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韓国映画『弁護人』 若き日の蘆武鉉元大統領を描く

韓国映画『弁護人』 ヤン・ウソク監督
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 隣国というのはどの国にとっても疎ましい存在となるものだ。その疎ましさを自覚しつつ国政にあたるのが善き指導者となるのかも知れない。隣国であるが故、歴史的な相克は累積するし、隣国の歴史や文化、風俗などは折りに触れ、生活に入り込んでくる。近隣住民に隣国の知人や友人をもっていたり、仕事仲間にも存在するというのは日常的な光景だろう。そして、その隣人とひとたび齟齬をきたすと、その人の属性としての国籍がひとり歩きしたりする。

 日本にとっての最隣国はいうまでもなく大韓民国。公共交通の表示板などにハングルが表記されるぐらい多くのビジネスマン、観光客が訪問しているということである。ちょっと前まで韓流ブームというのがあった。大久保の町はそれで大いに賑わっ たが、いまはすっかり潮がひいた秋の浜辺だ。溢れんばかりに韓国映画も入ってきて、六本木には専用映画館化した小さなシネコンまであったが、2年ほど前に閉館してしまった。必然、韓国映画を観る機会は減ってきている。私的にいえば、少々、韓国映画には食傷気味であった。韓国料理のこってり感そのままという感じのクドイ表現にうんざりした。そうゲップが出るほどだった。今でも、多くの試写状が舞い込むが、すっかり厳選して行くようになってしまった。
 というわけで久しぶりに試写室に足を運ぶことになった韓国映画が『弁護人』(ヤン・ウンク監督)。韓国では屈指の演技派として知られるソン・ガンホ主演。この映画を選んだのは、クレジットで若き日の蘆武鉉元大統領の若き日を描いていることを知ったからだ。
 観映後、蘆元大統領(任期2003~08)の履歴を調べ、映画の起承転結を振り返る。映画特有の作為、都合よく折りたたまれているエピソードもあるが、ほぼ事実を象徴化していることを知った。と同時に開発独裁型のスーツを着た軍事独裁政権下にあった韓国の政治状況というものが、庶民の目線から描かれている点に好感がもてた。韓国の大統領は毀誉褒貶も含め、独立期、朝鮮戦争時代、開発独裁時代、民主化時代と・・・それぞれ実に個性的な人たちが主導していたことが分かる。
 蘆武鉉青年・・・日雇い仕事に汗しながら刻苦勉励の末、司法試験に合格、若き弁護士として“実業”の世界に船出する。実業を強調するのは法廷での活動より、不動産関係の手間ひまの掛からない法的処理の便利屋として実入りの仕事を選科にこなしていたからだ。そう、開業当時の蘆弁護士は政治にまったく無関心、ノンポリ個人主義者、金儲けのためならプライドを捨てることも厭わない。そんな拝金主義者の面もあった。もちろん彼にも韓国人としての誇りはあった。しかし、それは歴代政権が韓国人はかくあるべしという路線に順応するもの で、資産は出来た、これからも増えるだろう、ならば来たるソウル五輪のために、選手層の薄いヨット競技に国を代表して出場し、メダルを獲って国威発揚に貢献したと、余暇をセーリングに捧げるような男であった。それもまた個人の生き方だ。

 そんな若き弁護士に転機が訪れる事件が起きた。
 懇意していた焼肉屋の息子が北朝鮮のスパイ容疑で拉致・監禁され拷問の末、捏造された反政府活動家として自白を強要されたのだ。この事件の真相解明に取り組んでいくなかで人権派の弁護士として転進し、やがて左派新自由主義者として国民の支持を受け、大統領に選出される。映画は、学生に掛けられた冤罪を究明する裁判劇がクライマックスとなる。
 いまさら、韓国現代史の一こまを活字で勉強するのは面倒だと思う人たちには好個のフ ィルムだが、制作から3年目にして日本公開がきまったという時差そのものが、今日の日韓間の冷え込みを象徴しているかも知れない。
 ▽11月中旬、東京地区公開予定。

映画『栄光のランナー ~1936ベルリン』 スティーヴン・ホプキンス監督

映画『栄光のランナー ~1936ベルリン』 スティーヴン・ホプキンス監督
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 五輪の年にお勧めということでは本作は筆頭一押し。私にとって好感度の高い秀作だ。
 1936年ベルリン五輪、後にヒトラーのオリンピックといわれた大会だ。
 本作は、ベルリン大会で4つの金メダルを獲得し、ヒトラーの鼻白ませた米国の黒人ランナー、ジェシー・オーエンス(ステファン・ジェイムス)を主人公に、ナチ五輪の内幕まで語る政治劇となっている。その輻輳し、巧みに語りつくした構成力に関心する。まずシナリオの巧みさに監督、俳優、そして当時の雰囲気を造形した美術、衣装担当のスタッフの力量も称えたい。

 野球でいえば大リーグに黒人選手が排除されている時代の話である。大学への進学率も黒人学生は極端に少なった。黒人家庭の多くが子弟を大学に通わせるほどの余裕はなかった。例外的に、卓越した身体能力を持つものが、スポーツ優待生として奨学金を得て大学に進むことができたタレントたちがいた。オーエンスはそんな一人であった。しかし、彼を迎えた大学の運動部では露骨な偏見、差別がまっていた。白人学生からの偏見、嫌がらせの日々が、ロッカールームの些事に象徴されて描きだされる。
 スナイダー・コーチ(ジェイソン・サダイキス)に恵まれたオーエンスは次つぎと新記録をつくってスターとなる。しかし、競技場の外では相も変わらず差別の壁は高く厚く、世界記録保持者であってもバスの席すら差別される。そんな日常光景も丹念に描かれていく。
 オーエンスが着々と実績を重ねていった時期、ベルリンで着々と五輪の準備が進んでいる。ナチの反ユダヤ政策は国外で激しい批判を浴びているなかで競技場施設は建てられていく。ナチ政権のゲッペルス宣伝相はヒトラーの志を受け、大会を国威発揚、ナチズム宣揚の絶好の機会とするために“史上”最高の五輪を目指す。そんなゲッペルスにとって最大の憂慮は、強国でありスポーツ大国でもある米国が反ユダヤ政策のために大会をボイコットするかもしれないということだ。
 当時、米国五輪委員会の実力者は、大戦後、IOC会長として辣腕を振るうことになるブランデージ(ジェレミー・アイアンズ)。オーエンスを中心とするエピソードが競技者たちの物語が縦軸となり、ゲッペルスとブランデージとの駆け引きが主催者、五輪運営側の横軸の物語として語られ、やがてメインスタジアムで見事に交差するというけっこうな構成だ。
 
