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文庫化されない本のために №016  金子厚男著『シーボルトの絵師 ~埋もれていた三人の画業』

文庫化されない本のために №016
 金子厚男著『シーボルトの絵師 ~埋もれていた三人の画業』

 地方出版書の文庫化は少ない。全国区になりにくい題材を扱っているものが多いからだが、もちろん例外もまた多い。
 本書は江戸幕末から明治前期の美術史ということになるが、類書のなかに置いても十分、資料的価値を有するものだ。しかし、取り上げれた三人の列伝ということでは文庫化は至難だろう。
 まず、表題の「シーボルトの絵師」として働いた画家は、川原慶賀だけで、他のふたり百武兼行、倉場富三郎はシーボルトとの交わりはない。また、慶賀、兼行にしてもすでに評伝が書かれ、慶賀は充実した回顧展も開かれているので、とても「埋もれていた」とは言いがたい。こうした“売らんかな”のタイトルのつけ方は戴けないし、著者の仕事の価値を貶める。
 関連書が“全国区”で頒布されている慶賀、兼行についてはここでは省く。倉場富三郎に関してのみ記しておきたい。本書を手にするまでまったく筆者は不勉強にして、その存在すら認識していなかった。
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 幕末から明治期、政商として長崎で活躍したトマス・ブレーク・グラバーが日本人ツルと結婚してもうけた長男トミー改め富三郎、グラバーに倉場と当て字して、父の後を継いで実業家になった人である。絵師ではないが、画業はあった。それは、シーボルトが日本人絵師の力量を評価して幾多の博物図譜等を描かせたように、富三郎もまた日本近沿海で獲れる魚介類の図譜を描かせたからだ。富三郎生前中には印刻はされなかったが没後、長崎で刊行されている。そうした画業より、明治・大正・昭和の三代を英国人の血をもつ日本人として生きた男の物語として興味深く読んだ。
 明治の世は倒幕、維新政府に多大な貢献をなしたグラバーの子としての遇された富三郎も、日米英開戦となってから身辺が険呑になる。日本男子として生きてきた富三郎にも特高の監視がつくことになった、英国人の血をもつ“敵性”日本人となった。そして、八月九日の原爆でも生きながらえながら敗戦国から十一日目、自ら首を括って自死したのだ。そして、被爆死した人たちとともに荼毘にふされた。
 自殺のほんとうの理由はわかっていない。著者はもちろん推測を試みているが、それはむろん確証ではない。墓は長崎にあって父グラバーに寄り添って建つ。グラバーの碑銘は英語だが、富三郎のは日本語である。
 *昭和57年3月初版。青潮社刊(熊本市)。

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