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映画『ボーダータウン ~報道されない殺人者』グレゴリー・ナバ監督

映画『ボーダータウン ~報道されない殺人者』グレゴリー・ナバ監督
映画 ボーダータウン

 米国の最南端、メキシコ最北端がせめぎ合うところ、そこはボーダー、国境だ。3141キロにおよぶ長大な距離だ。
 ちょっと想像できない距離だと思うが、日本列島をまず思い浮かべていただきたい。北海道の北の端・稚内から直線距離で確か台湾に届く、いや縦断してしまう距離であったと思う。そして、そこは世界最大の富裕国USAと、一握りのとてつもない資産家と膨大な数の貧困者が住むメキシコが接する場所である。経済的矛盾が牙をむき出して拮抗している場所だ。
 映画はその経済格差が生み出したマキラドーラの工場ではたらく未熟練の低賃金労働の女工さんたちを襲う惨劇が主題だ。マキラドーラとは労働現場の治外法権、メキシコであってメキシコの国内法が発動されない地帯といえる。だから、経営者側はいってみれば、やりたい放題となる。
 資本は米国や西欧諸国、そして日本や韓国など先進諸国の大企業だが、労働力はメキシコの廉価であり余っている地方出の若い労働者。国境の南側に立ち並ぶ工場では家電製品が生産され米国で大量消費される。米国の快適な暮らしを演出する電化製品は、劣悪な労働現場で生産されているものだ。
 まず、労働組合もなれけば社会保障も完備しているとはいいがたい。雇用側は労働者を使い捨てとしか思っていない……というブラックな部分はこの映画では真正面から扱われていないが示唆はされている。雇用側は女工さんをロボットより使い勝手の良い“機械”としてしかみていなのではないか。つまり彼女たちの生命を軽視される。
 そんな労働風土のなかで連続して起きているのが、女工さんたちを標的としたレイプ殺害事件だ。
 メキシコ側のフォレスで頻発し、その犠牲者はメキシコ警察の発表では約500件。それだけでもすさまじい数だが、警察当局の意識的怠慢は憎むべき犯罪を放置していると言わざる得ない。犠牲者の実数は闇に葬られ、人権組織などによれば5000件を超えるというのである。警察が認めた数の10倍であり、いまも犯罪は消えていない。
 この事件の真相をレポートしようと米国からやってくるローレン(ジェニファー・ロペス)と、地元で事件を追う新聞記者ディアス(アントニオ・バンデラス)に、レイプされ九死に一生を得たメキシコ・オアハカ州出身の若い先住民女性エバ(マヤ・サパタ)が絡んで犯人たちを追及・告発するというサスペンス仕立ての映画だが、硬派のナヴァ監督の意図は社会告発であることは明白だ。南北の経済格差であり、資本の悪辣というものだろう。デビュー作の『エル・ノルテ』以来、『ラ・ファミリア』、『セレナ』とラテンアメリカ諸国の移民・難民、経済問題を米国ヒスパニック社会のなかから発信しつづけたナバ監督がマキラドーラを背景とする一連の殺人事件に無関心でいられなかったのは当然だろう。
 また、本誌の読者ならナヴァ監督がスクリーンを通してチカーノ音楽、さらにラテンアメリカ音楽の現況を伝える役目すら担ってきたことも知るだろう。
 ジェニファー・ロペスが歌手として本格的な活動を展開するきっかけとなったのはテハーノ・ポップスの女王セレーナの悲劇的な生涯を描いた『セレーナ』に主演したことがきっかけだった。彼女は、その前に『ミ・ファミリア』でメキシコ先住民出身の女性役を演じている。本作にもコロンビア出身で、撮影当時、ラテン世界のアイドルのひとりであった人気歌手ファネスが登場し、ヒット曲をマフィアの内輪のパーティーで歌うという場面がある。そのステージをみてエバが狂喜するシーンがあって、それは役というよりマヤ・サパタの感激そのものを刻印しているようで面白かった。

 ジェニファー・ロペスが演じるローレンはメキシコの不法越境者の子という来歴を封印しキャリアを積もうとしているジャーナリストである。そんな彼女が何故、米国でも有数の新聞社に勤めることができたかというディテールは完全に削られている。ナバ映画ではそういうそぎ落としが良くある。そんなローレンは女工のエバと行動をともにするなかで、越境に失敗していれば自分もマキラドーラで働いていたかも知れないし、レイプされ殺される可能性すらあった、と思う。それはすこぶる現実的な想像だ。エバを演じたマヤ・サパタは日本での公開はないが、メキシコではヒットした青春映画などでおなじみの新進女優で、映画は彼女を採用することでメキシコでの注目されることを計算しているだろうし、連続殺人事件への関心を促していることは確かだ。