 ドイツ国内のユダヤ人弾圧の実態は、米国国内の黒人差別という社会状況をも照射させる。134分の尺度のなかで破たんもせずに魅せる監督の手腕、編集の技も見事ともいえる。しかし、気にいらないところもある。それははじめての五輪映画を制作し、ギリシャ・オリンポスでの地での聖火点火、そしてリレーのシナリオも作成したレニ・リーフェンシュタールを演じたカリス・ファン・ハウテンの演技には威厳も気品も著しく欠如している。レニの大きさが軽んじられているように思う。これはミス・キャスト。反面、オーエンスを演じたジェイムス、ブランデージのふてぶてしい現実主義者ぶりを好演したアイアンズは相変わらず憎憎しいほど達者な演技だ。

 米国のユダヤ系人権組織、そして黒人組織も有色人種をあからさまに差別するナチの五輪参加に反対している。オーエンスも黒人人権団体から参加しないように求められる。本作で知りえた、そんな挿話を知っただけでも本作の価値がある。
 *8月11日、公開。

映画 『ブレイク・ビーターズ』 ヤン・マルティン・シャルフ監督(ドイツ*2014)

映画 『ブレイク・ビーターズ』 ヤン・マルティン・シャルフ監督
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 ソ連・東欧諸国がドグマ的な共産主義のクビキから解き放たれて、すでにそれなりの歳月を重ねたが、いまでも、こんな回顧趣味的な作品が制作される。回顧といって語弊があるなら、時代の貴重な証言、と言い換えようか。絶対主義のなかでの過剰な警戒が生み出す馬鹿ばかしさ、真剣さは限りなく滑稽にみえてしまうことを本作は語っている。
 私がみた回顧モノでいちばん記憶に残っているのは、旧ソ連時代のモスクワの若者たちが西側から流れてくるビートルズのヒット曲を廃物となっていたレントゲンフィルムに刻んで仲間内で流布させた事実を物語った映画だがタイトルを失念した。レントゲンフィルムは昔、日本でも量産されたソノシート(といってもいまの若者は知らないだろうが)。ソ連製のソレは、「骨レコード」といったらしい。

 本作で描かれているのは1980年代の「東ドイツ」の工業都市ディサウの少し尖った若者たち。その地の映画館で、米国映画『ビート・ストリート』が上映され、ニューヨークのアフロ系青年たちが街頭でブレイク・ダンスのパフォーマンスをみせる米国映画『ビート・ストリート』が公開された。これに東ドイツの若者は驚愕、たちまち感化される者が陸続と現われた。史実である。表現の自由を満喫できない鬱屈した若者におおきな影響を与えたようだ。
 「こんな映画を当局が公開承認したのなら、真似しても差し支えない」との安心感もあっただろう。映画が公開された各地で見よう見まねでブレイクダンスに興じる若者が族生した。
 主人公の青年フランクもそのひとり、元オリンピックの女子体操選手も巻き込んでチームを結成、街頭で妙技を披露しはじめる。これを当局は、「西側のタイハイ文化の浸透」と憂慮、と同時に、ブレイクダンスで若者の表現活動への欲求のガス抜きに利用できるともくろく人たちも。その後者の知恵者が、ブレイクダンスを体操競技、新体操の発展形としてとらえ指導するところが面白いし、新鮮に映る。官製スポーツ大国であった東ドイツらしい現象だ。
 おなじ社会主義国でもキューバなら最初から野放しだろうし、若者たちはおおらかに楽しんだろう。当時、米国と国交断絶状態であったキューバに米国映画は配給されなかった。しかし、キューバのダンス文化は東ドイツよりはるかに自由であったし、ダンスで性的交流、暗示をするのも自由だった。そんな風通しのよさが、ソ連の後ろ盾を失ってもなんとかカストロ体制は維持されたのだ。
 で本作『ブレイク・ビーターズ』の結末はここでは語るまい。今後、この地上に、東ドイツのような体制が現れないように心するためにも、結末を知りたい読者は映画館でみるか、もしDVD化されたらみるべきかな・・・。*東京地区での上映は7月に終了。

EUフィルムデーズ2016 『提督の艦隊』・『日本からの贈り物』

EUフィルムデーズ2016

 今年、14回目を迎えた「EUフィルムデーズ」。東京地区は京橋の東京国立近代美術館フィルムセンターで約3週間にわたって開催される。毎回、欧州の最新作、とくに一般公開される機会の少ない旧東欧諸国、旧ソ連邦諸国の作品が観られるので、時間を見つけては通っている。今年もまた26ヵ国31作品が公開される。そのなかから印象にのこった2作をとりあえず紹介しておきたい。

*オランダ映画『提督の艦隊』 ロエル・レイネ監督 2015年
 提督の艦隊
 初日(6月18日)、今回の参加作品のなかでもっとも大作となるオランダ映画『提督の艦隊』を早速、観た。大きなスクリーンに17世紀、帆船時代の海戦が見事に描かれた歴史巨編。主人公は、EU紙幣採用前のオランダ100ギー紙幣に肖像が描かれていたことで了解できるようにオランダの海の英雄ミヒール・デ・ロイテル。当時の覇権国家英国、フランス、そしてオランダの経済的な利害関係、政治的な思惑、議会を飛び越えたところで裏取引される王室(貴族)たちの権謀まで描かれた、なかなか見ごたえのある作品で、いろいろと歴史のおさらいができて私には益とするところの大きな映画だった。
 繰り返し描かれる海戦シーンは見事。俯瞰、遠望などで巨大艦隊を描くシーンはむろんCGでの処理だし、激戦シーンもまたCGが多用されているが、その技術はなかなかのものだし、実写との融合も自然だ。潤沢な資金も用意されたのだろうセットもなかなか豪奢だ。ミヒール・デ・ロイテル提督は、海を熟知し、海底の深さ、気象条件も味方にして、常に海戦を勝利に導いた救国の英雄として描かれる。
 監督はこれまでハリウッドで手堅く小規模アクション映画でCDと実写との融合を学び、本作に取り掛かったという意欲がみえる労作となろうか。
 同時代に描かれたロイテル提督の肖像がたくさん残っているので、映画でもそれを逸脱して美男スターに主役を勤めさせるのはリアリティーを欠くだろう。本作では少々、粗野で、いかにも成り上がりの無骨な容貌、メタボな中年男優を起用している。その姿がロココ趣味が濃厚な貴族階級との差異を象徴する。日本ではなじみのない第一、第二、第三次英蘭戦争の背景なども理解できて面白い。また、英・仏両国から挟撃される“国難”を前にしてのオランダ議会の党派主義、共和派の首相兄弟を惨殺する貴族の暗躍、それに扇動される烏合の衆といった当時の暗部も描き出される。
 長崎・平戸にオランダ商館が開かれた時期の史劇として、当時の日本の状況を思いながら読み解いていくとなかなか興味深い。

