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映画『クレアモントホテル』 ダン・アイアランド監督

映画『クレアモントホテル』 ダン・アイアランド監督

映画「クレアモントホテル」

 よい話だ。秋の陽が紅葉の葉陰を通して輝いている、そんな慰安のひとときを味わえる。
人のめぐりあいの不思議さは、それこそ人智を超えた神の御業(みわざ)としか思えないことがある。人はそれを運命とか奇跡的という言葉でその邂逅を称える。そこに無数の詩が生まれ、小説によって出会いの綾を織りなそうとする。人のめぐりあいは老いも若きも遭遇する宿命だが、至福もあれば、哀話にもなる。この映画では幸福なめぐりあいを描いている。こんな世相だから、映画ぐらい心をあたたかくしたい。
映画は、老女と青年の心の交流のドラマである。そこにひそやかな〈愛〉の絵姿をしのばせる。めったにあることではないから人は絵空事というだろう。しかし、事実は小説より奇なり、というほど巷にはこういう話はいくらでもある。まさか、と否定しても、巷説にはみな火種があるのだ。
作者はエリザベス・テラー、あの世紀の美女といわれた女優さんと同姓同名。生きた時代もまた同じで、作家はたえず高名な俳優に比較されていたという。いつも女優さんの下風に立たされていた。そんな風を受けながら人間社会の虚と実をじっくりと観察し、その心の奥を洞察しながら幾多の作品を発表していた。同名の原作も作家が晩年、ガンに侵され闘病生活のなかで“遺作”になることを予期しながら丹念に紡がれた小説だった。
〈死〉を指呼の間に見据えながら、老いを最良にいきるための平常心といったものを明晰に書き込んだ小説だった。
主人公のパルフリー夫人(ジョーン・プロウライト)は「これまでの人生、私はずっと誰かの娘で、誰かの妻で、誰かの母親だった」と客観視することのできる賢明な女性だ。半生を否定しているわけではない、むしろ天明として受け入れ、そのなかで堅実に自己を全うしてきた賢婦だろう。いわば男社会がつくりあげてきた「美徳」を実践してきた女性だ。それに反発するときはあったとしても両親の慈愛を受け、夫に愛されて生きていれば、女としてのしあわせを肯定できる時代に生きてきた。人間は誰しも時代の限界のなかでしか生きられない。けれど、パルフリー夫人は「だから残りの人生は、私として生きたい」と念じ、すこしでも健康なうちにと行動を起こす。その基地にしようと選んだのが、老いた人たちが長期滞在をする「クレアモンホテル」。ロンドン市中にある。こういうホテルは日本にない(今のところは)……。日本なら炊事のできる山間の湯治場となるだろうか。
物語は、このホテルにパルフリー夫人が到着するところからはじまり……某日、ホテルの玄関を出たところで階段につまずき病院に運び込まれ、(死に至るかもしれない)入院生活の日々を描いたところで終わる。だから話は、健康的に過ごせたホテル滞在中の「私として生きた」日々を描いている。
発端も、図書館で本を借りての帰路、つまずいて転ぶ。その鋪道の前に住む作家志望の青年メイヤー(ルパート・フレンド)に抱き起こされ、部屋で擦り傷の手当てを受けたことからふたりの偽孫、偽おばあちゃんとしての心の交流がはじまり、おたがいの家族の背景なども描かれもすれば、彼の恋愛も語られる。
近年、高齢者モノというカテゴリーで括れそうな作品を意識的に上映しているように思える岩波ホールだが、正直言って課題先行だなと思うような作品もあって本作もさほど期待しなかったが、違った。俄然、支持したい。   

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