スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

文庫化されない本のために №11 『ロイと鏡子』湯浅あつ子

湯浅あつ子『ロイと鏡子』
 
 「ロイ」とは戦後、日本語の達者な外タレ第一号としてラジオ、テレビで活躍したロイ・ジェームス、「鏡子」とは三島由紀夫の長編小説『鏡子の家』の舞台になった富豪の館の娘の名前だ。その「鏡子」さんが本名で書いた夫ロイ・ジェームスを追悼・回顧する文章を中心としたエッセイ集。
 この本を読む気になったのは、先頃、NHKで放映された「トットテレビ」に出演していた米国出身のタレントさんが、「演じることになってロイ・ジェームスさんのことをはじめて知った。スゴイ人だった。尊敬に価いする」という語っていたのがきっかけだ。その「スゴイ」ことの内容がまったく語られなかったので、さてどういうことなのか、と思っていたところに本書に出会った。
 昭和59年3月、中央公論社から刊行されている。初版だけで重版されることなく書棚から消えた。同社が倒産し、読売新聞の傘下に入ってからは、こうした売れない本は永遠の絶版になるしかないだろう。
 kcb8.jpg 写真は、全盛期のザ・ピーナッツと。

 日本の民放テレビ黎明期に活躍したロイさんの端正な佇まい、江戸下町仕込みの歯切れのよい日本語はいまもでも記憶に鮮やかに残っている。モクロク時代のテレビだったせいもあるけど、いつもダークスーツに綺麗に整えられた髪、そして黒縁の眼鏡姿は知性にあふれていた。別にどの国の出身とも思わず、なんとなく「アメリカ人」と思い込んでいたフシがある。
 ところが、本書を読んでロイさんがトルコ人であったことを知る。父母ともにトルコ人である、と著者は書いているが、ロシア革命によって追われたカザン・タタール人である。本名を、ハンナン・サファといい1929年3月、東京下谷に生まれた。父アイナンは戦後、東京回教寺院で導師イマームを勤めた人だから、ロイ・ジェームスもまたイスラム教徒であった。
 下町生まれのロイは地元の小学校へ通い、明治大学を卒業した。日本語が達者なのは当たり前だが家族とは古いトルコ語でやりとりしていたようだ。そんなロイであったが戦時中は敵性外国人とみなされ、憲兵に捕まり天井から荒縄で逆さづりの拷問を受けたり、軽井沢に強制収容された後、日本語に不自由な6人家族を食わせるために人夫として働いている最中、極度の栄養失調で倒れ、ごみのように空き地に捨てられ、その後、収容された外国人たちの献身的な世話で生き延び戦後を迎えた体験をもっている。そうした半生は、たぶん、妻となった著者にしか語らなかった部分も多いと思う。
 ロイがテレビに登場する前に、すでに一個の人間として語るべき「半生」を体験していたひとであった。著者はプロの物書きではないし、亡き夫への愛慕の念から綴らねばいられないという思いにかられ、請われるままに筆記したものようだ。「事件」に対する資料的な裏づけ作業はそこにないけれど、あの時代を思えばさもありなんと思える事柄だ。しかし、タレントとしてのロイは、そういう自分をいっさい語らなかったし、本人は「僕はチャンバラのむしり(かつらの一種)にあこがれ、六大学の野球にあこがれ・・・・・〈旅姿三人男〉〈花笠道中〉〈りんご追分〉、虎三の浪花節、志ん生の落語がぴったりの江戸っ子」を自負したまま喉頭がんのため53歳の若さで死去したのだ。
 戦後、上品さの欠けられもなかった(と、あつ子は語る)ロイを、あの端正で気品のある流暢な日本語を語るタレントに仕上げる土壌をつくったのが著者であり、「鏡子の家」に集う各界の名士たちとの交流であったことも語られる。その「家」に売出し中の三島が出入りし、ロイとも交流をもったのだ。「家」に出入りしている時期の三島の面影は、三島資料としても貴重なものだと思うが、本書が再刊されることはもうないのだろう。本書に若き日の三島と著者との貴重なツーショットが収録されている。本書中、唯一の写真である。 
三島 005

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。