 ナバ監督は、一連の事件を大局的にマキラドーラの矛盾に満ちた搾取構造に起因すると語っているように思うのだが、ではなぜレイプされ、ときに猟奇的に殺害されるという犯罪の闇は解明されない。メキシコにはこの事件をめぐってさまざまな噂が渦巻いているといってよいだろう。そのなかには惨酷、おぞましいものまである。映画はそれはまったく語っていない。そのおぞましさは今日、メキシコにおける麻薬戦争による犠牲者の姿に通底するものがあるが、いまははっきりと確証があるわけではないので書けない。しかし、メキシコではしきりにうわさされている凄惨きわまりないものなのだ。
 制作前、撮影中にもスタッフは脅迫を受けていたといわれるが、その圧力によって、糾弾の矛先がすこし鈍磨したのかも知れない。 2008/9

グァテマラ*映画『線路と娼婦とサッカーボール』

線路と娼婦とサッカーボール』
      チェマ・ロドリゲス監督
娼婦の

 中米グァテマラ、1990年代の半ばまで30有余年にわたる内戦をつづけていた小国だ。
 めぐまれた自然、希少種の動植物、地味の豊かな農地、先住民がそれぞれの習俗を守って暮らし、マヤ文明華やかな時代の広壮な神殿都市遺跡が散在する。
 もし、寡頭階級の貪欲、なりあがり軍人たちの暴力、そして多国籍企業の横暴がなく、民主主義が機能し、公教育が整備され識字率が上がれば、この国はいくらでも豊かになれるだろう。6年、この国に暮しての実感である。
 
 貧しい。いま現在、実勢としてもっとも貧困率の高い中米の小国だと思う。政府の発表する統計など、この国ではまったく当てにならない。「統計」とは権力者が恣意的に操作する支配の道具でしかない。
 既得権を放そうとしない寡頭層はいまも民衆を制度的に強いた「創られた無知」につけこみ、イビツなシステムを保持する。その最大の犠牲者は貧しい女性であり、子ども老人たちだ。本作は、この小国の矛盾を最下層の娼婦たちの生活に象徴させた記録映画である。

 カメラは乾き冷徹だ。娼婦に対するヤワな同情、神経質な感傷とは無縁の視覚から日常を切り取っている。
 貧しさには無限大のグラデーションが存在する。それが途上国の実態である。
 〈貧困の文化〉という言葉がある。貧困は特有の文化土壌を醸成することを客観的にルポしたのは、人類学者のオスカー・ルイス。本作は〈貧困の文化〉論に対する雄弁なテキストともなっている。娼婦の〈貧困〉を量化せずに個別性を重視し説得力を持った映画である。
 タイトルの「線路」とは首都の旧市街に終着駅をもったカリブ海と太平洋を縦断する国有鉄道を意味する。この鉄道は筆者がこの国で暮らしはじめた1991年には客車が走っていた。現在は貨物専用になった。内戦で疲弊した経済は客車の整備に手がまわらず老朽化し廃止された。
 一度、客車のなかからスラムの空気をしたたかに吸ったことがある。
 スクリーンは、匂いを出さないが、スラムには独特の饐(す)えた臭気がある。貧困の臭いだ。歩いてスラムに入れば臭いは自然となれる。しかし、走る列車に飛び込んでくる臭気はきつい。映画の娼婦たちは、そんな臭気のなかで日々、客をとりつづけている。そして、客となる男たちも貧しい。このスラムから10分ほど歩けば、そこそこの調度をそろえた小綺麗な娼婦館がある。そこには本作に登場する娼婦より若く綺麗な娼婦がはべっている。さらに、外資系の会社のオフィス、外国公館があつまる治安のよい界隈には、肌の白い、欧州女性の体形をもつ若い娼婦たちがドル紙幣で身体を売っている。
 映画は、最下層の娼婦たちが主人公だから、そこに映し出される光景は貧しくくすんでいる。この国の貧困のドキュメントともなっている。そんな娼婦たちがサッカー・チームを結成した。これはタブーへの挑戦だ。
 たとえば日本で、ソープランド嬢たちがチームを編成し、白昼、現役女子高校生や女性警察官チームと対戦することなど考えられないだろう。まがりなりにも、それが実現するのはラテン的風土の寛容性である。しかし、同時に濃密なカトリック倫理観に支配された保守層は、娼婦たちのチームそのものを否定、いや唾棄する。グランドで娼婦たちが転び怪我をし、血が吹き出て、「(健全な)な女性に附着したらどうする」とエイズに対する無理解も出てくる。そんな環境のなかで娼婦チームは国内各地を転戦し、カメラの前で問わず語りに身の上を話し、夢が語られてゆく。
 〈賤しい〉仕事であることは娼婦たちも映画の作り手も承知している。居直ったりしない。匿名の〈娼婦〉であることを拒絶し、個性 をもつ女であることを主張することを覚悟したとき、この映画は普遍性を獲得した。
 ロードムービーとしての側面もある。この国に6年暮らした評者には古代マヤのティカル神殿都市、カリブ沿岸のリンビングストンの海、そしてスラムも懐かしく思い出す。映画に登場するすり鉢状の谷間にへばりつくスラムは、国家宮殿やカテドラル(中央大聖堂)が建つ中央広場と指呼の間の距離にある。この国の施政者は風向きでスラムの臭気が流れてくる場で執務している。
  (2007年10月)
*本稿を採録したのは現在、東京・神保町でグァテマラ映画『火の山のマリア』が公開されているからだ。マヤ系カクチケル族の娘マリアは、この国ではいつスラムに沈み、娼婦となるかもしれない位置にいる。この国で最下層の娼婦となっているのは、先住民の衣裳を脱ぎ都市部でいきる娘たちでもある。

