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映画『ディストラクションベイビーズ』真利子哲也監督 荒ぶる衝動を制御しなければ

映画『ディストラクションベイビーズ』真利子哲也監督
柳楽

 かいなでの倫理観など怖気づく映画だ。
 世界の現実はとめどない「暴力」に溢れ、無数の殺人が横行している。同種族を生命維持という“志向”の目的以外で殺すのは人間だけだ。映画という娯楽の最大の魅力は「暴力」そのものなのかも知れない。それは、人間によって人間のために描かれる最良の人間の「慰安」なのかも知れない。だからとめどもなく「暴力」が描かれる。そして、その行為にはそれぞれ意味、理由がたいてい存在することになっている。その意味、理由といったものが、昔の左翼用語でいうなら止揚=アウフェへーベンされてしまったら、暴力も殺人も底なしの輝きをもってしまうのかも知れない。ふと、そんなことを考えさせられる映画だ。
 
 新作映画はたいていマスコミ試写室でみてしまうが、そういうところでみると観映後、ロビーに出ると宣伝会社の人が待ちかまえていて、まだ未分化でかたちにならない批評めいた感想を求められたりする。いつも呼び止められないように気をつけて擦り抜けるようにしている。本作ほどなかなか文節がうまく繋がらない映画も珍しかった。カタチならない苛立たしさを覚えたのは稀有な体験だ。それだけ本作には突き抜けた孤高性があると思った。
 主題は荒ぶる少年の暴力そのものである。その暴力が日常空間のなかで描かれる。地域社会に根を張った暴力団の抗争ではない。ひとりの少年のまったく不条理なストリートファイティグの日々が描かれてゆく。それは自傷行為と紙一重なのだが、少年の生活実感は暴力に埋没してゆくなかで華となる。
 暴力少年を演じるのは柳楽優弥。『誰も知らない』(是枝裕和監督)でカンヌ国際映画祭で日本史上最年少で主演男優賞を受賞した才能だが、本作のかかわりでいえば『包帯クラブ』(堤幸彦監督)で演じた高校生役につながる作品だろう。その高校生は他人の痛みが理解するために、自らその被体験者となって、いつもどこかを怪我をしている、といった少年だ。現実ばなれした存在であるが、柳楽が演じると、さもありなんと思わせるオーラが生じる。そのオーラが拡大肥大し最後まで増殖しつづける恐さを演じたのが本作の柳楽だ。

 1981年生まれ、本作が初の商業映画となった真理子監督の高揚感が柳楽の身体を通して、奔放に解き放たれる。監督の異能ぶりはこれからの作品への期待を十分、予測させるものだ。
 本作をみて、現在、日本各地で現実に生起する少年たちの暴力行為と連動させて批評するむきもあろうが、それは回路が違うと思う。愛媛県に実在したとされる男をモデルとしているとのことだが、映画で造形された少年の暴力はいわば浄化されたもので、犯罪行為によって得られる“利益”という充足性はまったくないのだ。といって反省もないし、悔恨もない。暴力によって自分が負け犬となり、そこで命を落としても慫慂と受け入れ、相手を怨むわけではないだろう。「死」、それもまた自ら招いた結果、あるいは“成果”だと受け入れる度量のようなものがあるのだろう、そういう地平に立っている暴力だ。ここまで粉飾を捨て去って感傷性をすこしも帯びない監督の演出力、そして柳楽の解釈に敬服 する。
 観たからといってタメになるような映画では全然ないし、やくざ映画を観終わった後のアノ名状しがたい爽快もあるわけではない。しかし、不快ではない。その意味ではまったく新しい映像が発現したこと、それを同時代に立ち会えた共生感を持つことが出来たという自分自身・・・・・・その、まだまだしなやかであるらいしいオレ自身の感性への信頼を見出せたことへのの充足感でもあった。

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