*ルーマニア映画『日本からの贈り物』トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ監督
 日本からの贈り物
 2013年9月、ルーマニア東部・モルダビア共和国と国境を接する広範囲な地域が約6時間、未曾有の豪雨にさらされた。同国の平均雨量の約2ヵ月分が降るという破壊的なものだった。このニュースは日本ではほとんど無視されただろう。寒村地帯であったため人的被害が「数」という集積では小さくみられたからだろうし、隣国がモルダビア、つまり旧ソ連邦に隣接する僻地ということもあって報道が遅れたこともある。
 映画の物語はこの大洪水に破壊された村に住む老農夫コスタチェを中心に動く。洪水で長年連れ添った老妻を家ごと奪われ、いまは政府から与えられた空き家でひっそりと暮らす。わずかな年金と、洪水の罹災者に与えらる給付金が頼りのようだ。
 映画の冒頭で泥水を被った被災地帯が俯瞰される。人馬が泥海のなかをはいずり回っているようにしか見えない。日本や先進国の被災地なら機能的な重機が動き回っているのだろうが、この国では人馬だ。おそらく、洪水の大きさを象徴するのに、たとえばニュース・フィルムあたりを使えば容易だろう。しかし、この映画の監督はあえて、そうしたシーンを制作した。ルーマニア農村の現実をそうやって象徴したかったのだろう。
 老農夫が持つ土地はかなり広いようだ。売れば相当な収入になる。よそ者の企業家が村に掛け合って、そうした被災地の土地を買いあさっているようだ。けれど、老農夫は売り渋っている。
 映画はこの老農夫の歩く速度にあわせたリズムで進む。洪水も運命、と慫慂と受け入れたようにみえる老農夫の背が印象にのこる。味わい深い名優の背での演技だ。その農夫を演じたのはヴィクター・レペンギウツという同国でよく知られているらしい男優ということだ。
 そんな老農夫のもとに、長年、日本に行ったきりとなって頼りも途絶えがちだった息子が洪水被害を知って、日本人の妻と8歳の長男をつれて帰郷する。そして、数日後に日本にもどるまでの静かな交流を描いただけの話だ。
 建築技師の息子は最初はなにもかも風習の違う日本でそうとう苦労したらしいが、現在は妻子とともに平穏に暮し、母国へ帰る気はないようだ。数年ぶりで再会した息子と父の気まずい対話、それをなごませるように動き回る孫、義父と夫の冷淡な雰囲気に大人の対応で和ませようとする日本人妻。それだけの話。まるで小津安二郎あたりが制作するような家族の諦観の物語で、人間の物語として普遍性をもつ。よい映画をみたと思った。
 日本人妻を演じたカナ・ハシモトはルーマニアで活動する女優さんとのこと。8歳の少年を演じた子役はルーマニア語と日本語のバイリンガル、貴重な存在だ。ふたりともどういう来歴の人かしらないが、日本とルーマニアの人的交流を象徴する存在であることは間違いないだろう。
 筆者自身、いきつけの髪切り屋さんでルーマニア人夫婦を知った。幼い娘さんは地元の幼稚園に通っていて、昨年だったか盆踊りのための浴衣の着付けを教えてくれないか、とお店に入ってきたことがある。また、ルーマニア人の大半が東方正教会の信徒だが、首都圏での精神的求心地は御茶ノ水駅近くのニコライ堂だ。クリスマス前、その教会内庭で毎年、バザールが開かれている。それぞれの出身国でブースを分けているよう で数年前、ルーマニアで制作された小さな聖母子像のイコンを購入したことがあった。
 在日ルーマニア人のことをいろいろ調べていると、2004年ごろには4000人を数えていたようで、その半数が飲食店などで働く女性だったらしい。現在は日本政府の興行ビザの制限などがあって2000人前後で推移しているようだが、日本人と結婚してルーマニア国籍を失った人も多いので、ルーマニア語族としては東欧系日本人として最大のコミニティーとなっているらしい。そんなことも映画に反映しているようだ。

書評 映画『三分間の詐欺師〜予告篇人生』 佐々木徹夫著

『三分間の詐欺師〜予告篇人生』 佐々木徹夫著
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 帯にこうある〈豊かだった映画の時代/封切り館には長蛇の列が! 御期待を乞う!!〉と。その長蛇の列の尻っぽに親父の足にまとわりついて並んだ体験を幾度ももっている。
 テレビが家にやってくる前の昭和の三十年代の話。何故か、親父に連れられてみた映画の記憶に日本映画はほとんどなくて、いわゆる洋画ばかりだった。で、本書を読みながら思った。日曜日、親父がいそいそと洋画を観に出向いた、その選択基準のひとつに予告篇があったに違いないと。何故なら職人上がりの技術者だった父には新聞を熱心に読むといった習慣がなかったからで、彼の情報源といえばラジオと職場での座談が中心だったと思うからだ。活字媒体に関心の薄い父であった。そんな父が当時、映画の宣伝媒体といえば新聞と雑誌、割引き券付きの折込み広告ぐらいで今と比べると露出度は極めて小さかったから、予告編は重要な情報源であったと思うのだ。そう、そんな時代の予告篇の効用は絶大なものであったろう。予告篇制作者が思う以上に映画ファンに深甚な影響を与えていたと思う。

 そう本書は、映画が庶民の“娯楽の王様”であった当時、予告篇づくりに専心していた人の回顧録である。
 長蛇の列をわが社、配給作品を上映する映画館前に引率すべく、奮闘努力した宣伝屋さんの苦心談である。作品論、監督と俳優さんを語ることで成立している大半の映画史では絶対に顧みられない裏方さんの半生記。業界で「三分間の詐欺師」と呼ばれたということだ。とすれば、親父は著者の“詐欺”に繰り返しあっていたカモであったに違いない。ふと、そんなふうに思った。

