スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

天満敦子の「バラーダ」

 天満敦子の「バラーダ」

天満敦子
 *何回か接した天満敦子さんリサイタルのなかで、なんとなく印象を書いたのが下記の一編。天満さんの最良の演奏というわけではないが、私自身の備忘録として採録してみた。


 慈しみながら確かな腕で弾きこんだ〈音楽〉には魂が宿る。
 天満敦子のストラディバリウスで奏でるポルムベスクの「バラーダ」には、聴くものをして激しい浄化作用をもたらす。人生の越し方とでもいうべきか、ふだん俗性に埋もれ、自分の肉体に溜まった滓(おり)のようなものを洗い出してくれるような浄化作用がある。5月初夏の爽やかな一夜、天満のリサイタルで出会った「バラーダ」はそんな感興を与えてくれた。
 「バラーダ」の古びた楽譜が天満の手元に渡るまでの数奇なエピソードによって、その没個性的な表題は、「望郷のバラード」と象徴性をおびることになった。高木のぶ子の長編『百年の預言』に大いなる啓示をあたえたバラード。
 1853年、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったルーマニアに生まれたチプリアン・ポルムベスクは、時代の激流に呑み込まれ、わずか29歳で夭折した作曲家。音楽活動とともに独立運動にもかかわり投獄されている。夭折ゆえの神話だろうが、「バラーダ」は獄中で作られたという伝説があるらしいが、ウィーンに留学中、望郷の思いをこめられて作曲されたというのが真相らしい。
 9分ほどの小曲だが、曲想はゆたかで〈望郷〉は窓辺に忍びより、胸を叩き、やがて激情となって嗚咽し、そして魂の安らぎに導かれるという流麗な起伏にみちている。骨格のしっかりした分かり易い曲でもある。それ故、ルーマニアでは誰ひとり知らぬ者はいないという民族的な象徴曲となったのだろう。しかし、国外ではほとんど知られることなく、大戦後はチャウシェスクの共産党独裁の鉄のカーテンが、バラーダの国境超えを阻み、秘曲となった。革命前ルーマニアにジョルジェ・エネスクという傑出したヴァイオリニストがいた。日本では「ルーマニア狂詩曲」などの作曲家でしられるが、生前はヴァイオリンニストとしての評価の方が高かった。彼はパブロ・カザルスの友人であり、しばしば三重奏曲などで協演していた。そのエネスクからカザルスは、「バラーダ」を聴かせられなかったのか、とふと思った。カザルスが知っていたらチェロ曲として熟成された作品にもなったように思うし、ポルムべスクへの思想的共感も発芽したと思うのだが……。
 天満が「バラーダ」と出会うのも東欧諸国に自由化の波が訪れた後の93年。以来、天満は「バラーダ」をリサイタルのなかで繰り返し演奏しつづけ、手塩にかけて熟成した。ひとつのヴァイオリン曲がひとりの日本人によってかくまで完成の高みまで昇華された例は皆無だろう。天満のリサイタルに行って「バラーダ」を所望しない者はいない。そんな作品になってしまったようだ。十八番(おはこ)とは天満の「バラーダ」のような場合をいう。
 しかし、当夜、天満がもっとも聴かせたかったであろうバッハ「無伴奏バイオリン・ソナタ第1番ト短調」は、とても私の観想に会うものではなかった。バッハの〈神〉はまったく不在だった。この曲には技巧の突出はいらないのだし、烈しさは内に秘めるものだと思う。ラヴェルの「ツィガーヌ」はよかった。天満は、「バラーダ」もそうだが近代ヴァイオリン曲に才能がきらめくようだ。TV『シルクロード浪漫』のテーマ曲として放映済みらしいが、小林亜星の「地平を翔る風」が初演されたが、これも中庸のでき。こうした曲はヴァイオリンよりニ胡の抒情だろうし、女子十二楽坊あたりの合奏なら西域への憧れが飛翔するだろう。(2005年5月14日、東京・紀尾井ホール)

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。