死を見つめることのリアリティ*日本・コロンビア映画『死化粧師 オロスコ』

死を見つめることのリアリティ
 日本・コロンビア映画『死化粧師 オロスコ』釣崎清隆監督
 
オロスコ2

 「自爆テロ」という言葉はいま、時事用語から国際社会の矛盾を語る際のひとつの常套句のようになってしまった。しかし、ひとが「自縛テロ」と語るとき、そこにどれだけ死の様相を想像しているのだろうか? 人は「自縛テロ」と言えても、その死の在り様を語ってはいない。あるいは「死」そのものがまったく希薄に語るニュースキャスターがいる。彼らは「死」をなにも語っていない。
 「自縛テロ」を主題に扱った映画がハリウッドや欧州諸国、そしてイスラム諸国でも制作されている。しかし、その自縛テロを決行した者たちの死体というものはけっして映像化されない。リアリティを重視する監督でもせいぜい血にまみれた身体の一部、腕とか手首、片足を偽造して示すだけだ。むろん、テロの犠牲者もそんなふうに描かれる。テロ実行犯の最後の表情を留めているはずの頭部というのはけっして描かれない。もし、頭部が描かれるとすれば、それはホラー映画の領域に国際政治が侵入するときだけだろう。
 あるいは現在、メキシコ北部 州で展開される「麻薬戦争」の犠牲者たちの遺体、それは凄まじいものだ。自縛テロの死は一瞬に訪れるかもしれないが、「麻薬戦争」の犠牲者は、おそらく激しい拷問の末に迎えた無残な死の姿が留められている。そうした死体が発見された直後の写真というものが、これでもかとみせるサイトがある。英語かスペイン語を少し理解できればすぐみれる。そこには、たとえば美少女の頭部はむろん、手足が切り離された全裸の死体というのまである。猟奇的とはいうまい。それが、この世の現実なのだ。
 死の臨場感を知ることは、いま、この社会に生きる成人の義務であると思う。メメント・モリ・・・死を見つめることなくして現代社会の矛盾をリアリティをもって窺うことはできないのではないか? ましてや今、市民が三番完成度の下で証拠写真なるものを見なければいけない時代になっている。そこには非日常性の光景がある。それを平常心で見つめることの必要を市民に強いながら、その実、この市民社会は平然と「死体」を見つめることの忌避している。それはおかしいと思う。人の罪を問い、罰を強いる立場の人間が死を直視しなければ情緒で、それを問うことになる。ましてや、裁判につらなった者が、そんな写真はみれないと忌避するのは、それこそ怠慢である以上の罪だろう。
 
