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綺麗な死体のウソ ~嘘だらけの「コナンくん」と、マスコミ報道

綺麗な死体のウソ ~嘘だらけの「コナンくん」と、マスコミ報道

 
 最近、『ブラックキス』という不快だが妙な味わいのある映画の試写に立ち会ってしまった。手塚眞監督作品、その名を知らない読者でも手塚治虫の息子さんといえば了解できるでしょう。
殺害後、死体を解体しオブジェのごとく芸術的に装飾する連続殺人事件そのものを描くような映画で、凝った死体美を強制的に“観賞”させられる。いわゆる猟奇物。ソノ筋、というか不健康な好事家のあいだで評判になるかも知れない。で、この映画をみながら思い出したアニメがあった。
 ちょうど夕餉時、TV放映されている『コナンくん』。子どもたちに支持されている人気アニメだ。冬休みと夏休みには子どもを動員すべくのスクリーン作品ともなってシリーズ化している。筆者はこのアニメを俗悪作品の典型だと思っている。
 「殺人」がゲームとなっている。本質的に人の命をもてあそんでいるアニメである。ゲームだから「死体」はまったく醜くない。死斑も浮いていないし、死臭の気配は当然、ない。無機質な造型物ごとく横たわっているだけだ。ウソである。まっかなウソである。ことはアニメだからと見過ごせない。リアリティーのない「死」の巧みな強請なのである。その反対に本来、真実の「死」を報道すべきTVや新聞が「死体」を出さない、見せない。たまに、一部の週刊誌がスキャンダラスに醜く変形した死体を掲載して話題になる“不健康”な日本である。リアリティーのない「死体」を子どもも大人も夕飯を食べながら、観ている。それがなんとも平穏な光景のなかに没している風情はまことに奇妙で、背筋が薄ら寒くなるような怪奇な“平和”である。しかし、そんな風に「コナンくん」を批判する文章をこれまで一度も目にしたことがない。
ブラック キス

 『ブラックキス』を観て数日後、イラクで反米武装勢力の人質となり解放された高遠菜穂子さんの講演を聞く機会があった。彼女は、イラク市民が米軍の目を盗んで生命を賭けながらビデオ撮影した米軍兵士による殺害現場、そのおびただしくも無惨な死体映像を投影しながら話をしたのだった。
 無惨きわまりない酸鼻な光景の繰り返しである。それが米軍砲爆の実態なのであり、市街戦の現場なのであった。日本のマスコミも当然、高遠さんが所有するビデオの存在を知り、観た者も多いだろう。
けれど、テレビでは放映されないし、新聞も掲載しない。あまりにも凄惨な光景である、と判断しているのだろう。あるいは、そんな映像を流したら、自衛隊派遣に賛成する日本人にもマイナス影響を与えかねない。日米同盟にヒビが入りかねないと自民・公明、与党議員諸氏は考えているかも知れない。
 筆者が6年暮らした中米のグァテマラの新聞では日常的に「死体」が掲載されていた。グァテマラだけでない中南米諸国では惨酷な「死体」は通常、紙面に掲載される。理由は明瞭、真実であるからだ。
朝から不愉快な気持ちになるが、その「死体」写真をみることによって、「あぁ、行方不明の兄は、父はまだ殺されず何処かに生きているかも知れない」と安堵する読者も多かったのである。それが内戦国の実態だった。いっとき、某ファミリーにとって“平穏”さをもたらす写真でもあった。
 「死体」写真の意味は二つあった。身元の分らない「死体」の家族・親族を探すためであり、明らかに拷問された痕跡のある「死体」なら、それを掲載するだけで政府軍や警察を合法的に批判できるからだ。
 反日常的な「死」は安らかなものではない。まず、醜いのだ。その醜さに対峙してゆく心構えのない平和運動はウソだと思っている。
 子どもたちは、「コナンくん」がしげしげと小ざかしく検分する「死体」を当たり前のように観ながらご飯を頬張っている。サラリーマンは「死体」が数でしか表現されない新聞を読みながら朝食を摂る。白い布がかぶせられた固体の盛り上がった姿を「死体」と納得し、日常の安穏をなんとなく受け入れる。そんなふうにしか戦争をみない人たちがイラク戦争をリアリステックに感得できるわけがない。
手塚眞の父・治虫氏は『ブラック・ジャック』で無免許の外科医ヒーローを描き出した。“医は仁術”をスマートでドライに活動させた。眞監督は、そのブラック・ジャックを念頭に『ブラックキス』などと命名したのかも知れない。思えば、死体を切り刻み、オブジェとしてシュールレアリステックに装飾する手わざは有能な外科医のものだ。活かすための外科と、殺した後に楽しむための技術としての外科……対極のものだ。そう「コナンくん」が毎回、検分する「死体」もオブジェでしかないのだ。探偵ごっこを楽しむためのオブジェだからレゴブロックのように冷ややかでキレイだ。「死」を記号化することによって、夕餉の食卓に迎えられたアニメである。
 殺害された者は、ただ沈黙しているわけではない。その無惨な死体そのものが叫ぶ。こんな無惨な姿にした加害者を罰してくれ、と。叫びのない「死体」しか報道しないマスメディアは責任の半分も果たしていない。死者の尊厳を認めていない。
 茶の間の「コナンくん」の「死体」も無惨で訴える叫びはない。アニメ制作者に良心があるなら、無惨を描きこめと言いたい。……そんなことをしたら放映できない、と。そう、それが日本的言論統制というのだ。      2005年12月記               

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