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瞽女を描く その1  村山富士子『越後瞽女唄冬の旅』

瞽女を描く 
 村山富士子『越後瞽女唄冬の旅』

 久しく瞽女(ごぜ)をあつかった小説が書かれていない。
 瞽女、という大衆芸能の担い手が存在しなければ、瞽女そのものの芸能は歴史というステージの上でいかすしかない。
 おそらく越後や信州など、かつて瞽女を幾世代に渡って育み芸を伝承してきた地では、「門付け」というなりわいが殺がれたところで、唄・三味線の純音楽としての継承があるのだろうが、それは部分の継承でしかないが、悲劇性は消えた。
 日本は豊かになり眼病に対する医療も向上し貧しさ故の失明も少なくなり、また失明した人たちに対する職域も人権思想の普及にともなって広がったせいもあるだろう。
 厳冬の季節に僻地の寒村を経巡って門付けし、暮しを立ててきた瞽女の芸が消えてゆくのは元来、良いことなのだ。それをしりつつ瞽女として生き、人知れず死んでいった郷地の芸能人に、ある人を郷愁を覚え、ある人は貧しかった日本を象徴させようともし、また、男と契れば瞽女から落とされ、仲間をうしなって離れ瞽女にされるという掟てに悲劇を見出す。瞽女の世界は物語の宝庫でもあった。
 その雪国の瞽女の世界に鈍く光る鉱石を見出したのが画家・斉藤真一であった。それは日本がバブルに浮かれている世相を、明治大正、戦前昭和の庶民の目線で冷徹に批評するように連作されたものだった。筆者はその斉藤の絵によって「瞽女」という世界があったことを知った。漢字に「瞽」という文字が存在することをはじめて知りもした。それは多くの日本人の共通体験であっただろう。斉藤の画集は売れ、さまざまな判型の本も編まれ、展覧会が開催され、その絵の市価はあがった。すでに老い、門付けから解放され、老人ホームで余生を送っていた元瞽女さんが唄は録音されて、多くの視聴者を獲得するようなブームがあった。そこから数編の小説が生まれる。
 村山富士子の中篇『越後瞽女唄冬の旅』の発表も1976年夏であった。その小説は、その年、太宰治賞を受賞している。その小説を表題とした3篇の作品を収録した同名の本が出版されたが、その後、村山さんの作品はみない。その本も絶版になっているので、本作の存在をしる人も少ないはずだ。このまま埋もれてしまうのは惜しく思い、ここで取り上げてみた。そして、村山さんの瞽女は、そうしたブームとは別のところで私的に構想されていたものだ。新潟出身の作者にとって、瞽女さんの後ろ姿は郷愁といったものではなかった。越後の厳しい現実であったのだ。
 小説は越後の瞽女さんたちの生活譜である。あえてドラマをつくるまいとした態度がうかがえる。
 瞽女の生活を描くのに作者はそうとうな仕込みをしている。限れた地方だけに存在した大衆芸能、それも消えつつある世界の機微を描こうとするのは大変な仕事である。地方にはまだ瞽女の唄の良し悪しを知る人たちが現存しているから、臨場感をもって手繰り寄せられる心配のない江戸時代の歌舞音曲の世界に生きた人たちを描くよりむずかしい。作者・村山にとって、おそらく瞽女となった女たちを描くことはライフワークであったに違いない。中篇というスケールだが、作者はこれに全霊を掛けたのだ。そして、それを描ききった。
 作中にこんな一節がある。
 ・・・「瞽女の道は村から村への裏道であり、村びとの吐息のこもる蔭道だった。胸から胸の血の道だった」
 小説は、その蔭道を哀歓をこめて紡いだ絣のような物語だ。その一節を描きとめるために作者は一冊の本を書き上げなければならなかった。そこに作家の姿勢というものもある。
*筑摩書房刊。1976年6月初版・絶版。

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