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映画『キャピタリズム』マイケル・ムーア監督

映画『キャピタリズム』マイケル・ムーア監督
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 世のにがい現実が本作を「旬」に仕立てる。
 サブプライム・ローンの破綻に端を発した今日の世界同時不況。混迷を抜け出すのはまだ遠い。「生活者優先!」と庶民には大変、耳障りのよいマニフェストを掲げて大勝利した民主党、だが景気浮揚の妙策などありえず輸出依存体質であるかぎり世界の動向とマッチングしているわけだから、そうそう思い通りにはならない。
 ……という情況のなかで今こそオレがいわなくてナントシヨウ的感じでムーアが毒舌の矢を放ったのがコレ! その矢はむろん「キャピタリズム」資本主義に放たれた。といって、その対語であるコミュニズムを擁護しているわけではない。もっとも『シッコ』でキューバの医療制度をいささか持ち上げ過ぎたムーアがいたから、その連捷もそこはかとなく感じさせはする。
 しかし、いつもながらムーアの語り口はうまい。あざとい部分もあるのだけど、それぐらいの“毒”がなければウォール街の非博愛主義の金の亡者たちには太刀打ちできないだろう。その意味で肯定的にみた。
 アメリカの銃社会を痛烈に批判した『ボウリング・フォー・コロンバイン』では、まだ映画人としてはメジャーではなかった無名性を武器に、銃をもつことは米国市民の権利だと主張し、タカ派の広告塔になっていた映画俳優の故チャールトン・ヘストンへ直撃インタビューを敢行。さんざん大俳優を困惑させるという愉快なシーンがあったが、かくも著名人になってしまった現在のムーアにはそうした手法は採れない。すると、その著名性をまた毒舌の武器にしてウォール街を闊歩し、果敢に大手銀行に金を返せ! と迫る。“著名人”ムーアを無碍に退けることはできなくなった企業はなるだけ穏便に対処しようとする。そのあたりが資本のいやらしさとしてあぶりだされる。 
 大衆映画の路線からはみ出さず、いかに米国市民は金を失うはめになったかを諄々と説き、いわゆるデリバティブの仕組みと矛盾を明らかにしていく。そうした検証作業はテレビのニュース解説などで繰り返し語られてきたことだけど、ムーアはそうした論法はとらない。中庸であることなど毛頭考えないムーアはパワフルに、自分たちの金儲けのために「金融工学」なる高等数学をひたすら追究した知能指数の高いエリートたちのあざとさをあぶりだす。人間性を失ったマネー経済を批判する。ベネズエラのチャベス大統領などが「カジノ経済」と米国流市場主義を批判したことと軌を一にする。行き過ぎた資本主義がもたらす金融資本の害毒を公共精神にもとる存在として批判しているのだ。 
 米国発信の世界同時不況は世界各地にさまざまなドラマを生み出した。儲かるなら地の果てまで進出しようかというマクドナルドが、通貨危機に陥ったアイスランドから完全撤退した。経済規模の小さな国の打撃は大きい。ニュースにもならない庶民の悲劇は天文学的な数にのぼるだろう。しかし、それを批判的に映像作品に仕上げた体力はアノ巨躯のムーアしかいないのだ。
 ムーアの語り口が嫌いだ、生理的に合わない、という友人・知人もかなりいる。語り口の強引さは肉食系のソレだ。草食系人間にはあわないのかも知れない。しかし、弱肉強食を自明の論理とする資本家たちの貪欲さに対抗するには、ムーア流の血もしたたるレアな肉食性批判精神が必要なのだと思う。
 経済に弱い人たちも楽しみながら理解して戴きたいというサービス精神も加味しつつ撮っている。それが要諦だ。黙って座って楽しんでいれば「キャピタリズム」の悪しき奥義が了解できる。 
 米国はいま7・8秒に一件、破産し家を失う家族がいる。その一方、米国で稼ごうと今日もまた南の国境から命がけで越境する途上国の人間がいる。映画では世界同時不況における「世界」の現状までは手がまわっていない。本作に応答する南からの声もまた必要なのだと思う。

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