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ガリフナ族、ホンジュラスへの流亡213年 ~プンタのリズムが血を繋ぐ

ガリフナ族、ホンジュラスへの流亡213年 ~プンタのリズムが血を繋ぐ

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 2008年8月、ホンジュラスからギジェルモ・アンダーソンとそのグループが、中米4ヵ国の音楽をあつめた「ビバ! セントロアメリカ」のメンバーとして初来日した。同国カリブ沿岸の町ラ・セイバ出身のギジェルモはもともとギターの弾き語りで音楽活動をはじめたアーティストだが、出身の沿岸地方に濃厚に活きるプンタのリズムを取り入れた新しい音楽を模索し独自の世界を創造した。ギジェルモのグループにはガリフナ族出身のメンバーもいてパーカションを担当していた。そのガリフナの民俗音楽がプンタだ。
 プンタの最初のラ米圏最大のヒットとなったのは同国出身でメキシコに出て活躍していたバンダ・ブランカの「ソパ・デ・カラコル」であり、その後、しばらく同工異曲のダンス音楽をヒットさせ90年代初期、中米諸国の定番のダンス音楽になっていた。ブランカのメンバーにもガリフナ族出身者がいた。それから10年ほど経て聴いたギジェルモの音楽は、バンダ・ブランカのコマーシャリズムとは無縁の音楽性の高さを示し、プンタに対する畏敬の念が根底にあるように思えた。
 ガリフナ族とは現在、中米カリブ沿岸地域ベリーズ、グァテマラ、ホンジュラス、そしてニカラグアの4カ国に国境を越えて暮らす。西アフリカから強制連行された奴隷出身の先祖をもつアフロ系中米人の総称である。彼らを乗せた奴隷船がカリブ海域でハリケーンで遭難、付近の島に流れ着いた奴隷たちが島の先住民と共存して生き延びた。そのあいだに人口が増えた。そんな祖先をもつのが中米のガリフナ族だ。彼らはいちども奴隷労働に屈服しなかったアフリカ系市民として栄光の歴史をもつ。その葬祭儀礼の音楽がプンタである。
 ホンジュラスのカリブ沿岸の町サンタ・フェとリモンで祖先の当地入り213周年を祝うセレモニーがおこなわれた。ふたつの町は大陸部においてもっとも早くガリフナ族が入植した地であった。1797年4月12日と史書は語る。それから200有余年、彼らは祖先の血を受け継ぎながらこの地に生きた。その伝統を繋いだのがプンタであり、葬送とともに再生への導きの音楽である。
 現在、ホンジュラスには4都市、20の村落に約11000家族が住むといわれる。しかし、文化が異なり絶対少数派の彼らは事実上、中央政府から“尊重”されない市民として社会的恩恵から遠ざけられ、貧困ラインかつかつの生活を強いられてきた。1998年、この地方を襲ったハリケーン「ミッチ」によってガリフナ族の共同体は大きな被害を受けた。雨季が訪れるたびに被災しているといって良い。社会基盤が脆弱だから被害を深刻にさせる。
 到着213周年のセレモニーでもガリフナ族自身が主権者として大きな声を上げていかなければならないことなどが合意されたようだ。ギジェルモの音楽もそうだが、ガリフナ族が同国でアイディンティティを強く主張するにはプンタの音楽が前衛に立てるように思う。    

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