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メキシコ音楽話題 ④ ビクトル・ハラの暗殺者、逮捕

メキシコ音楽話題 ④ ビクトル・ハラの暗殺者、逮捕

ビクトル・ハラ

 1973年9月11日、南米チリのアジェンデ革命政権がピノチェット将軍の軍事クーデターで崩壊した。それからはじまったアジェンデ派に対する軍部の容赦ない弾圧は、多くの生命を奪った。そのひとりがチリ、いやラテンアメリカの大衆音楽にとって掛け替えのない才能だったビクトル・ハラがいる。歌手、そして作詞・作曲、そして演劇活動でも非凡な才能を発揮した演出家でもあったビクトル・ハラ。その34年、たったそれだけの生涯にかかわらず密度が濃すぎた。あまりにも劇的だった。
 ハラはアジェンデ派の歌手として軍部のブラックリストの1ページに記載される存在だった。逮捕されサッカー場に強制収監された。そこでハラは、死を待つひとびとを励ますためギターをかき鳴らし、歌いつづけた。そんな英雄的なハラに対し軍当局は彼の手首を打ち砕き、ギターを奪った。伝説は、それでもハラは声をかぎりに収監された人たちを鼓舞するために歌いつづけ、殺されたと伝える。チリ現代史のいたましい悲劇として、いまや神話となっている。
 ピノチェットの軍事独裁政権がはじまってからアジェンデ派の多くの才能は祖国を後にした。音楽家だけでなく文学者、美術家、そして多くの知識人が祖国を追われるか、自ら亡命の道を選んだ。
 メキシコはそうしたアジェンデ派のチリ人を迎え、擁護した。
 メキシコ・シティには多くのヌエバ・カンシオン系の歌手が亡命してきた。そんな彼らを暖かく迎えたのは、民衆派の音楽集団ディスコ・プエブロであった。それまで米州機構(OAS)から追放されていたキューバの音楽家たちに活動の場を提供していたメキシコ人たちだった。
 ビオレッタ・パラの息子アンヘル、娘イザベラなどもそこに加わった。そして、彼らは、メキシコ・シティを活動の拠点にして、いつ終わるとも知れない亡命の日々を生活の基盤を整えた。そして、創作活動を持続させるためにベーニャ(ライブ・ハウス)をつくり、アルバムも制作していた。したがってメキシコの良心的な音楽人にとってチリ政治の動向は他人事ではない親近感があった。だから、5月29日、ビクトル・ハラを暗殺した犯人が36年ぶりに逮捕されたというニュースは芸能面だけなく、国際面でも大きく取り扱われた。
 チリの裁判官のコメントなども引用したニュースは、その犯人はビクトル・ハラの暗殺だけでなく多くの人権犯罪に関与した疑いで逮捕されたものだ。ハラの殺害は、軍事クーデターから4日を経た15日に行なわれたということだ。
 チリでは現在もピノチェット軍事独裁下で起きた人権犯罪への究明が持続的に進められているが全容解明までには至っていない。
 最近、ハラの短くも英雄的な生涯をテーマにハリウッドで映画化の企画が出た。アントニオ・バンデラスがハラを演じるというものだが、制作は進んでいるだろうか? バンデラスはピノチェット独裁政権に翻弄される人々を描いた映画『精霊たちの家』にも主演している。チリの亡命作家イザベル・アジェンデの代表的な小説が原作である。アジェンデ大統領は彼女の叔父だ。バンデラスは確か、もう1本、同時代のチリで人権活動に関わるフォト・ジャーナリスト役を演じた映画でも主演している。彼とチリとの関わりは深い。 
 ハラのうただが、70~80年代の日本ではさかんに「アマンダの思い出」などが歌われた。最近、まったく聴かれなくなってしまった。日本では、横井久美子さんが自ら訳詞を書いて、ながいこと持ち歌としていた。いまでも歌っているのだろう。
 日本でもビクトル・ハラの再評価が望まれる。 (2010)  

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