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文庫化されない本のために 019  落合清彦『江戸の黙示録』思索社

文庫化されない本のために 019 
 
 落合清彦『江戸の黙示録』  思索社刊

 1983年の出版。主に歌舞伎を中心に論じて、バブル期の日本のいわゆる爛熟を照射していた、と思う。傾聴すべき諸編が多数収録されている。
 歌舞伎でいえば玉三郎全盛期、その相方としての片岡孝夫(現・仁左衛門)などが見出された時代になるわけだが、この当時、歌舞伎を論じて、異端モノ、奇異譚、鶴岡南北の闇があやしき燐光を放ち、泉鏡花の作品が玉三郎などによって新装、あらたな展開をみせた時代でもある。市川猿之助(現・猿翁)のスペクタルなスーパー歌舞伎への助走が・・・要は歌舞伎の世界も社会のバブル景気に寄り添っていた。そんな時代を反映し象徴もしている一冊となろうか。
 「日本怪奇劇の展開」「返り血をあびる男」「遊里と男色と歌舞伎」といった緒論の表題を取り出すだけ で本書の雰囲気がにわかに漂ってくると思う。緒論の一遍に、「三島歌舞伎のせりふと技巧」というのがある。小説論は無数にあるといって良い三島文学だが、三島歌舞伎八編を詳細に論じたものは少ない。これを論じる力は小生にはないけど、貴重な論考として留めておきたい。
 そして、最後、本書における終章に挿絵画家・小村雪岱を論じた「繊細なる妖しさ」がある。泉鏡花の新聞小説などの挿絵を手がけ、本の装丁もまかわされた画家。画家の余技として見られる挿絵に自己表現を仮託した埼玉は川越生まれの美術の職人。喜多川歌麿も川越生。
 著者は、鏑木清方、木村荘八、そして雪岱を近代日本の挿絵家の三絶と評価する立場から論じている。今日、清方はあの流麗な女人像などによっ て全集の一巻を占める位置を獲得しているが、荘八、雪岱の仕事は、たとえば、泉鏡花の全集などが繰り返し再刊されても、新聞連載当時の「挿絵」は無視されてしまう。だから、これを論じる人は必然、少なくなってしまう。
 雪岱が描く挿絵は江戸から明治、大正にかけての風俗、そして小説中の人物たちであった。
 小村
昔のあだな女を「小またの切れあがった女」と比喩したけど、それはこんな女たちなのだろうと若き筆者に指し示したのは雪岱の絵であったように思う。雪岱は、挿絵、本の装丁ばかりでなく舞台美術も数多く手がけた。というより雪岱の出自が舞台装置家であったことを著者より教えられた。
 近代日本の大衆文学は芝居と切り離すことはできない。優れた舞台装置とは芝居を 象徴的に解釈するものとすれば、雪岱の挿絵が小説の巧みな解釈となるのは必然だったろう。この人気作家は多忙な“職人”として仕事を抱えながら54の働き盛りのなかで斃れた。

*昭和58年5月初版・絶版。思索社刊行。

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