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私憤から公憤へ ~映画『ラビング ~愛という名前のふたり』ジェフ・コリンズ監督

私憤から公憤へ 映画『ラビング ~愛という名前のふたり』ジェフ・コリンズ監督
ラビング
 愛はときとして人を強靭にする。愛の力によって市井の人が控えめに歴史の一ページを開いてしまうことすらある。それはおそらく宝くじに当たるより稀なことだろうが、大金を確かに手にする人がいるように、平凡な幸せをもとめた愛が歴史の戸を叩き、開くことはある。そんな、“至高の愛”はまたごくごく平凡な営みであったりする。そういう奇跡をおだやかに綴って深い感動を誘う映画が『ラビング』だ。

 1958年というから、小生が小学生になって間もないころとなるが、米国南部州、つまり南北戦争で破れた州では異人種間の通婚を禁じる法が生きていた。むろん、異人種とは、そこではアフロ系市民、黒人を指していた。白人は黒人と結婚してはならぬ、ではなく、黒人は白人と結婚を禁じる、望むなというニュアンスだろう。そして、それは1967年まで生きた法として存続していた。ビートルズが史上初の国際衛星放送で「愛こそはすべて」と歌った、その年の6月まで処罰のされている恋人たちがいたということだ。現在、南部ジョージア州の州歌はレイ・チャールズの「わが心のジョージア」だが、そのレイ自身、同州の黒人差別法を批判し、公演を拒否したため生まれ故郷から追放され、それが解除されたのは1979年のことだった。そうした時代背景を少し頭の片隅において本作を観るのはひとつの見識であろう。

 バージニア州の寒村で暮らす白人大工のリチャード・ラビング(ジョエル・エドガートン)は黒人の恋人ミルドレッド(ルース・ネッガ)から妊娠を告げられ、即座に結婚を申し込む。ラビングにとって、それはごくごく自然の成り行きであって、ミルドレッドと生涯をともにしようと決意する。けれど、排他的な風土の南部州に生まれ住む二人にとって、その決意がどれほど白眼視されるかも熟知している。だから、異人種間の結婚がみとめられている北部州に赴き、ささやかな結婚式をあげる。そして、地元に帰り、つつましい生活を営みはじめる。しかし、悪法もまた法、ふたりは地元の保安官に逮捕されてしまう。裁判で結婚を解消できないならバージニア州に住むことはできないと北部州へ転居する。しかし、ラビングは 町の暮しは合わなかった。そこから自然とバージニア州法に疑問を抱き裁判を起こす。同じ国のなかで法律が違うのはおかしいし、なにより異人種が結婚できないというのは神の意思に反している・・・素朴だが人間存在の根源的な問題だ。
 
 今日の米国映画の大きな特徴は「裁判」である。訴訟社会といわれるほど弁護士の数が多い米国の反映である。そうした映画は法廷を舞台にするため雄弁な台詞の応酬劇ともなっている。本作も一種の裁判劇である。しかし、なんと台詞の少ない映画だろう。 ラビングが朴訥した田舎の青年で、言葉を能弁に修飾することなど無縁な人柄。妻のミルドレッドはそんな夫ラビングを好ましく重い寄り添うことで平安を得ようという女。だからミルドレッドも夫以上に寡黙というひと。
 裁判は、最高裁まで争われ、すべての異人種間結婚禁止法は違憲として、原告のラビングの勝訴となる。その裁判の席にもラビングもミルドレッドはいなかった。米国にとって歴史的な日となった、その日もラビング夫妻は静かな田舎で平穏に働いているだけだ。スポットライトを浴びることなど、自分たちには似合わない、と。

 怒りを抑えた「私憤」が、やがて歴史を動かす「公憤」へと上昇してゆく劇なのだが、映画はその高揚感すら、ふたりの静かな愛の営みの日々をささやかに彩るおだやかな旋律に変えてみせてくれる。
 観る者に静謐だが、たしかな温もりを与えてくれる作品だ。
 こんな映画が、人種差別、民族差別、宗教差別、さらに性差別まで繰り返したトランプ氏が大統領の座を射止めた2016年に米国で制作された。
 *3月公開予定。

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