 日本のマスコミは“死”を見せない。
 日本国内の事犯に関する死体であれば、遺族への配慮、ということはあるだろう。しかし、国際的に注視され る犯罪、戦争であるならば“死”を見つめるべきだと思う。世界の現実は過酷だ、苛烈な業火があちこちで噴き出している。それは認識されなければいけない。
 日本でも18歳以上の選挙権が認められた。当然だと思う。18という年齢はいま、紛争地で銃を握って戦っている世代だ。日本の経済的な豊かさは、途上国の貧困、とくに鉱物資源でしか外貨を稼げない国、不当な市場によって価格操作されている換金作物しか輸出できない国の貧しさの上で成立しているところがあるだろう。そうした国で少年・少女たちが戦っているのであれば、日本の少年・少女たちも選挙権を行使するのは当然であり、その責任を全うすべきだ。そして、死を見つめよ、と言いたい。

 私は、約6年、内戦時代の中米グァテ マラに暮らしていた。無残な死はいたるところにあった。
 それは毎朝、新聞の一面に掲載されるかたちで家のなかに入り込んできた。「身元不明」の死体、その顔写真が週に幾度も掲載された。それは個人的な特徴がわかるようなおおきな写真であった。そんな死顔が大きく掲載される理由は幾つもあっただろう。
 警察・あるいは軍当局が、政府に逆らうとこんな目に合うぞという脅しとしての効果、あるいは黙秘したまま拷問死してしまった“政治犯”の身元の洗い出し。
 そうした写真を掲載することで新聞社は政府に協力の姿勢を示すと同時に、読者に現在の政府とはかくも非人道的であるとも語れる。けっして名乗りでてはこない遺族に、父や子、孫の「死」を告 知する効果もあったのだ。
 そして、そうした死顔はまちがなくエンバーマーによって修復されているのだった。内戦国には手練のエンバーマーが数多く働いていた。私の住んでいたグァテマラのアンティグア市にもいた。その仕事ぶりも身近にみた。
 1980~90年代、ラテンアメリカ諸国を旅した日本人バックパッカーたちのあいだで伝説的な存在でもあった青年に大阪出身の“ユキさん”がいた。アンティグア市で唯一の日本レストラン「禅」を経営し、そこは日本人バックパッカーの溜まり場となり、情報交換の場として機能していた貴重な存在であった。
 その“ユキさん”が隣町の安酒場で地元のチンピラたちに嬲り殺された。全身、くまなく強打されての憤死である。し かし、棺に納められレストラン「禅」に戻ってきた“ユキさん”の顔は穏やかであった。確かに顔の腫れは退いていなかったが、腫れているぶん、少し痩せ気味で尖った印象のあった“ユキさん”は穏やかな青年の死顔に変身していた。つまり、見事な死化粧が施されていたのだ。

 映画『オロスコ』は南米コロンビアのエンバーマー、死化粧師の手練の技をあますところなく描いている。仕事でエンバーミングされる死体が幾体も登場する。男も女も・・・。人間の皮膚の強さとか、顔の皮膚もペロリとめくれ上がって、元に戻るものだということも教えてくれる。内臓が鷲づかみにされ洗浄される。映画に出演した時点で約5万体に向き合ってきた仕事師の手際がみれる。といっても、この映画を正視できる者だけが理解できるものだろうが。
 オロスコの手際はまったく見事としかいいようがない。5万体の遺体と向き合ってきた実績と経験がよどみなく流れる“処理”に表象されている。そして、エンバーミングされた遺体の仕上げは、女性ならできるだけ生前のいちばん見姿にしようと化粧ほどこす。男性ならその地位に相応しい威厳を再生しようと試みる。遺族はエンバーミングの過程を知る必要はない。哀しみを深めてはいけない。死者が遺族に微笑みかけるように“蘇生”させなければいけない。オロスコという職人はそういう人だ。アルチザンだが、死を“造形”するアーティストであったかも知れない。彼が映画の完成をまたずに癌で死去したという。それもまた彼の人生であったのだろう。

 社会には、できたら見たくない忌避したいとされる事を請け負う人たちがいる。そういう人が存在するから社会は機能していく。エンバーマーはその典型だろう。
 そして、紛争地では欠くことのできない人材なのだ。社会の暗部を見つめることも人間には時に必要なことだ。その意味では本作は類例を見出せない貴重な映画なのだが・・・といって推薦しているわけではない。気の弱い人は忌避したほうがやはり良いから。でも、こうした仕事も人間社会には必要だということは知る必要があるだろう。

