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旅立ったアノ人、コノ人 其の四 石垣りんさん 「お茶汲み」で思索した詩人

旅立ったアノ人、コノ人 其の四 石垣りんさん 「お茶汲み」で思索した詩人

 気忙しい師走二十六日、石垣りんさんが逝った。悲報に違いないが、たちまち柔和な笑顔が思い出された。私の知るりんさんは六十代前半で若々しい。それこそ「凛」とした印象だ。一九八〇年、りんさんの詩を月一回、当時、勤めていた新聞の月の最初の号に寄稿していただいた。
 戦前、高等小学校を卒業すると日本興行銀行に入行、定年まで文字通り「お茶汲み」一筋で過ごしたと追懐されていた頃、りんさんに季節感がなんとはなしに感じられるような詩を、と連載をお願いした。最初の原稿はジングルベルが響く大田区の商店街の小さな古風な喫茶店でお受けした。
 寡作な詩人だった。けれど、最良の読者に恵まれていた詩人だった。
 最初の詩集を出されたのが三十九歳、詩の世界では遅咲きかも知れない。第二詩集はそれから十年後。初期の詩は、組合活動のなかで機関紙や壁新聞などに発表されたものだった。といって直截な言葉で〈闘争〉することはなかった。生きがたい生活の真実を、日常語を選別して鋭利な有機物に換えていた。それは人を傷つけなかったが、読者の心奥に喰い込んだ。組合活動に積極的に加わっても「お茶汲み」から解放されたわけではない。
 詩集がH賞や田村俊子賞を受賞しても仕事は代わりばえしなかった。そのことに不満を漏らしも、退職願を出すことなくきっちり勤め上げた。しかし、「お茶汲み」の場から人間の本質をじっくり観察しつづけていた。その眼光の鋭さは退職後も変わらなかった。
 一二ヵ月間、詩を戴くために都内で定期的にお会いした。四方山話、何を話したか……。会話が途切れる。言葉を選別するような一瞬の沈黙のなかに鋭利があった。それはしばらく私を捉えた。
 正月、古い年賀状を整理していたら、りんさんから戴いた八年分の年賀状(それも佳品)とともに自筆原稿が出てきた。当時どこの文具店でも売っていた四百字詰めコクヨ製原稿用紙に鉛筆で清書された「汗をながしたあと」。一九八〇年元旦の新聞に掲載された。
 
 新しい年が明けたら
 どの辺に虹が立つか
 目を上げて見張っていよう。もし虹が立ったら
 見つけた者から渡っていこう
 誘い合って。
 向こうに新しい町をつくる
 戻れない橋をしっかりと渡って行く
 
 その詩には、「汚職と利権と専横に陰る古い町」という一節があって、そんな「古い町」とおさらばし、希望と可能性にみちた「町」を目指せと語る。それは現実の町を意味しない。人それぞれが抱える濁を振り払って前へ前へと背を押す詩だったが、今度はりんさん自身が、汚濁に満ちた現世におさらばし、永遠に「新しい町」に旅立ってしまった。享年八十四歳だった。合掌。 (2005年1月記)

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