 予告篇制作とは、本編を針小棒大に宣伝する行為であるだろう。愚作も“珠玉の名編”とみせる詐欺行為だ。いかがわしい。けれど、映画館の観客は「予告篇」の大言壮語をいつだって割引いてみているはずだ。それは昔も今も変わらないと思う。ただ昔はよりイベント性が高く、日常から切り離された異空間は独特の華やぎがあったはずだ。私だって、「おせんにキャラメル」と休息時間に通路を練り歩く売り子さんの呼び声を覚えている。そんな時代には、予告篇のウソは縁日の見世物小屋のろくろ首みたいなもんだ。ウソも呑み込む観客に余裕があった。本編フィルムの上にデカデカと「空前のスケール!」とか、「運命に翻弄される若き二人の愛は如何に!」といった邦文が踊れば踊るほどウソは爽快感に転調する。ウソは大きくつくほど悪意はなくなる。怒髪天を衝く、のたぐいである。
 しかし、本書を読んであらためて一編の映画が抱えこんだ専門技術、その職人さんたちはいったい幾つあるのかと思った。予告篇制作などは影の仕事であって、本編ではけっして制作者の名などクレジットされない。今日でこそ、本編終了後にながながとスタッフ・キャストの名が連綿と記されていて、筆者などはうんざりしてたいてい席を立つが、かつて、そう映画全盛期にはあんな資源の無駄遣いはなかったものだ。なにか深甚な理由があるのかも知れないが、私はあんな悪習を止めてしまえとせつに思う。全世界の映画制作者は地球環境にもっと留意すべきだ。みんながジ・エンド、フィン、終、完……とフェールドアウトすれば膨大なフィルムとエネルギーが節約できる。慢性的な電力不足、電気そのものが高価な途上国の映画館はたいてい本編終了すると投写をやめてしまう。米国資本のシネコンがラテンアメリカの各都市に進出していて、そこでは本編終了後も律儀に投写をつづけるけど観客の方はさっさと席を立ってしまう。ラテン暮らしの長かった筆者であるから、その習慣は今でもつづいていて、涙腺でもゆるめていない限り席を立つ。俄然、少数派。だから、いつも可能な限り通路沿いに席を取る。そうでもしないと、律儀に電話帳のような人名リストを眺めつづける観客の前を、「ごめんなすって」と通らなければいけない。
 しかし、マスコミ向けの試写室での観映、これはいけない。そそくさと立ってロビーに出たりすると配給会社や宣伝会社のスタッフが怪訝な顔をする。「お気に召さなかったのかな」といういぶかしげな視線を感じてとても痛い。これはいけないと試写室に限り日本的慣習に従うことにしているが業腹である。とせめてパンドラ(本書の版元)のスタッフには言っておこう。

 閑話休題……要するに、著者が予告篇づくりを天職と入れ込んでいた時期、本編はたいていジ・エンドで緞帳が降りたのだ。エンド・ロールの“ロール”はなかった。ジ・エンド、潔く幕、である。観客一人ひとりの胸のなかでしか残影がないというものであった。本編が残影をつくるなら、予告篇は“予影”を与える仕事だ。いわば三分のフレームで観客を“口説き落とす”事師である。観客に秋波をおくる仕事である。

 1950年、フランス映画『モンパルナスの夜』が公開された。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1933年の名作だが戦前、輸入されるも戦争となり連合国の映画ということで上映の機会もないままお蔵入りしていた。戦後、その予告篇を著者は制作した。当時、配給先の宣伝マンだった著者が好奇心から関わったらしい、本人のみ碑銘する“処女作”である。 以後、半世紀、本編のエッセンスを凝縮する作業をひたすら、といいたいところだが、客が入ってナンボの世界、独りよがりの芸術批評は禁じ手の切り貼り三昧、許容三分のフレームに心血をそそぐ。そこに創意工夫があり、詐欺まがいの手法もあったのだろう。 しかし、手業(てわざ)に秀でた職人さんは、自分の作品のできふでき自慢めいた話を語らないものだ。職人さんは批評しない。まず謙虚である。七面倒な作文など時間の空費と思う。著者は、たぶん「佐々木さんは映画の生き証人なんだから」とか何とか煽(おだ)てられ、本書に関わることになったのだろう。

 淡々と語っている。
 歳月と仕事の堆積が築きあげてきた技を、そこをそれだけ取り出して書くのは至難であるから、そんなふうには書いていない。著者にとってたんなる回想も貴重な証言となっているところがいいのだ。なにげなく差し出される挿話が面白い。たとえば本書の表紙、米国の映画会社のロゴが一堂に会したビル屋上の宣伝用イルミネーションである。これは戦後間もなく連合軍の民間情報教育局が創設した組織セントラル・モーション・ピクチュア・エクスチェンジのものだ。コロンビアも20世紀フォックス、ワーナーブラザースもMGMもみんなたった一組織が掌握していた時代があった。その象徴的光景である。焼け跡いたるところに放置されている都内の一角に誕生した映画配給組織のことなどを著者は淡々と語っているわけだが、編集者はこれは面白いと感じ入り、表紙にまで活用したわけだ。
 職人さんの話とはそういうものだ。プロの物書きに掛かると、読者の興味の引きそうなところにサジ加減を加えるからいけない。本書は、そんな作為はまったくなく生のまま貴重な証言が語られている。本人が「貴重」さを認識しないまま話をしているので、こっちもうっかり読み過ごしてしまうリズムがある。ということで、予告篇の話より昭和映画外史といった趣きが強い本である。「御期待を乞う!!」……著者が予告篇『第三の男』などで使ったおなじみのフレーズだが、そのまま本書を手にしようという読者へ、「御期待を乞う!!」。

