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映画『今夜、列車は走る』 ニコラス・トゥオッツオ監督(アルゼンチン)

映画『今夜、列車は走る』 ニコラス・トゥオッツオ監督
今夜、列車が走る

 近年、アルゼンチンから年に数本、映画が入るようになった。残念なのは首都圏の単館公開で終わりDVD化もされないことだろうか。
 2001年、1320億ドルというとてつもない金額に膨れ上がった対外債務を払うことができず経済破綻、同国の紙幣は紙くず同然となった。それでも人びとの営みはある。本作も、経済危機を背景にした庶民の話だ。05年に日本でも公開された『僕と未来のブエノスアイレス』もそうなら、昨年公開されたドキュメント映画『12タンゴ~ブエノスアイレスへの往復切符』も経済破綻で苦しむ庶民の哀歓が描写されていた。苦境のなかでこそ人間関係の質が問われるだろう。そこに物語がうまれる。たぶん、同国では、映画だけでなく、さまざまな表現領域に「経済危機」が発想の磁場となってゆくのだろう。『12タンゴ』では、経済危機そのものが創作タンゴとして歌い込まれた新作があったことを思い出す。
 さて本作。儲からない、採算が取れなくなったと地方鉄道が廃止され、その従業員はお涙金と引き換えに失業した。物語は解雇された5人、とその家族の話である。廃線前に自ら縊死した者もいるので、本編では4人の話となるが、縊死した労働者の息子がそれに変わって物語りに入り込む。なにせ縊死するシーンが冒頭にあるから、息詰まるような展開になることを予測させ、みる方も身構えるが、語りの軽やかさは庶民劇として、かつての松竹大船調とも思える淡彩感があって重苦しさは払拭されている。しかし、内実の重さは変わらない。解雇を拒否し、自発的に職場に出ていた男も職場で倒れ急死する。失業者の3人までが死ぬのだ。 
 タクシー運転手となった男は初日から強盗に襲われる弱り目に祟り目。生涯独身を貫いた初老の労働者には懇意にしている娼婦がいた。ふたりは事実上の愛人関係にあるのだが、男は必ず金を払おうとする。けれど、娼婦の方が別れ際、男のポケットにそっと金を偲ばせるシーンがあって哀感をさそう。そういう細やかな寸劇が適宜、はさみこまれ物語の重圧を癒す。しかし、その初老の独身男が人生起死回生を図ろうとスーパーマーケットに押込むところから話は急転する。
 モーターゼーションの優位は採算性の薄い地方鉄道を次つぎと廃線に追いむ。世界中どこでも見られる現象だ。かつての日本の現実でもあった。
時代は容赦なく、かつての花形事業を衰退に追い込み、忘れ、ゴミとして投げ出す。しかし、事業である限り、それが終わるまで多くの人がその仕事にたずさわっている。
 スーパーに押し入った失業者たちはたちまち通報を受けた警察に取り囲まれ、従業員と客は人質ということになってしまう。うまくいけばレジから小金をあつめてドロンと思っていただろうが、そこは素人、要領悪く、結果的に凶悪犯となってしまう。そのひとり、娼婦の愛人から金を返された初老の男だが、警察の狙撃にあってあえなく落命する。なんとも出口のない物語だ。
 これが現実と投げ出しても良かっただろう。話は成立していたし、少々、後味が悪くとも社会的メッセージは発せられたと思う。
 失業者の子どもたち、そこには縊死した父親を持つ男の子もいるのだが、倒産以来、動くことのなかったジーゼル列車を走らせた。その列車は、スーパーの前を通り過ぎる。それは取ってつけたようなシーンだと思う。しかし、監督は最初から、そのシーンを最後に起きたくて物語をつくったようにも思える。表題もそこに由来している。10代の少年・少女たちのとっぴな行動で「未来」が象徴される。列車は走った。しかし、それは一度きりのイベントなのだ。現実は過酷だが、自分たちも親たちと一緒に乗りこえよう。そんなメッセージを感じた。それをオプチミズムといえようか? 
映画『今夜、列車は走る』 ニコラス・トゥオッツオ監督

