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青年劇場公演『群上の立百姓』 今日の非正規労働者たちに〈農民〉の声が届くか

青年劇場公演『群上の立百姓』 今日の非正規労働者たちに〈農民〉の声が届くか
  こばやしひろし作/藤井ごう演出
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 江戸宝暦年間、1754年から4年半、美濃国(現在の岐阜県)郡上群内百30ヶ村の農民が闘った百姓一揆の物語り。立百姓とは唐傘連判状の下、蜂起の初心を最後まで貫徹した百姓たちを指す。反対に脱落した農民を寝百姓といって蔑んだ、という。芝居から教えられた。
 百姓一揆は苛烈な年貢の取り立ててに喘ぎ、生存権そのものが脅かされる事態になったとき身体を張りムシロ旗を立て、鋤鍬、竹槍を手に立ち上がった強訴。江戸期に全国で3200件ほどの一揆があったといわれる。首謀者は獄門晒し首も必定の身を挺しての蜂起。それでも、それだけ多くの一揆を数えたということで幕藩体制下で疲弊する農民たちがいかに多かったという証左になる。
 一揆に参加した農民のほとんど大半が連判状に名を記したまま歴史の闇に消えた。しかし、首謀者となった農民の名あと生きざまは不完全なかたちながら後世に伝えられた。封建制下では、苗字ももたなかった農民たちの「個」は消滅している。しかし、一揆の処理をめぐって当該藩での取調べ、特に首謀者たちは長牢生活のなかで記録をとるものが少なくなかった。それが村の名主の土蔵などに秘匿され、今日まで伝えられたりしている。そうした記録を通して、名もない農民たちの生き様がうかがいしれることになる。そして、そうした私的記録・文書に実証性を与えるのが、兵農分離制度を基軸とした江戸時代の社会の特徴であった。それは、武士階級と農民は居住空間も生産過程のうえでも分離し、日常的に交わることはなかった。その空間(距離)を埋めるのが「文書」であった。江戸期の農村史料が膨大に残されたのは、そうした「文書」支配の結果である。そして、その文書を通じて、一揆に参加した農民たちの私的な記録における記述の多くが実証性をもち貴重な史料となったのだ。本劇の史料もそうして残された史料があったからこそ登場する農民個々の性格が肉付けできたともいえる。

 初演は1964年というから現代劇の世界にあっては旧作といえるだろう。その芝居が年間を通し浮薄なフィエスタの巷と化している東京は新宿、そのド真ん中の劇場で再演されたのだ。その意味を問いたくなる。
 新宿、いや渋谷でも六本木でもいい、その繁華街の景色。3・11以降の節電もどこへやらの光の不夜城。その光を支えるのはアルバイト、パート労働など非正規労働者はずだ。彼・彼女らの大半が個別に切り離され、横断的に団結、組織はされない。歓楽街はそれが顕著だ。遊興者との経済格差は開くいっぽうではないのか・・・・・・。

 百姓一揆のなかで郡上の闘いほど持続したものはなかった。故に民衆譚として人口に膾炙した。農民たちの自主管理コミューンが成立したからだ。それは現在の非正規労働者たちに大きな示唆を与えるものかもしれないが、映画より通常、観劇料金の高い演劇をみるゆとりなど非正規労働者にあるとは思えない。どこかちぐはぐな感じがする。こんな芝居が時代と切り結んでいた時期があった。それこそ、本作の初演の頃、あるいは70年安保前後・・・・・しかし、世の中、なにが起きるかわからない小林多喜二の古プロレタリア文学「蟹工船」がいきなり復活して話題になったのは・・・もう8年も前だったか? 簡便な文庫本なら誰でも手に出来るだろうが、芝居はやはり敷居が高い。でも、こうして記さないわけにはいかない。
 可動性の高い舞台装置・美術の巧みが動きの激しい群像劇と有機的に絡みあっていたことを付記しておきたい。  
*9月17日、新宿・紀伊国屋ホールで。

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