書評 『字幕仕掛人一代記‐神島きみ自伝‐』神島きみ・著

『字幕仕掛人一代記‐神島きみ自伝‐』神島きみ・著
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 こういうのを痛快な生き様とでもいうのだろう。生きたいように気ままに生きたわけではない。それなりの蹉跌(さてつ)もあり、女としての懊悩、母としての葛藤もあった。振り返れば紆余曲折もあったけど、それでも越して来た歳月の軌跡はあざやかな足跡が深く刻まれている。そんな女一代の物語を読んだ思いだ。
 もっとも本書を手にしたときは、外国語映画の属性としての「字幕」というものがどんなふうに作られているのか、現場の声に接してみようという好奇心だけだった。神島さんは、外国語映画のフィルムにスーパー字幕=文字を打ち込む技術者であり、その仕事に特化した会社を日本ではじめて興した経営者でもある。神島さんが字幕を手がけた名作は数知れない。
 どんな仕事にも、その領域のみに特化する技術がある。零細企業のなかにも多くの特有の技術があって、それはみな個別化され符牒としてのことばをもつ。いわゆる業界語。そうした企業文化の総体が日本経済の成長を支えてきたのだ。そこには無数の名もない匠(たくみ)が生きていた。神島きみも字幕制作の匠である。
 映画においては黒子的存在である。そんな黒子がこうして一冊を著すのは、映画という巨きな大衆文化に関わったからである。私たちが忘れてならないのは、こうした名匠がわれわれの隣近所にも暮らしているという事実だ。その名匠の技が、映画のような華やかさを持っていないだけで、日本の工業技術を下支えしているということに気が付かねばいけない。
 
 本書には何故、ああした〈字幕〉文字としか言いようのない特有のカタチが生まれたか? 一行の字数が決まっていて、スタンダード、ヴィスタサイズ、シネマスコープ、70ミリ映画、さらにシネラマのスクリーンに合わせて字幕を打ち込む場所や字数が違ってくる、という理由なども開陳されている。字幕打ち込みの道具とか、納期とか、著者が熟知した知識が惜しみなく提供されている。そして、著者が起こした会社から技術が伝播し、子会社、孫会社が族生していったことなども承知できる。
 そうした日本の映画文化に多大な貢献をした著者もひとりの女であって、その生き様は仕事と切り離せない。

 大正6年生まれというから往年の名女優・山田五十鈴さんと同じ年、トニー谷、芦田伸介、多々良純といったクセのあるアルチザンたちも大正デモクラシーの華やぎのなかで生を享けている。
 神島さんは東京・神田の生まれだ。筆者の祖母も神田の生まれで、その発音の歯切れの良さは、たわいない世間話を聴いているだけで、何か〈話芸〉を堪能しているような趣きがあった。母は、祖母から下町ことばをそのまま受け継ぐが、神田から尾久に転居してから幼少時代をすごしたせいか、気風は希薄化されヒ音とシ音の発音が曖昧な東京弁だけが血肉化した。それを筆者は受け継いで、無意識に「シャク(百)円」と言っているらしい。
 さて、神島さんの話ぶりはどのようなものだったのだろうか? 行間から立ち上がってくるのは、祖母の気風の良さのように思う。
 人は誰でも時代の制約のなかでしか生きられない。神島さんも戦前・戦中・戦後のなかを生き抜いた。戦後は字幕制作の技術者として、経営者として。けれど戦前は、銀座のホステス稼業でオンナを磨いたのだ。ありていに言って色々あった、と書いて躊躇しない。天晴れであるし、戦中の息苦しさも商才と生活者の知恵で颯爽と生き抜いた、と思わせる性根の座りようも豪胆だ。だから、一作毎にノーハウを蓄積していく字幕制作に関わる事業も、書く人が書けば、涙ぐましい奮闘努力の一巻になるはずだが、神島さんの手にかかると、どこかゲーム感覚の心地よさがある。無論、数夜に及ぶ不眠の作業とか、難題に取り組む労苦は字面でわかるが、それでもなお風通しの良さを感じてしまう。字幕制作という仕事に対する関心から発し、大正生まれの天晴れなオンナの生き様を知って閉じる著書ということになるか。
 1993年、神島さんには、半世紀の長い間、映画のスーパー字幕の打ち込み事業一筋に献身した労苦に報いて、と日本映画ペンクラブ賞が贈られている。文科省も監督や俳優ばかりでなく、こうした神島さんのような仕事にも目配りすべきだろう。

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ 『映画の天使』 宮川一夫+淀川長治

サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ 『映画の天使』 宮川一夫+淀川長治

 天使は光を養分として生きているらしい。光の聖性そのものが天使なのだろう。だからカトリック国の画家たちは天使に翼をひらかせ光の満ちる空間に飛翔させた。
 けれど、物理学的な光とは別に、光は肉体内部の闇のなかにも生息しているようで、それは繊細な細胞にも染みつき、網膜の内側に潜んでいる。そして、そこにも天使は宿っている、というようなことをヴォルテールは語っていた。
 ヴィム・ヴェンダースは『ベルリン・天使の詩』で肉体的実在の天使をみせてくれた。無性無垢の幼子ばかりが、天使の可視化であろうはずがなかった。おびただしい聖像画で強いられた天使のイメージは、ヴェンダースの動画によってたちまち払拭された。それだけでアノ映画は至高の価値を有するものだ。
 世に「天使学」というものがあるらしく、その方面の碩学たちが時代の最新の知見を取り入れつつ著した書物によれば、時間と空間を超えて飛翔する天使はカトリシズムの強固な外壁のうちに閉じ込められている存在でないことを知る。「天使体験」といわれるものがある。いわゆる奇跡譚の類い、ともいえる。
 絶望の淵に立たされた人間を救うナニモノかの存在、いわばケースバイケースで変容する存在としての「天使」を見た、出会ったという体験の累積は膨大なものになるらしい。ローマ法王を輩出したドイツの映画監督が中年の冴えない天使像を造形してみせたのが面白い。その監督ヴェンダースが、宮川一夫さんと淀川長治さんが身体を寄せ合って親しく歓談している様子をみて、「東京の天使」といったそうな。それが、本書の表題に啓示を与えた。
 けれど、本書の成立には宮川・淀川対談を記録した映画が先行してあって、ついでに……かどうか知らないが、ともかくお二人の全発言が起こされ活字となった。 宮川さんも淀川さんも「映画」を通して、わたしたちに至福をもたらしたという意味においてまさに天使的存在なのだった。この対談当時、すでにお二人とも80歳を過ぎているから老獪な天使である。
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 淀川さんは映画黎明期からの性根の座ったオタクであり、それが嵩じて映画の宣伝マンへ、ジャーナリストとなった人だから兎にも角にも語りの人なのである。反して宮川さんは明治の職人気質を持った職人肌の人だから自慢げに仕事を語らない。寡黙である。そんなふたりが公衆の前で対談すれば、どうしたって淀川さんの独壇場となってしまう。で、淀川さんは、しきりに「宮川さん、もっと自慢しろ」語れと促しても、宮川さん、最小の言葉で言い切ってしまう。そこでまた淀川さんが、宮川さんの沈黙を補うようにテンションをあげてゆく。淀川さんの語りは雨季の瀑布のようなもので、宮川さんの言葉は瀑布に突き出た動じない巨岩である。そんな対談が臨場感かくもあらんと行間を埋め尽くしている。
 
