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コンクールの後の精進について ~宮谷理香ピアノリサイタル

コンクールの後の精進について
 宮谷理香ピアノリサイタル
宮谷硬さをもった北風が窓を打つ音を聞きながら、ふと流亡の日々のショパンの音色を浮かんできた。それは4つのバラードだった。ショパンの祖国ポーランドが国境を接する覇権国家によって分断統治され独立を失った時代、彼がフランスにあって遠く故郷を想いながら書いた第1~第4番のなかのどれかで、それをいちいち確認しようとは思わず、ただ、風音とともに蘇生してくるピアノはつい最近、聴いたばかりの宮谷理香さんの見事な演奏から発している。
 今年も多くのピアノを聴いた。ショパンもさまざまプログラムで聴いた。そして、いちばん深く静寂を破る風の音とともに沁みこんできたのが宮谷さんの「バラード」第1~4番までの演奏だった。それを聴 きながら、私は演奏家の精進というものを、なにかに促されるままに想っていた。
 宮谷さんは1995年の第13回ショパン・ピアノコンクールで第5位に入賞し注目をあつめた才能だが、この5位という成績は正直、生き馬の目を射抜くショービジネスでの世界では実際のところ小さな効果しかもたらさない。それはご本人がよく知るところだったろう。宮谷さんはその成績の吟味を再スタートの低い位置と自覚し、その後の研鑽怠りなく堅実に精進し、実績を着実に積み上げてきた。その熱意ある精進というものが凛然と輝いているようなショパンが、11月23日に聴けたという感動であった。
 そんな宮谷さんのショパンを聴きながらコンクールの魔性、といっては言い過ぎかもしれないが、優れた音楽家の、そこから先の来し方を変え ることが多々ある事実を直視しないわけにはいかない。その日の宮谷さんのピアノはコンクールで弾かれた音とは、まったく質の異なるものに違いない。コンクールの時点からの発展というのではなく、その演奏家の周囲に否応もなく生起しては消えてゆくさまざまな変化そのものを受け入れ、対処しながら演奏を磨いてゆくという人間として音楽家として迫られる問い直しがあったように思う。そういうことを想いながらコンクールを考えてしまう。
 ショパンコンクールは1927年にはじまった。その第一回目の参加者のなかに後年、ソ連ロシアを代表する大作曲家となるショスタコーヴッチがいた。当年20歳のレニングラード音楽院の英才だったが、記録にのこる第4位までの入賞者にも入っていない。早々と落選してしまったのだ。一説には盲腸炎の痛みで思うように演奏できなかったといわれるが、今となっては確認しようのないことだ。体調不良とはいえ落選したのは20歳の青年にはそうとう堪えるものだったろう。それが転機になったか、本格的な作曲活動の道を自ら拓くことになる。落選は今日のわれわれに巨大な秀作群を遺すことになった。これは落選させた審査員諸氏に率直に感謝しなければいけないだろう。
 戦時中の中断から戦後、再興されたコンクールの受賞者たちの顔ぶれは凄い。この受賞者一覧そのものが同コンクールを至高の極みにまつりあげた。残念ながらまだ日本人の優勝者は出ていない。最初のアジア人の優勝者はベトナムから出た。ダイ・タン・ソンである。しかし、優勝後、しばらくは国境を越えた演奏活動をしていたが、今日、ほとんど話題にのぼることがなくなっている。国内にあっては、おそらく“国民的英雄”として雑事にそうとう翻弄されたと思う。そんな情報ももれ聞く。まだ国内にはベトナム戦争直後の疲弊した経済環境のなかで生きて行かねばならなかったダイ・タイ・ソンは社会主義国家の名誉称号を公的に活用されることを甘受しなければならない立場にあった。
 その次の優勝者がソ連時代、最後のロシア人優勝者となったスタニスラフ・ブーニンである。本国ではさほどの評価を今日でも高くないが、なぜか日本ではロックスター並みの圧倒的な支持を得た。武道館でのコンクールなんていうこともやった。おそらく日本のみの発売となっただろうが早すぎる自叙伝も出した。日本のブーニンなのだ。そのうち、その自叙伝については書こうと思っているが、ソ連時代のクラシック界の裏情報というか裏話がペレストロイカの影響か、けっこう生なましく書き込まれていて一個の証言集として資料にしておきたいものだ。しかし、彼もまた伸び悩んでいる。現在時点では絶対に宮谷さんのピアニズムの芳香のほうがはるかに豊かなはずだ。そして、これからも熟成されてゆく確実な予感がある。
 もし、宮谷さんが仮に95年に優勝でもしたら過度な演奏ツアーのなかで押しつぶされていたかも知れない。私たちは、すでに米国テキサス生まれの天才ヴァン・クライバーンの悲劇を知っている。ソ連のチャイコフスキー・コンクールで優勝し、米国で破格のギャラでのオファーに抗しきれず、過度の演奏ツアーの波に呑み込まれ腕の筋肉をボロボロにしてしまった青年演奏家の失楽を・・・。
 宮谷さんには是非、マイペースで精進してもらい。演奏家としての道はまだ長いはずだから。
*2016年11月23日、東京文化会館小ホールにて。

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