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ジェイク・シマブクロの熱い夜風

ジェイク・シマブクロの熱い夜風
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 メキシコ古謡を愛する筆者にとってハワイ音楽は他人事ではない。
ハワイイ……池澤夏樹氏の紀行文などの影響で昨今、先住民言語に近い音に添って表記されることが多くなった。これは良いことである。そのハワイイの音楽といえばウクレレやスティール・ギター、ライ・クーダーに大きな影響を与えたスラッキー・ギターなどが主調音を奏でる俗称ハワイアンである。その弦楽器の母体としてのギターや、あるいは組み合わせとしてハローチョ、つまりメキシコ民謡で定番の弦楽器などがハワイイ諸島に流入したのは、独立期のハワイ王国時代、カメハメハ三世、その後を受け継いだカラカウア王の治世期ではないかと思う。
ハワイイ殖産事業として牧畜業を活性化させるためメキシコの牧童たちを受け入れた。そのメキシコ人牧童たちがハワイイにギターを定着させ、それから打楽器中心であった汎ポリネシア音楽から、ひとりハワイイ音楽は飛躍して豊潤な世界を開くことになる。弦楽器の効用はハワイイの人びとの感性まで変えたのだ。そして、弦による香しいニュアンスから生まれたリリシズムはやがてハワイイから南太平洋の島々へ波及していった……という説だ。
 カラカウア王の死後、王位を受け継いだリリウオカラニ女王は英明な政治家でかつ芸術的センスもあった。ハワイアンを象徴する「アロハ・オエ」は歌詞も曲も女王の作といわれる。確証はなくとも、伝承として女王の名があるぐらい音楽的な才能に恵まれた人であったことは事実だろう。というわけでハワイイとメキシコは音楽で繋がっている。
 前置きが長くなった。久しぶりの日比谷野音でハワイイ音楽の最先端、つまり「アロハ・オエ」から100年以上が経過した現在をウクレレ一本で風を切っているジェイク・シマブクロのパフォーマンスを堪能してきた。
 9月最初の土曜日は遥か南方洋上に逆巻く台風の影響で、日比谷の空を過ぎる雲の流れは速かった。その雲に乗っかって彼のファースト・アルバム『クロスカレント』の印象も去って行った。コンサートは行儀よく並んだ(と思った)アルバムの音楽より、ずっとテンション高く、実験的な意欲に溢れていた。これでもかとテクニック全開のフィージョン系の音楽が主体であったが、そういう曲より、流れる雲に乗るような情感をたたえた「ビート・オブ・ハート」、ジョージ・ハリソンの「マイ・スイート・ロード」を再構築するような雄弁さに満ちた曲の方に筆者は感じ入った。まぁ、全体の大まかな印象はシマブクロという若いテクニシャンが思う存分、マイ・ワールドをぶちまけているというものだ。そこには、いわゆる団塊の世代の筆者が親しんできた「ハワイ音楽」の痕跡は跡形もないのだけど、ウクレレ特有のストロークの跳ね返りの良さは随所に導入されてていて、それにふと懐かしさを覚えたりした。もっとも、そんな聴き方は野音の聴衆の大半は無視しているのだろうが。
 コンサート中、シマブクロは同じウクレレで通した。スタンダード型より少し大きめの「コンサート」型でる。無論、ピックアップで音の調整は自在にできるはずだが、1本で押し通すのは見上げた根性。相当、力技でしごいてもいた。
 しかし、シマブクロは何処へ向かっているか。伝統回帰の気配はどこにもなく、ひたすら新しい音を求めてる。といって求道的な精神性も希薄なようで現在を楽しんでいる。こんなこともできる、あんなこともできるとはしゃいでいる気配もある。彼の五体が抱える音楽そのものが、彼にとって旬ということだろう。けれど旬の季節は短い……して、その先には。念のために書き加えれば、映画「フラガール」の音楽を担当したぐらいだから、古き良き時代の「ハワイ音楽」は血肉化しているシマブクロであることは確認しておきたい。そうした伝統を踏まえた上での飛翔である。 (9月3日・東京・日比谷野外大音楽堂で。2005)   

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