キューバ・ハバナでマリア・フェリックス回顧

ハバナでマリア・フェリックス回顧上映イベント
 
  *昨年、書いてメールで某雑誌に送稿したまま忘れていた原稿が何本も出てきた。年末になると、こうした整理をしたくなる。何本ももう価値なしと消去したが、それでも何本か取っておこというものがある。下記原稿はその一つ。
マリア・フェリックス

 メキシコ映画界が生んだ最大の女優といえばマリア・フェリックス(1914~2002)。今年、生誕100周年ということで様ざまな記念イベントが企画され、それにともなってマスコミでも回顧特集などを組んでいる。
 メキシコ映画の黄金期を同国では、そのまま邦訳できる「ラ・エポカ・デ・オロ・デル・シネ・メヒカーノ(メキシコ映画の黄金時代)」という。1940~60年代だ。この時期、量産されたメキシコ映画は中南米のスペイン語諸国へ輸出されたばかりでなく、フランコ独裁下で多くの映画人が亡命していたスペインにも輸出され、そこからポルトガル、イタリア、フランスなどへ販路を開拓、多くの海外ファンを獲得した。
 その時代、マリアの名と美貌は映画とともに世界的に広がった。マリアの異名を“ラ・ドーニャ”ともいう。1943年のヒット映画『どーニャ・バルバラ』での主演がきっかけでそう呼ばれるようになった。貴婦人に対する謙称、女主人というニュアンスだが、マリアの美貌と立ち振る舞いでメキシコ庶民は自ら、メキシコのファーストレディとみた。また、メキシコの名歌に「マリア・ボニータ」があるが、これはマリアの二番目の夫となった歌手で作詞・作曲家でアウグスティン・ララがマリアに捧げた曲である。テノールのプラシド・ドミンゴがララの作品を集めたアルバムを制作し、日本でも発売されたことがあったが、そこにも収録されていた。ドミンゴは少年時代をメキシコで送っており、マリアは彼の憧れの女優さんだったろし、ララの歌は同時代に親しんでいたはずだ。「マリア・ボニータ」を直訳すれば、「美しいマリア」となるが、“聖母マリア”のイメージに重なってメキシコでは女性を称える最高の献辞のようなものだ。マリアの本名は、マリア・デ・ロス・アンヘレス、天使たちのマリア、である。

 日本では、全盛期の三船敏郎がメキシコに単身渡航、同国南部オアハカで撮影された映画『価値ある男』に主演しているが、その共演者がマリア・フェリックスであった。日本でも大いにヒットしたフランス映画『フレンチ・カンカン』〈ジャン・ルノアール監督)の主演者として、その彫塑的な美貌を記憶されている往年の映画ファンも多いだろう。本誌(『ラティーナ』)の熱心な読者のなかには彼女の歌も知っている方もいるかも知れない。全盛期には多くの歌を録音しており、CDの時代になってアルバムとして復刻されている。メキシコでは幾種もの海賊版も出回っている。美声とはとても言いがたい個性的な声だが、往年のファンには貴重な音源となっている。
 
 マリア主演映画が往時、いかにスペイン語圏でもてはやされていたかを象徴する記念イベントがキューバ映画制作芸術機関(ICAIC)と在ハバナ・メキシコ大使館の共催で6月中旬からハバナで行なわれている。
 マリア主演映画はメキシコだけでなくスペイン、フランス、イタリア、アルゼンチンでも制作され、その数はドキュメントも含め47本といわれている。そのうち40本が2ヵ月のわたって紹介された。メキシコでも容易に実現しそうもない企画がキューバで実現したのは、キューバ革命後も国交を維持しつづけたメキシコとの友好関係にあっただろうし、マリアの全盛期がキューバ革命前の時代であって、それを懐しく思う世代が多くキューバに存命しているという事情もあるだろう。また、メキシコ革命にテーマにした映画『ラ・ク
カラチャ』他、革命物といえる映画に何本も主演していたことでもキューバには受け入れやすかっただろう。
 生前、マリア自身、ハバナを親しく訪問していた。
 また、マリアが活躍していた同時代の歌う俳優、当時「アメリカのテノール」、あるいは「サムライ」と何故か称されたボレロ歌手ペドロ・バルガスを没後25周年を記念する企画もあわせてハバナで開催された。 (2014年記)

