映画音楽への本格的なアプローチがはじまった。

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