 近年、アルゼンチンから年に数本、映画が入るようになった。残念なのは首都圏の単館公開で終わりDVD化もされないことだろうか。
 2001年、1320億ドルというとてつもない金額に膨れ上がった対外債務を払うことができず経済破綻、同国の紙幣は紙くず同然となった。それでも人びとの営みはある。本作も、経済危機を背景にした庶民の話だ。05年に日本でも公開された『僕と未来のブエノスアイレス』もそうなら、昨年公開されたドキュメント映画『12タンゴ~ブエノスアイレスへの往復切符』も経済破綻で苦しむ庶民の哀歓が描写されていた。苦境のなかでこそ人間関係の質が問われるだろう。そこに物語がうまれる。たぶん、同国では、映画だけでなく、さまざまな表現領域に「経済危機」が発想の磁場となってゆくのだろう。『12タンゴ』では、経済危機そのものが創作タンゴとして歌い込まれた新作があったことを思い出す。
 さて本作。儲からない、採算が取れなくなったと地方鉄道が廃止され、その従業員はお涙金と引き換えに失業した。物語は解雇された5人、とその家族の話である。廃線前に自ら縊死した者もいるので、本編では4人の話となるが、縊死した労働者の息子がそれに変わって物語りに入り込む。なにせ縊死するシーンが冒頭にあるから、息詰まるような展開になることを予測させ、みる方も身構えるが、語りの軽やかさは庶民劇として、かつての松竹大船調とも思える淡彩感があって重苦しさは払拭されている。しかし、内実の重さは変わらない。解雇を拒否し、自発的に職場に出ていた男も職場で倒れ急死する。失業者の3人までが死ぬのだ。 
 タクシー運転手となった男は初日から強盗に襲われる弱り目に祟り目。生涯独身を貫いた初老の労働者には懇意にしている娼婦がいた。ふたりは事実上の愛人関係にあるのだが、男は必ず金を払おうとする。けれど、娼婦の方が別れ際、男のポケットにそっと金を偲ばせるシーンがあって哀感をさそう。そういう細やかな寸劇が適宜、はさみこまれ物語の重圧を癒す。しかし、その初老の独身男が人生起死回生を図ろうとスーパーマーケットに押込むところから話は急転する。
 モーターゼーションの優位は採算性の薄い地方鉄道を次つぎと廃線に追いむ。世界中どこでも見られる現象だ。かつての日本の現実でもあった。
時代は容赦なく、かつての花形事業を衰退に追い込み、忘れ、ゴミとして投げ出す。しかし、事業である限り、それが終わるまで多くの人がその仕事にたずさわっている。
 スーパーに押し入った失業者たちはたちまち通報を受けた警察に取り囲まれ、従業員と客は人質ということになってしまう。うまくいけばレジから小金をあつめてドロンと思っていただろうが、そこは素人、要領悪く、結果的に凶悪犯となってしまう。そのひとり、娼婦の愛人から金を返された初老の男だが、警察の狙撃にあってあえなく落命する。なんとも出口のない物語だ。
 これが現実と投げ出しても良かっただろう。話は成立していたし、少々、後味が悪くとも社会的メッセージは発せられたと思う。
 失業者の子どもたち、そこには縊死した父親を持つ男の子もいるのだが、倒産以来、動くことのなかったジーゼル列車を走らせた。その列車は、スーパーの前を通り過ぎる。それは取ってつけたようなシーンだと思う。しかし、監督は最初から、そのシーンを最後に起きたくて物語をつくったようにも思える。表題もそこに由来している。10代の少年・少女たちのとっぴな行動で「未来」が象徴される。列車は走った。しかし、それは一度きりのイベントなのだ。現実は過酷だが、自分たちも親たちと一緒に乗りこえよう。そんなメッセージを感じた。それをオプチミズムといえようか? 

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