プエルトリコの独立問題と映画

プエルトリコの独立問題を扱った映画『テロリストを撃て!』(原題 A SHOW OF FORCE)

 プエルトリコの“良心の囚人”オスカル・ロペスのことを7月初旬に本ブログに掲載してから(原稿そのものは6月初旬記)、米国自治領の島国に少し関心をもつ人が増えたようだ。ラテン音楽ファンには、リッキー・マルティンを筆頭にたちまち両手の指がおれるほどの歌手を数えることができるだろう。往年のラテン音楽ファンならトリオ・ロス・パンチョスの創設メンバーにプエルトリコ出身者がいたことを想い出すかも知れない。
 数日後にノーベル平和賞の発表があるが、ロペスが受賞してもおかしくない。たぶん、候補者の一覧表に彼の名前も記載されているのだろう。
 ロペスのことを書いたり調べたりしている頃、プエルトリコの債務問題は緊急課題として俎上していた。そして、原稿が活字になるころには事実上のディフォルト(債務不履行)に陥った。米国にとっては地方自治政府の経済破綻となるが、財政援助を行なうことはないだろう。かつて自動車の“都”デトロイトが破産したときも連邦政府は助言はしたが救済措置はとらなかった。プエルトリコが州ではなく自治領であるため連邦破産法は適用されないから問題は深刻だ。そして、プエルトリコの独立派は、この経済危機という“好機”を利用して、その声を高くすることもできない。何故なら独立はさらなる経済負担を強いることになるのは明白だから、おいそれとはできない。独立しても、債務を支払う義務は消えないからだ。カリブの小国ハイチは、独立 と引き換えに巨額の債務をフランスに支払いつづけ、今世紀まで最貧国の汚名を強いられた。革命ロシア政府はロマノフ帝政時代の債務を西側諸国に返済しつづけていた。確実にいえることは、米国本土への出稼ぎ者がさらに増大するということだろう。観光も、キューバが米国と国交正常化の道を進むなかでビジネス規模は縮小していくだろうから、先行きは不透明だ。

 プエルトリコの経済問題を課題にするつもりはなかった。ここで書きたいのは、ロペスが活動していた時代のプエルトリコを描いた映画がアメリカで制作されているので、それを紹介することである。
 プエルトリコを舞台にした映画や、プエルトリコで制作された映画というのはけっこうあるが日本ではほとんど黙殺、というか関心をもたれない。
 数年前、ジョニー・デップ主演の『ラム・ダイアリー』という佳作があった。1960年代のプエルトリコを描いた映画で、デップは実在した新聞記者を演じた。プエルトリコの自然環境を破壊する米国企業の経済進出を糾弾した社会派作品だったが、これだってデップが主演していなければ日本で公開されることはなかっただろう、という映画だ。
 スペイン市民戦争後、共和派の人びと、そのシンパの多くがラテンアメリカ各地に亡命した。プエルトリコにもやってきた。市民戦争の勃発期にフランコ王党派に暗殺された詩人ガルシア・ロルカを描いた映画が、プエルトリコに亡命した両親のもとで育った青年の視点から撮られている。この日本公開も知名度のたかい詩人の物語だったから実現したのだろう。米国映画ではなくプエルトリコ映画として公開された。制作資金をプエルトリコの経済界が提供していたが、今回のディフォルトの影響をどれだけ受けただろうか。
 そして、もう一遍の映画がここにある。『テロリストを撃て!』。劇場公開はされなかったがVHSでは発売された。むろん日本ではDVD化されることはないだろう、とおもって急遽、紹介する気になった。オスカル・ロペスを理解する資料になるとおもったからだ。
テロリストを撃て
 1978年、プエルトリコ自治領制定記念式典の最中、独立を志向する3人の過激派が放送塔(プエルトリコでは「東京タワー」的存在)を襲撃・・・しかし、それは罠で、待ち伏せする警察隊によって過激派の2人が射殺される、という事件が起きた。
 この事件は、やがて現状維持派ないしは米国の州昇格を志向する自治州知事を再選させることになる。しかし、その仕組まれた“事件”は女性TVレポーター(エイミー・アーヴィング)の活動によって真相が暴かれてゆく。米国映画だが、立場は、明白に穏健独立派、ないしは自治州での権限を独立国なみに高めようと志向する立場に傾斜している。
 製作・脚本は米国人だが、監督はブラジルのブルーノ・パレット。本作の7年後、軍事独裁下のブラジルで起きたリオ・デ・ジャネイロ駐在の米国大使が過激派に誘拐された事件を取り上げた『クワトロ・ディアス』や、さらに日本でも評判になったリオのスラム街の少年ギャングたちの生と死を東映やくざ映画全盛期の深作欣二監督ばりの実録タッチで描いた『シティ・オブ・マッド』などを撮る才能だ。