 正直言って本書は前回、『映像を彫る〜撮影監督宮川一夫の世界』を取り上げた関係で、その補足として読んだ。ゴロ寝しながら読んだ。読んだ、というより接触したという感じでたちまち読了した。淀川さんは映画に投影された人間機微の真実、言葉だけでなく身体表現のささやかな揺らぎのなかで人生一期を刻印できる強さを持つ芸術形式と力説する。批評的な言辞でいえばそういうことである。けど、淀川節はあくまで日常語の世界でそれを語りつくす。
 幾度か淀川さんと親しく接する機会をもった。本書の関係でひとつ記しておく。
 宮川一夫さんが撮影された映画『曽根崎心中』の完成を祝う小さな会の席だった。淀川さんは、監督の栗崎碧さんを「先生」と言って褒め上げつづけた。けれど、本書を読めば、『曽根崎心中』の成功はまず吉田玉夫さん蓑助さんの至芸があり、人形が生あるもののごとく呼吸するさまを光と影を自在にあつかい映像化した宮川さんの技術があってのことだ、と言外に語っているのだった。でも、淀川長治という人は、主賓がいる席ではけっして、批評しない。すばらしい映画はなにより栗崎碧さんが発案したことによって生まれた傑作に違いないという次元で褒めちぎるのだ。それは確信だから、語尾もあやふやにならない。躊躇を留めるといったはしたないこともしない。だから、日曜洋画劇場の司会でも放映作品をけなさない。いくら駄作であろうが、どこか語るべき美点を取り出して賞賛するウソをつき、平然としていた。テレビの前に座っている視聴者は主賓である。その主賓に向かって、「時間の浪費ですよ」と本音は言えないのだ。ウソをつきつづけてきた、と正直に語るところが淀川さんであって、作り話を真実らしく見せるためのウソをレンズをフィルムに焼き付けたのが宮川さんであった。どちらもウソの名人、ウソも方便ということを知悉した類いまれな天使の歓談が詰まった本がこれである。ということは、堕天使か……。

 映画は小さな映写室から放たれた強い光で拡大されて人生、有為転変が語られる。投光に宿る天使が淀川+宮川であった。光を養分にしてわたしたちを楽しませてくれた天使であったのだ。天使angelはギリシャ語起源の言葉から発している。その原意はメッセンジャーであった。つまり、淀川さんも宮川さんも文字通り映画を通してわれわれに慰安をもたらしてくれたメッセンジャーであったのだ。

 余談……パンドラで出版されている淀川長治さん関係書は本書だけというので、この連載コラムでは他で書く機会もないようだから、敢えて追記しておきたい。
 小生、中学生時代の恥ずかしい話ではある。
 実は、淀川長治さんに手紙を書いたのである。
 〈将来、映画関係の仕事をしたいと思っているのですが、どうしたら良いでしょう〉といった内容で、主旨明瞭、率直ダイレクト直球の手紙を送りつけたのである。某編集部へ。世間知らずの怖いもの知らずといえばそれまでだが、しかし、中学生の僕はそれなりに「世間」の生き辛さを学んでいたと思う。貧しい家の暮らしと、そして映画を通して。愛に地獄もあれば煉獄もあるということを映画を通してなんとなく理解する童貞であった。こっそりと若松孝二のピンク映画を見れば、東宝特撮モノも溺愛し、日活アクション映画の薄ぺラさより松竹映画を好んだ。桑野みゆき扮するチンピラやくざの情婦が、男にいたぶられ(という言葉はまだ知らなかったが)ても何故、逃げないのか、その不可思議に大人になることの憂鬱を感じていたのかも知れない。マセタいけすかない少年であった。それでも優等生であったし、孝行息子でもあった。こういう少年の心の闇は深く傷つきやすいのである。
 淀川さんに書いた手紙には片々たる映画知識をもとに未熟幼稚な評語で書き連ねたものだったろう。返信を本気で期待していたかどうか今となって判然としない。投函からどれくらい経ったのかは覚えていないけど、葉書が来たのである。淀川さんの直筆でギッシリと埋められていた。今でもどこかにあるはずだ。気恥ずかしくて再読できないが、捨て切れずウン十年、引越しの際にも残された。
 淀川さんは受け流すことはなく誠実に応えてくれた。〈きみの可能性を今この時期に映画だけに絞り込むのは早すぎるし、未来を自ら狭める年齢でもない〉といった主旨であった。中学生の「野心」を慈しんだ上で書かれた丁重な文章であることが当時の僕にも了解されるものだった。長じて、淀川さんと直接、お話できる場を共有しながら、中学生の無作法を謝辞することはできなかった。僕が中米グァテマラからメキシコへ転居したあわただしい時期、淀川さんは永眠されてしまった。
 サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ……。

