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映画『プラスティック・シティ』 ユー・リクウァイ監督

映画『プラスティック・シティ』 ユー・リクウァイ監督

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 ラテンアメリカの映画界は北のメキシコと南のブラジル……両極をつなぐ縦軸を回転させながら繁栄と衰退を繰り返してきた。メキシコは否応なく国境を接するカリフォルニアのハリウッドとの協同、あるいは文化的〈侵略〉との闘争のなかで独自の映像世界の構築を迫られ、ブラジルはあまりにも広大な国土、多様な人種構成、原始と超モダン、そしてありあまる富と貧困が映像を放埓にもし緊張と戦慄をもたらしつづけた。そして、この地の磁力に惹きつけられ、異邦の映画人が長足、訪問するのを厭わない。本作はその典型的な映像であることは間違いない。
 監督のユー・リクウァイは、すでに国際的な映像詩人として盛名をもつジャ・ジャックー監督の代表作『世界』『長江哀歌』の撮影監督として国際知名度をもつ才能だ。もともと技術畑の才能であったが、中国の地層は厚くゆたかだ、初監督作品ではやくも演出家としての才能をの見せつけた。かつて、文革後のあたらしい映像世代として「第五世代」といわれた一群の才能が突出したことがある。いまや古典的映画となってしまった観のある『黄色い大地』のチェン・カイコー監督は「第五世代」の前衛であった。そして、この伝説的な映画で撮影を担当したのがチャン・イーモウだった。チャンはその後、『赤いコーリャン』『初恋のきた道』を撮って、中国映画の代表的な監督となり北京オリンピックの開会式の大河的奔流ともいうような叙事詩を演出したことは周知の通り。ユー監督もまた本作も非凡な演出でパワフルな映像を造型した。あきらかに撮影技術者としてのプライドを意識させるカットが幾つもあって、それが特異なアクセントをつけている。
 物語自体はしごくシンプルだ。「闇の世界に生きる、日系ブラジル人のキリンと義理の父ユダ。血の繋がりよりも堅く結ばれた、二人の男の“激しくも美しい”クライム・ムービー」というチラシの惹句で事足りるが、それでは味気ないので少しつけ加えれば……キリン(オダギリ・ジョー)は北アマゾンの辺境に入植した日系移民の子で、両親が金の採掘をめぐるいざこざで殺されたようだ。その子を拾いわが子のように育てたのが、やはり中国からやってきた一旗組みの男ユダ(アンソニー・ウォン)。キリンが成長した頃、ユダは違法コピー商品の輸入、あるいは製造・販売で富をつくった闇世界のボス。キリンはその片腕として働いている。この映画でサンパウロには日系人社会だけでなく、中国人たちが共存共栄する社会もあることを教えてくれる。闇のシンジケートは中国・台湾ラインの抗争の地ともなっている、とは本作のあらすじ中のことである。
 警察官僚たちのラテン的な腐敗も描かれる。スラムの饐えた臭いも立ち上ってくる。その濃密な描写も秀逸だ。そして、全編にみなぎる熱気は沸騰する。そうした気配をどんどんそぎ落とせば、痩せた物語になりかねない。違法コピーの挿話などはナイフで切り刻めても、熱気や体臭までは切り取れない。そこに本作のパワーがある。そう『シティ・オブ・ゴッド』のブラジル移民版という風情があると思えばいい。熱気や体臭の横溢をかたる言葉にウソはないのだが、東洋的な無常観がそこはことなく否、濃厚というべきか、それが清涼な通奏低音のように流れているのだ。そのあたりはやはり東洋人の芸術なのだ。シンプルな物語ほど人生の真実を問うものだが、ギャングたちの抗争劇でもある本作には、ある種の気品が醸し出されているとしたら、それは生々流転、人は時の旅人に過ぎないといった諦観の陰りがあるからかも知れない。
 

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