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旅立ったアノ人、コノ人 其の三 松田優作さん

旅立ったアノ人、コノ人 其の三 松田優作さん

 カッコよかった。流星のような一閃の出会いで、記憶の襞に絡みつくように印象を遺す人がいる。深く刻み込まれる。男惚れ……するということがどういうものか実感をもって掌にはいってくるような、そんな瞬間であった。松田優作さんだ。
 練馬の大泉にまだ東映の撮影所があった。でも、追っ付け閉鎖になるということが視野に入った終焉期だった。もう何年もあらたな設備投資はおこなわれず既存の機材だけで斜陽をゆっくりと、しかし確実に転げ落ちていた。撮影所全体がパラフィン紙を透かしてみえてくるような心もとない印象だった。大泉の撮影所に行って、しばらくして取材で中国の上海撮影所、アジア映画史のなかでも特筆される巨大な撮影所だが、そんな撮影所の活気を見たとき、つくづくビジネスとしての日本映画は零細化しているのだと思った。
 いまは巨大ショッピングセンターとなっている撮影所のなかに何棟かあったスタジオのひとつで松田優作主演のテレビ映画が撮影されていた。風吹ジュンさんとのベッドシーン。監督は後年、『月はどっちに出ている』でブレークする崔洋一さん。そのテレビ映画の撮影に入る前に、崔監督はデビュー作に内田裕也主演で『10階のモスキート』という映画を撮っていた。ちょっとキケンな警察官役を、裕也さん地で行くような危なさで演じてささくれ立つようなザワザワした雰囲気に満ちた作品だった。その崔監督にあうために僕は撮影所でベッドシーンを側から眺めていた。撮影が終わるのを待っていた。この映画はしばらくして、『松本清張の断線』というタイトルで放映された。ビデオ発売されたときはタイトルは変わっていたように思う。
 撮影が終わり、撮影所前にある薄暗い喫茶店で僕は崔監督とお茶を飲んでいた。『10階のモスキート』の取材であった。半時間ほど話し込んだ頃、優作さんが数人の男性と一緒に店内に肩から入ってきた。そして、崔監督と僕の話に割り込み(むろん、僕に一礼して)、それから別の席にうつり、そこで若いスタッフになにごとか注意を与えるような、ちょっと詰問調で話し込んでいた。何を飲んでいたか? 終わると、そのスタッフ連中と一緒に風のごとく消えた。……それだけの話だ。
 優作さんは店内でもサングラスを外さなかった。ロングコートを着ていたように思うから、晩秋か初冬といった季節だったろうか。そのテレビ映画が放映は確か12月だから、その少し前ということになる。それから、6年後に優作さんの訃報をきくのだ。遺作はマイケル・ダグラスと共演したハリウッドの映画『ブラック・レイン』だが、そのブラック=黒ということで思い出すが、大泉であった優作さんの印象を色でたとえれば黒である。黒に五彩ありというが、その五彩のオーラというのだろうか、それを周囲に解き放って、その空間を小劇場のようにしていた。それは優作さんの日常であるかも知れない。まわりの凡人は、ただただ、その存在感に圧倒される。鮮やかといえばそういえるような、けれど居心地の悪さも感じさせる。妙に落ち着かない。そこは五彩のカオスなのであった。こういう男とはそうそう出会えるものではないだろうと思った。
これまで多くの俳優さんと日常の場面で会ってきた。けれど、優作さんに比類するような男とはまだ出会っていない。ただ現役のアーティストのなかにひとりだけ存在する。カテゴリーは違うし、風貌もまったく異なるけど、ピアニストの高橋悠治さんは、ぼくにとって優作さんに比類する才能と思って接している。

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