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「時代は変わる」ボブ・ディラン、ノーベル文学賞

「時代は変わる」ボブ・ディラン、ノーベル文学賞
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 60年代初期のボブ・ディランの時代批評歌に「時代は変わる」がある。いまでもベストアルバムが編まれれば必ず入る名曲だ。その一節に、「ペンでしか予言できない作家や批評家たちよ 目を見開いてみろ~」と、当事者意識を欠いたインテリを批判するところがある。ディランのノーベル文学賞受賞とは、そのインテリのアカデミズムの牙城に取り込まれることであったのかも知れない。ディランがノーベル財団からの電話を長いこと受けることができなかったのも、そういう躊躇い、戸惑いがあったのかも知れない。しかし、歌の表題ではないが、確かに「時代は変わる」のである。
 米国歌手ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞の知らせは大きな驚きをもって迎 えられた。
毎年、候補に挙がる 村上春樹という大きな存在をもつ日本では文学賞の発表 は特別な思いを込めて注目さ れる。
 大戦後、英国のチャーチル元首相の回顧録が受賞した時も「文学」かという異論が出た。ディランの本業は 歌だから違和感を覚えた人も多かった。ディランは なにより歌唱の人。まず訴えたい言葉を紡ぎ、その言葉をのせる旋律とリズムを書いた、いわば三位一体の表現者。これを雅語的形容で“吟遊詩人”。受賞は、歌詞に対する評価であった。けれど、ロバート・アレン・ジマーマンというユダヤ人としての出自がわかる本名ではなく、ボブ・ディランという芸名をもったのは、英国の詩人ディラン・トマスに対する畏敬からであったとすれば、ディランはまず詩を詠む怒れる若者として時代を批評したのだ。その意味では文学賞に価する詩人である。

 ディランの歌が日本に 浸透したは70年安保の前夜だ ったろう。日本の若いフォーク歌 手らによって意訳されたともいえ るディラ
ン詞の暗喩と隠喩に富 んだ時代性が注目されら。ディ ランの歌のヒットで、ディラン ・トマスの詩集が初翻訳され、筆者も その箱入り上製の詩集を購入したものだ。当時の私にはそれがどう優れているものか良くわからなかった。けれど、ディラン・トマスの影響からアレン・ギンズバークを知り、訳者の諏訪優さんとささやかな交流がはじまったのだった。その諏訪さんも鬼籍が入られた。

 ディランの受賞は途上国の詩人や歌手たちにとって朗報となったと思う。識字率の低い国の若き改革者たちは、本ではなく、歌で民衆 にナニゴトかを告知、主張しよとす る。それは文学表現の積極的な拡張行為だ 。そうした才能を鼓舞したように思うのが、 今回の文学賞ではあったと思う。 個人的な感慨を吐露すれば、デ ィランの前にジョン・レノンに与え て欲しかったし、レノンの活動期、冷戦下のモスクワで、かつてのディランのようにアコースティック・ギターを片手に権力の抑圧と闘いながら多くの歌を遺した
ヴィソツキー(ヴラジーミル)に授与して欲しかった。彼の寿命ももう少し延びたかも知れない。
 文学賞選 考委員が世代交替しているとい われるが、ノーベル文学賞もや っと時代に追いついたとい印象だ 。やっと、「時代は変わる」季節を迎えた。  

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