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イサム・ノグチとフリーダ・カーロの恋、そして壁画

イサム・ノグチとフリーダ・カーロの恋、そして壁画

メキシコの歴史

 このところ、メキシコ・シティの旧市街で、終日喧騒につつまれたアベラルド・ロドリゲス市場にある縦約二メートル、横約二〇メートルの壁画が注目をあつめている。
 日系米国人イサム・ノグチ(1904~88)の彫塑の複合体壁画《メキシコの歴史》である。
 もっともメキシコを象徴するような記号はほとんどなく、欧州でのファシズムの台頭を敏感に捉えて造形化した一種のプロバカンダ的作品である。メッセージ色の希薄なノグチ作品には珍しく、ナチの鉤十字に押しつぶされる人間、肉体労働者たちの腕と拳、鉄骨やらツルハシ、建設重機などを直裁に造形し、量感と躍動感に満ちている。しかし、説明的に過ぎた作品であることは間違いないと思う。
 この壁画は長いこと忘却されていた。
 ここに来てにわかに注目されたのは、市内のルフィーノ・タマヨ美術館でイサム・ノグチ回顧展が開かれたからだ(6・3~9・5)。会場に参考資料として《メキシコの歴史》の大判写真が展示され、訪れた市民たちの間で、「え、こんな壁画も作っていたの?」「どこにあるの?」と、ちょっとした話題になったのである。回顧展では、パリ留学時代にブランクーシの助手を務めながら制作した初期作品から、縮小サンプルを活用しながら舞台美術、造園プロジェクトまで網羅する試みを含め約五〇点の作品が紹介された。
 そもそもノグチがグッゲンハイム財団の留学資金を得てメキシコ・シティを訪れたのは一九三六年、三二歳のときである。市当局は、制作スペースとして、イエズス会の元神学校を改造した市場の階段の踊り場に面した壁を与えた。
 植民地時代から大きな資産と、政治的な影響力をもったイエズス教団は一時、メキシコから追放され、その資産は政府に没収された。元神学校もそうして没収された施設だった。
 ノグチは、与えられたスーペスで野心的な試みを実現しようとした。多色セメントとレンガ彫刻による立体的な複合壁画の制作に八カ月奮闘することになった。
 メキシコには都市部を中心に無数の壁画が散在する。シケイロスやディエゴ・リベラ、オロスコらが主導的役割を果たした壁画運動は、一九二〇年代前半にメキシコ革命の煽りを受けて点火され、三〇~四〇年代に最盛期を迎えた。それ以後も、五〇年代の鎮静状態を経て、今日までおびただしい壁画が制作されてきた。
 
 壁画運動の最盛期は、メキシコ政治の変革期でもあった。ノグチとて時代の大気を吸わなければならない。造形じたいは類型的だが、ノグチの壁画には、力任せに壁に取り付いた若い息吹きが確かにとどめられている。ノグチはその時期、壁画制作の一方でディエゴ・リベラ夫人フリーダ・カーロに夢中になっていた。十代から共産党のシンパだったフリーダとの恋愛もまた、反ナチ的な壁画づくりに大きな影響を与えただろう。フリーダの父ギジェルモはドイツ系ユダヤ人である。
 フリーダがノグチに近づいたのは、夫リベラに対する絶望ではなかったか。ノグチが壁画に取り組んでいた頃、フリーダは《ちょっとした刺し傷》という血なまぐさい絵を描き、リベラに突きつけていた。そして、夫から経済的にも精神的にも自立しようともがいていた時期にあたる。そこへ若く野心的な芸術家ノグチが現われた。ノグチはフリーダより三歳年長である。親子ほども年齢のはなれたリベラに求めても得られない、同世代的な感性の触れ合いもあっただろう。ふたりは、たちまち恋に落ちた。
 夫リベラとの決別を考えていたフリーダだが、当時、まだサン・アンエルの家に同居していた。同居とはいってもリベラの大きな棟と、フリーダの居住兼アトリエの小さな棟と分かれていた。外側の通路で繋がっているだけで、それぞれ独立した空間を維持して暮らしていた。その小さな棟にノグチは足しげく通った、ということだが真相は分からない。リベラはリベラで大作壁画の制作と、若い愛人との恋愛で大忙し。そんなある日、ノグチとフリーダの不倫は発覚してしまう。密会用のアパートを借りようとしたふたりの引越し費用の請求書がリベラの手元に届いてしまったのだ。リベラはピストルを片手にふたりの寝室を急襲。ノグチは片足だけ靴下をはき、中庭のオレンジの木によじ登り、屋根伝いに遁走した……と。不倫発覚のエピソードは異説ある。そのサン・アンヘルの家屋は広い庭に囲まれている。隣家の尾根へすばやく昇り伝って遁走するには軽業師的な身のこなしが必要だと思う。とすれば、この話は後日、作られたものだろう。
 フリーダとの情熱的な愛といい、社会参与を意図した壁画といい、これはメキシコの熱帯高原の大気がノグチの五臓六腑を浸したせいだとしか思えない。
 ノグチがセメントを捏ねていた頃、おなじアベラルド・ロドリゲス市場の壁や天井に取り付いていた若い画家たちがいた。パブロ・オイギンス、アントニオ・ブホル、マリオン・グレース・グリーンウッド……彼らの壁画も忘れられ、無惨な状況にある。零細店舗が蝟集する市場は終日、客寄せの声、ラジカセの割れた音に満たされている。塵芥が舞い、段ボールが壁に沿って積み上げられ、ときには清涼飲料水が飛び散る。そこの壁画は消費される「装飾」ごとく扱われている。
 
 この市場のある界隈は観光地図で見向きもされず、自ら“中流”と意識するメキシコ市民なら近寄りたがらない。在留邦人も、誰が言い出したか知らないが「危険」で「汚い」場所として、実態知らずで敬遠している。確か在メキシコ日本大使館も旅行者などに、「絶対近づくな」と注意を呼びかけている地域だが、メキシコ庶民のぬくもりに満ち、貪欲な生活感がなまなましく横溢する貴重な場だと思う。
 元来、壁画運動は識字率の低い民衆に対して、絵画でもって民族意識や労働者の権利意識を教宣し目覚めさせるという社会運動の側面が強かった。民衆が日々、あつまる市場ほど壁画にふさわしい場はない。けれど運動が下火になれば、貴い理念もきょう明日の生活に追われる庶民には無縁な存在になる。
 ノグチの壁画は、零細店主たちの会合に使われる階段踊り場の壁に据えられている。せっかく回顧展で再認識されても「危険」とされる区域にわざわざ足を運んでみようという美術鑑賞者はいない。市場で汗し働いている労働者はイサム・ノグチを知らないし、おなじ市内の一角でノグチ回顧展なるものが開催されることなど無論、知らない。
     (『芸術新潮』1999年11月号掲載。拙著『フリーダ・カーロ』(新泉社刊)の第2部に収載))

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