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映画 アフリカを描く セネガル『母たちの村』  アフリカの割礼を告発する ウスマン・センベーヌ監督  

セネガル映画『母たちの村』  アフリカの割礼を告発する ウスマン・センベーヌ監督
 母たちの村

 西アフリカのセネガルの映画監督ウスマン・センベーヌは今年83歳を迎える。ブラック・アフリカ映画史における最長老といえるだろう。キューバのフィデル・カストロ議長(当時)より3歳年長ということになる。二翁とも熱帯の途上国にあって闘いつづけ倦むことを未だ知らない剛毅である。
 センベーヌの映画が日本ではじめて公開されたのは1981年のことだ。『エミタイ』という71年の作品だった。『エミタイ』から約30年、センベーヌの視線はセネガル女性を通して見事に通底している。
 『エミタイ』で描き出されていたのはフランスの植民地であった1940年代のセネガル。第二次大戦の欧州の波頭はアフリカ沿岸の寒村も巻き込んだ。大戦下、食糧不足となった本国、そして植民地のフランス人、現地徴用のセネガル兵士などのため、セネガルの民衆は食糧を強制徴用された。その時、先頭に立って粘り強く抵抗したのは女たちだった、と描かれていた。そして30年後の本作では、悪しき因習「割礼」に対する女たちの抵抗である。セネガル農村の牧歌的な情景のなかで誇張されることなく描き出す。
 センベーヌによれば現在、アフリカでは38カ国で少女に対する割礼が行なわれているという。国連の推計ではアフリカの女児・女性1億3千万人が施術を受けているという。
 監督は語る、「伝統的であろうが近代的であろうが、どんな方法であれ女性性器を切除するということは、女性の尊厳yあ誇りを傷つける。この古き悪習を廃止するために闘った母たちへ、この映画を捧げます」と。そんな監督の母世代に対する畏敬の念は、そのまま映画に明快なメッセージ性を持ち込んだ。芸術性ということでは瑕疵(かし)となるところも監督はそれを潔く受け入れ主張するのだ。
 
 「割礼」と書いてきたが、センベーヌは「女性性器切除」という言葉を選ぶ。「割礼」では宗教的な風習のなかに言葉が埋没し、その野蛮、暴力性があいまいとなる危うさがあるからだ。もっとも映画では、村の日常会話に溶け込んだ言葉として、リアリティーを重視して「割礼」と語り、同時にアフリカに根づいた批判を許さない悪しき伝統としての位置も明らかにする。

 映画は牧歌的な光景のなかを、怯えた4人の少女が走るシーンからはじまる。少女たちは「割礼」の儀式からほうほうのていで逃げ出してきたのだ。そして、少女たちは迷わずコレ(ファトゥマタ・クリバリ)という主婦が住む家に駆け込む。そうして、闘いが始まる。
 コレ自身、父母の教えにしたがって、かつて「割礼」を受けていた。それを受けないと、不浄、とみなされ、「ビラコロ」と差別され結婚もままならなかった時代の子であった。コラは割礼の後遺症で二人の子どもを流産し、無事生まれた娘も難産だった。そうした身に受けた不当な苦痛を、自分たちの世代は繰り返してはならないと不退転の抵抗者に育てた。
 男は女の苦しみを知らない。知ろうともしない。だから、因習に身体を張って抵抗できるのは女だけだ。一方、悪習を守護するのも、また女たちであることも主張する。「割礼」を業とする女割礼師たちは自分たちの権威が脅かされることに伝統の力を楯に抵抗する。矛盾は絶えず被差別者同士を戦わせるのだ。

 “アフリカ映画の父”といわれるセンベーヌだが最初に獲得した表現手段は文学であった。社会派のリアリズムの作家、現状変革を志す作家として植民者の言語で書きはじめた。しかし、識字率の低いセネガルでは文学はメッセージを伝える最良の手段とは成りえないと考え、映像作家の道に入っていったのだ。その時、若き“野心”を快く受け入れたのはソ連だった。タルコフスキーや、若き日のソクーロフを創造活動を邪魔しつづけた映画機構だが、途上国の若き才能を歓迎し、技術を惜しみなく伝授したのもまた社会主義下の撮影所であった。
 1年足らずのモスクワ留学で映画の語法を身につけて帰国すると、大地から滋養をえてカメラを回しはじめる。
 1965年、『黒人女』を制作する。ブラックアフリカ人が撮った最初の長編映画である。この映画の成功でセンベーヌは映像によってアフリカの声を雄弁に伝えることができる手ごたえを獲る。そのセンベーヌをして、最「割礼」を告発するまで、多くの伝統と闘うことを余儀なくされた。最初の映画から半世紀を経て、監督自身、最後の力を注ぎ込むようにして撮ったのが本作となる。それは監督自身、伝統との一騎打ち、生命を賭した戦いでもあったはずだ。映画は容赦なくコレに対する仕打ちを描く。
 少女たちを施術から救ったコレには過酷な鞭打ちの刑がまっていた。コレはそれに耐える。
 センベーヌはオプチミストではない。抵抗には手痛い代償がともなうことも教える。しかし、この苦痛に耐えなければアフリカの女たちに未来はないと主張することもためらわない。
 *2006・8記

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