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文庫化されない本のために 013 王凱『苦悩に満ちた宮廷画家 ~郎世寧による異文化の受容と変貌』

王凱『苦悩に満ちた宮廷画家 ~郎世寧による異文化の受容と変貌』
 カスティリオーネ
カスティ

 冒頭に掲げた2枚の絵はともに同じ画家の手になるものだ。それを記憶されたい。
郎世寧、と書いて、その作品を思い浮かべることができる日本人は近世中国絵画史にそうとう精通した人だけだろう。ジュゼッペ・カスティリオーネが本名である。イタリア生まれ、イエズス会の宣教師にして画僧。
 清朝、康熙皇帝は西洋科学と芸術につよい関心をもち、イエズス会を通して西洋人画家の派遣を要請した。その求めに応じたのがカスティリオーネであった。すでにイタリアにおいて多くの作品を発表していた画僧だ。冒頭の洋風の絵画は、その時代のものでルーブル美術館に収蔵されている。
 1715年、1年数ヶ月の船旅の末、カスティリオーネは北京入りし、紫禁城のなかで宮廷画家として3代の皇帝につかえながら多くの作品を遺すことになった。この画家の作品を論じたのが本書だ。著者は1959年、中国・杭州市出身で早稲田大学で美術史を専攻した人だ。ちなみに本書は日本語で書かれた。

 多作家であったカスティリオーネだが、その作品はアヘン戦争以降の中国国内の政変などで散逸した。日本の東京国立博物館など公的施設の他、個人蔵などで19点があることが確認されている。日中国交回復後、文化的交流イベントとして中国のさまざまな美術を紹介する展覧会が開かれているが、清朝皇帝を描いたカスティリオーネの作品は、郎世寧の作として紹介されることもある。
 台湾にも約80点ほどが収蔵され、2点を除いて台北の故宮博物院にあるのは、蒋介石が戦乱から守ったからだ。生きているときも数奇な運命をたどった画家だが、遺した作品もまた政治に翻弄されたといってよい。
 欧米諸国から東アジア諸国にひろく散逸してしまったため、その研究は遅れ、今日まで王凱の労作以外ではまとまった研究はなかった。それが日本語で書かれた、という意味でおおきな価値を有すると思う。

 これまで日本語で読める中国美術史の通史としてもっとも流布しているのは新潮選書の一環として昭和47年に刊行されたマイケル・サリバンの『中国美術史』だと思う。わたしが現在もっている版は7刷目のものだが、最初に手にしたのは初版のもので、当時、中国美術への目を開かせてくれたものとして感謝している。最近、王凱の著書を偶然、手にして、あらためてサリバンの「清朝時代」の章を開くと、3ページに渡っての記述が確かにあるのだが、北京における建築設計士との紹介であって、画家としての記述は1ページ程度なのだ。ということもあって、わたしはまったく記憶にとどめることはなかった。
 いま本書を読んで、マルコ・ポーロから遅れること約500年、中国皇帝に従ったイタリアの才能について興味を抱いた、という報告しかできない。彼の絵画論へ言及するなんてとんでもない話だが、本書によって否応なく刻みこまれた関心はこんご長く持続するものと思う。
 *2010年4月初版・絶版。大学教育出版刊(岡山市)

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