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グァテマラ日本写真館主人ファン・ホセ・デ・ヤス   ~屋須弘平の生涯 其の壱

グァテマラ日本写真館主人ファン・ホセ・デ・ヤス
  ~屋須弘平の生涯  其の壱
yasu結婚四季の移り変わりを知らない風土に暮らしていると、時の流れを容易に知覚できない。
 季節(とき)はとても緩慢にのっぺりとゆっくりと滑ってゆくような印象で、あるとき乾季から雨季の端境いまでが1年にも思えることがある。ましてや温暖な大気しか流れこまない熱帯盆地に刻まれる心音はいたって怠惰で、その振幅のゆるやかさは午睡をさそう。
 中央アメリカ地峡の北端グァテマラの首都から車で40分ほど走ったところにあるパンチョイ盆地。標高1400メートルに地は、熱帯に位置しながら涼しい。乾季の早朝にはセーターすら欲しくなるほど冷える。まるで軽井沢の夏である。太陽は一年を通して、その勢いを減じることはないが、ひとたび日陰に潜りこめば、そこは爽やかな緑の風が吹き抜けるサロンである。
 大宇宙と、精緻きわまりない〈聖〉数学ともいえる知識を獲得し、神聖文字を媒体に対話しつづけた文明マヤの民を、野蛮で無慈悲な武力で制圧したスペイン征服者は1527年、この地の一角にアルモロンガというスペイン風の小さな町を建てる。そこが火山の噴火によって発生した泥流に押し流されると、こんどは五キロほど下った地に1541年、サンチャゴ・デ・グァテマラという都市を築いた。
 その地はマヤ先住民カクチケル族の神殿のある聖地でもあったが、スペインの征服者たちは無論、容赦しなかった。マヤ神殿を崩し、そこに大聖堂を建てた。いまもその聖堂は町の信仰の中心として活きている。裏庭の一角にはいまも神殿の小さな地下部が遺り、日曜日にはひっそりとそこに詣でる民族衣装の一団がいる。
 サンチャゴ市は創建早々、中央アメリカ一帯を占有したスペイン人たちの中心地としての役割を担うことになる。以後、大地震で首都機能を喪失するまでの230有余年、アメリカ大陸有数の都市として殷賑をきわめた。南北アメリカ地域における4番目の大学がこの地に設けられ、ローマン・カトリックの各修道会の中米における布教の本拠地となる大伽藍が次々と建立されていった。
 絶頂期には6万の人口を数え、グァテマラ総督府、軍隊施設、60の教会・修道院、市庁舎、大学、造幣局、幾多の宿泊施設が建ち並ぶことになった。しかし、1773年7月、サンチャゴを大地震が襲う。瞬時に破壊され廃墟と化した。総督府は町を放棄し、建物の残骸は放置された。しかし、この町を愛する人びとは大伽藍の廃墟を避けながら復興に手をつけ、やがてサンチャゴは植民地時代の面影を遺す都市モニュメントとしてユネスコの世界遺産となるのだが、むろん、それは後年の話だが、町の名は単に「古い」を意味するアンティグアといつしか呼ばれるようになった。
 このアンティグアに、日本の元号でいえば明治26年、写真館を開いた日本人がいた。この町、最初の写真館である。彼の名を屋須弘平という。屋須はそれまで足掛け17年、グァテマラに暮し、その生活はすっかり、グァテマラに溶け込み自ら洗礼を享けファン・ホセ・デ・ヤスと名乗っていた。
 アンティグアでは多くの顧客を獲得する傍ら、折りをみては“芸術”と自覚することなく創意工夫あふれるプライベートな写真を撮りつづけていた。
 1917(大正6)年に死去するまでの22年間、屋須の生活はこの地にあった。その後半生は、波乱にみちた前半生の歳月と比べるとき、信じられないほど平穏な日々であった。
 前半生を嵐の海というなら、アンティグアでの生活は内陸の淡水湖のような静穏な気配に満ちていた。ただ、そんな静穏も老弱した肉体を襲った病いによって奪われた。
 死期を悟ったのであろうか、屋須はふたつの手記を書く。ひとつはスペイン語で、もうひとつは日本語で……。スペイン語の手記は、文節の冒頭を花文字で飾り、備忘録でも手元において綴ったのだろう、月日の記述も克明なものである。そして小さな手帖の余白に日本語で手記というより、覚え書き、雑記といった感じでつれづれなるがままに記していた。そこには家族への控え目な不満が書き込まれ、日本語で書くことによってグァテマラ人の妻は理解できないという前提で、屋須の本音が零(こぼ)れてる。しかし、その日本語を誰に読ませようとしたのか? 首都グァテマラ・シティに当時、明治前期、日本の遊芸団が幾つかラテンアメリカ各地を巡業していたのだが、どういう事情かはいまとなっては分からないが、帰国の旅費を工面できずに住み着いた日本女性がいたことが確認されているので、あるいは、そうした人の手に渡ることを想定していたのかも知れない。しかし、あくまで憶測の域はでない。
 病いに伏せた床のなかで日本語を走らせた数行のメモの一つに、いま食べたいものとして、日本の食材を想い出すままに書きつけている。それは屋須の晩年の孤愁を感じさせるものであった。 (つづく) ☆後日、補筆・訂正の予定あり。

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