『映像を彫る 〜撮影監督 宮川一夫の世界』 渡辺浩・著

 『映像を彫る 〜撮影監督 宮川一夫の世界』 渡辺浩・著

 イタリアW杯の年だったから1990年6月であった。
 僕は中米地峡諸国をおんぼろバスを乗り継いで旅をつづけていた。内戦下のエル・サルバドルの国境ゲートを通り抜け、ホンジュラスへ入った。
 太陽は天頂から傾きはじめたぐらいの時間だった。夕暮れ前には首都テグシガルパに着く予定だった。ところがバスはエンジントラブルを繰り返しつづけた。スペイン植民地時代、銀鉱のあったテグシガルパは高原地帯の狭い盆地に人家が蝟集(いしゅう)する町だ。バスは気息奄々といくつもの尾根を越えて走る。到着時間はとっくに過ぎ、闇のなかをゼイゼイ言いながら転がりまろびつつ走っていた。
 それが何処だったかはじめて通る場所だから見当もつかないが、いずれテグシガルパの郊外であることは間違いない。前方に広がる山陰が突然、ひかりで蠢いてみえた。明度は増し、やがてバスはそのひかりのトンネルのなかを楚々と踏み込んだ。ひかりの源は蛍だった。それも万。数万という数の蛍の群舞であった。
 中米の高原地帯に棲む蛍は清水(せいすい)を必要としない。棲家も地中に穿った穴のなかであったりする。その蛍の愛の交歓、文字通りの饗宴乱舞の輝きであった。なんとも名状しがたい光景だった。宮本輝氏の『蛍川』の蛍火はワビサビの静寂なら、それはオーケストラの咆哮のような輝きであった。漆黒の闇のなかに忽然と出現した奇跡であった。文字通り言葉を失った。けれど、周囲の乗客はさして驚きもせず、運行の遅滞に苛立ち、それでも怒りもせず諦観を決め込んでいた。エアコンもない乗り合いバスの窓は全開されているからゆらぐ光は車内を徘徊しはじめる。
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 言葉を失ってはいたが後日、この感動をだれ彼に伝えようとするだろう、その時、なんと形容すべきかと思っていたに違いない。それを言語でなく映像で言い表せないかと思っていたようだ。そのとき、僕の脳裏に浮かんできたのは映画『炎上』の金閣寺焼亡のシーンだった。無数の金箔が木肌から剥離し炎のなかに跳ね回るようなイメージを喚起させた極彩美。あの映像をとったカメラなら山を動かす蛍の群舞を写し取れると思った。ひかりで山はうねうねとカタチを変えた。ひかりの蠢動のなかでバスは自走するのを辞(や)め、ただ神の導きのなかに吸い込まれてゆくように思った。そんな神秘的な静寂のなかで豪奢に輝く昆虫の愛の交歓を万人に伝えるのはアノ撮影者だけであるように思ったのだ。
 『炎上』はモノクロームであった。けれど僕はあの炎上盛んな様に朱色や黄金の瞬きをみたと記憶している。蛍のひかりには濃淡がある。一匹一匹それぞれ明滅の速度は違うし光度も異なる。そういう万象、微細な動態のイメージを撮り得るのは宮川一夫のカメラだけであるように思った。
 奇跡の邂逅は、それ以後、中米に暮らしはじめ熱帯雨林の自然を観照するフレームも宮川流であったように思う。森羅万象、である。生きた密林のなかは薄暗い。旺盛な樹冠によって光が遮られているからだ。けれど、風にゆれて樹冠に切れ間が生じると、熱帯太陽の刃は鋭く切り込んでくる。その硬度は、映画『羅生門』の暗い藪のなかに展開した人事と、その禍々しさを照射する烈しい光と同じである思った。『羅生門』もまたモノクロームのグラデーションのなかに光のプリズムを感じさせた映像であった。
 〈映像を彫る〉とはうまい命名だ。〈彫る〉には職人的な業と、芸術的感性・創造力を合わせもつ。職人的撮影監督は多いけど、芸術的なひらめきを感じさせる映像作家はきわめて少ない。だから、著者は宮川世界を〈映像を彫る〉と象徴化してみせたのだろう。多くの監督が宮川カメラの恩恵で実力以上の仕事をした、と言外に強調している。
 『炎上』の市川昆監督にしても、『羅生門』の黒澤明監督にしても宮川一夫という名カメラマンなくしてあの成功はなかったはずだ。映画という表現形式において撮影監督という立場は重要きわまりないが批評の序列は一段下がる。だから、監督論ほどは語られない。僕自身、本書を手にするまで撮影監督の本など読んだことはなかった。そして、本書を手にしたとき、たちまち蘇生したのが冒頭の熱帯地峡の蛍のひかりの群舞であったのだ。
 丁重誠実な本だ。正直、カメラの門外漢にはスーと染み込んでこない専門用語やら機材の煩瑣がある。でも、そうした機材のことが書かれていても、結局は手工芸的な職人のぬくもりを伝えるさまざまなエピソードの紹介のなかに融解していく。幾多のエピソードがなにより面白い。『羅生門』の藪の中のシーンで強いコントラスをつくるため宮川は、「樹や草や葉などは、黒のスプレーで塗りつぶした」という。そういう裏話的エピソードが刺激的だ。カメラという工業製品を馴致させ、墨と筆、そして紙を自在に扱って倦むところのない絵師のような宮川の姿を知り、あらためて畏敬を深めた。
 宮川撮影作品の目録をみると未見の作品はけっこう多いし、今後も主題からして興味の湧いてい来ない作品も多い。けれど、(名作座でみた)『羅生門』『炎上』、(公開時にみた)『沈黙』『はなれ瞽女おりん』、あるいは栗崎碧さんの作品というより宮川監督作品といったほうが正鵠を射る『曽根崎心中』……そうした一ダースばかりの名作は映像それ自体が芸術なのであった。それが生み出された現場を言葉によって再現しようという試みが本書であった。
 著者・渡辺浩は松竹大船撮影所で撮影技術を習得した実作者である。いわゆる試写室通いの評論家には到底、近づくことのできないテクニカル技術を習得した者の視線がある。それは本書の力になっている。別に映画を見る目が変わるなどと有り体の褒め方はしない。けど単純に楽しみ方は倍化する。読後、すごく得したような気分になれることは請け合いだ。 (2006年頃記)

米国、“赤狩り”時代に報道の自由を守り抜いた男を描く映画『グッドナイト&グッドラック』

米国、“赤狩り”時代に報道の自由を守り抜いた男を描く映画『グッドナイト&グッドラック』
  ~ジョージ・クルーニー出演・脚本・監督 2005
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 先日、7月公開映画『トランボ』について書いているとき、2005年の旧作『グッドナイト&グッドラック』を思い出したので忘れないうちに、この機会を利用して書いておこうと思った。
 1950年代、冷戦下の米国で起きた狂気じみたマッカーシズム。人権弾圧、表現活動への圧迫が、愛国主義の名の下に「正義」として“赤狩り”が行なわれた。そのなかで敢然と、醒めた目で闘った一人が映画『ローマの休日』など、いまではハリウッドの古典となった幾多の名作のシナリオを書いたダルトン・トランボであり、映画『グッドナイト&グッドラック』の主人公エド・マロー(デヴィッド・ストラザーン)であった。
 トランボに比べるとマローの日本での知名度はほとんどない。CBSテレビの看板ニュースキャスターとして、人気番組『シー・イット・ナウ』をもっていたが、現在のインターネット時代のようにリアルタイムで米国のTV番組を観ることは不可能だったから、知られていないのは当然だ。米国では“放送ジャーナリズムの父”として名を遺す才能であったとしても。
 ジョージ・クルーニーが長年、温めていたテーマであったらしく、脚本を書き、出演もし監督も兼ねた。クルー二ーは、マローの不退転の立場をサポートするディレクター役で登場する。『トランボ』では描かれなかったマッカーシー上院議員が本作ではニュースフィルムのなかでしばしば登場する。それらはみなモノクローム映像ということもあってか、本作もそうした記録フィルムとの同化、同時代性の雰囲気を醸し出すためモノクロームとなっている。マッカーシー議員が映画のCBSスタジオのTVに映し出され、リアルタイムの物語として描かれる演出はクルーニーのしたたかな才能だろう。
 演出も抑え目で、マローを英雄的に描くことなどしていないし、当時のルーチングワークのなかで淡々とことが運ばれてゆく中で、陰に日向に、当時の狂信的な世論が、マローと、その仕事仲間を圧迫してゆく沈うつな雰囲気が描かれる。
 マローが淡々と読み上げる原稿は、それ自体、マッカーシー議員に対する批判であり、抵抗であり、明日には自分の首も飛ぶかもしれないという状況のなかでのヒロイックな行為でもある。しかし、映画はそのあたり声高く描かない。番組の終り、マローはいつでも素っ気なく、「グッドナイト&グッドラック」と簡単な挨拶を視聴者に送っていた。それが本作タイトルの由来だ。

 平常心で権力悪と闘う・・・・そういうジャーナリスト、そんなジャーナリストを支えるスタッフ、マスコミ企業の存在はいつの時代は必要だろう。TV界におけるニュースキャスターの影響力は米国では、日本と比較にならないぐらい大きい。それは、こうしたマローたち先駆者たちが開拓した職能的ブランドの高さゆえだろう。クルーニーの映画のなかではもっとも地味な映画だと思うが、『トランボ』の傍系資料として観て欲しい作品だ。

映画「トランボ」 ジェイ・ローチ監督

映画「トランボ」 ジェイ・ローチ監督
            *7月下旬、公開。
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 筆者にとってトランボことダルトン・トランボの名は、彼が1939年に発表した小説「ジョニーは銃を取った」の原作者であり、1971年、ベトナム戦争の最中に唯一の監督作品となった『ジョニーは戦場へ行った』(邦題)を撮ったハリウッドの良心として記憶される。
 四肢はおろか姓名すら一個の爆弾で失った若き負傷兵の物語は、第二次大戦直前に準備され、米国政府が当時、志願兵募集のキャッチフレーズとしていた「ジョニーよ銃を取れ」に対する反論として書かれ刊行された。そのためトランボは当局のブラックリストに載せられ、小説も発禁にされた。トランボの名作は、ドイツの反戦文学の古典的名作「西部戦線異常なし」の米国版といってよい。
 そうしたトランボの政治的姿勢は、大戦直後のいわゆる「赤狩り」のなかで筆頭に指弾されることになる。そして不当に逮捕され、禁固刑の実刑を受ける。釈放後も、その思想信条をいささかも曲げず、ジョン・ウェインらに代表される右派と対峙、ハリウッドの良心として筋を通した才能だ。

 むろん本人は米国の民主主義を守護する愛国者として行動しているのだが、「反米主義者」との汚名をあびせられ、仕事も奪われる。しかし、食うために働かなければならない、才能を安売りしてB級映画の脚本も手がける時代もあったし、匿名で多くの名作の原案・脚本を書きつづけた。ちなみにその作品名をあげると、オードリー・ヘップバーン主演『ローマの休日』、カーク・ダグラス主演『スパルタカス』他、『脱獄』『パピヨン』など数多くの名作、ヒット作が並ぶ。
 そんな名脚本家の後半生を描いたのが本作だ。必然、多くの著名人が登場することになる。いや、そうした著名人を描かないと映画にならない。多くの人の「名誉」に関わる題材を扱うということで、ハリウッドの長い歴史のなかでも重要な挿話であったトランボの物語を映画化するのは至難のことと思われてきた。トランボ死後、40年の歳月を待たなければならなかったのは、そうした事情があると思う。

 大戦後の熱い「冷戦」下で起きた「赤狩り」、それはデマゴギーの旗振り役マッカーシー上院議員が煽動したことでマッカーシズムとして知られるが、本作では、そのマッカーシ議員は描かれない。米国を追放されたチャップリンのことも取り上げられていない。しかし、象徴的にソ連のスパイとして告発され、無実の罪で処刑された科学者ローゼンバーク夫妻のことはニュースとして映画として登場する。
 ともかく「赤狩り」の狂熱によって不当に命を奪われた人、職を奪われた人、家族の崩壊、一家離散、亡命などさまざまな悲劇が繰り返された。この渦中にあった著名人の名をあげてゆくだけで数ページになる。
 映画は、この政治的狂熱をトランボという稀有な才能と、その近しい友人、仕事仲間に収斂させて描いた映画だ。その手法はよく理解できる。しかし、トランボの不退転の強さ、その硬軟取り混ぜての抵抗精神を、主演のブライアン・クランストンは表現できたかというと疑問符をつけねばならない。“軟”の傾きが大きいように思ったからだ。それは監督の意図でもあっただろうが、映画に登場し、それなりの役割を担うエドワード・G・ロビンソン役のマイケル・スタールバーク、ジョン・ウェイン役のデヴィッド・ジェームズ・エリオットまでが軽き存在にみえてしまう。
 思想信条の自由という民主主義の根幹に関わる問題をトランボの生き様に托して描こうという前提にあったはずだろう。強いて深刻がるそぶりはないほうがよいし、わざとらしくあざとくもなるだろう。しかし、こういう作劇ではないだろうと思わせる軽さに私は終始、違和感を抱きながらみていた。

 時代のおおきなうねりのなかで転がってしまう、せき止めようのない政治的な粗暴は何時の時代、どこの国でも起こりえる。いま、移民排斥をレイシズムの語調で訴え、特定民族を忌避する大統領候補を本選に送り出した米国から、こうした映画が送られてきたことはすこぶる暗示的ではある。 
プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

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