 プエルトリコ事情が日本ではよく知られていないということで、劇場公開はなくVHSでの発売となったが、冷戦下のカリブ圏でキューバに近いプエルトリコに浸透するキューバの影響というものに米国、ないしはFBIは神経を尖らせていたか、といったことがよく伝わってくる映画だ。レポーターの上司に名優ロバート・デュパル、主都サン・ファンでFBIのエージェントとして働く、映画では悪役となる男に『ラ・バンバ』などチカーノ役をさまざまなキャラクターで演じきっているルー・ダイアモンド、そして人権派のプエルトリコ検察官にアンディ・ガルシアなどが配されている作品だから、常識的に考えてもB級映画ではありえない。つまり、米国でも1978年の事件は関心事の高いものだったということだ。
 その事件の文脈のなかでオスカル・ロペスたちの活動があるのだ。ということを知ってもらいたいために敢えてVHS版しかない『テロリストを撃て!』を記録しておきたいと思った。

グァテマラ映画『火の山のマリア(イシュカヌル)』

ベルリン映画祭で受賞した
グァテマラ映画『イシュカヌル』
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 グァテマラ映画『イシュカヌル』(邦題「火の山のマリア」)が各国で評判になっている。
 同国の“文化”がラテンアメリカ地域を超えて国際的な話題となるのは1992年、同国先住民キチェ族の出身のリゴベルタ・メンチュウがノーベル平賞を受賞して以来だろう。
 30歳前半だったハイロ・ブスタマンテ監督(現38歳)が初の長編に挑戦した『イシュカヌル』がベルリン映画祭で新しい視点を提出する画期的な作品に贈れるアルフレッド・バウアー賞を獲得したからだ。
 今までアンジェイ・ワイダ(ポーランド)、アラン・レネ(フランス)といった巨匠が獲得してきた賞だ。
 表題は、同国第二の言語集団カクチケル族の言葉で「人吹く山」。実在する活火山で、天気の良い夜などは太平洋沿岸からでも溶岩の流れる様子が煌々と眺望できる。この山麓でコーヒー農園の小作農として働くカクチケル族の17歳の少女マリアが、親から押付けられる結婚を拒否、先住民女性としての誇りを抱きながらも共同体の因習から抜けだそうと葛藤する物語。ストーリーはシンプルだが、ハイロ監督がカクチケル語やマム語(同国先住民言語のなかでは三番目に使用人口が多い。一番はリゴベルタ・メンチュウ女史の母語であるキチェ語)も学びながら先住民習俗、民族宗教、そして文化を学びながらシナリオを書下し、フランスからの資金援助を受けて丹念に織り上げた詩情豊かな作品だ。
 グァテラマ映画が国境を越えてスペイン語圏で話題になったのは36年の長い内戦が1996年に終結したが、その数年前に中国系グァテマラ人が監督した長編映画以来だろう。その作品は、同国で唯一の民族主義的な社会主義政権を樹立したハコボ・アルベンス・グスマン大統領が米国CIAの介入によって倒された時代を描いた作品で、その映画が一般公開されたことは、グァテマラ民衆に内戦が近いと実感を与えるものだった。何故なら、グスマン大統領が武力クーデターに倒されたことから内戦が始まった、と同国では認識されていたからだ。
 その映画を通って今度は、グァテマラの主要民族であるマヤ系先住民を主人公にした先住民言語による叙事詩が完成したことで、この国はやっと民族性をスクリーンに映し出すことができたといっていいだろう。

 「資金は少ないけど時間と情熱だけはふんだんにあったからね」とは受賞後の監督の言葉だ。
 俳優も実際のカクチケル族のマリア・メルセデス・コロイが主人公の少女を演じる他、舞台そのものも実在のカクチケル族の集落だ。
 本作、ベルリンで評価される以前、スペイン、メキシコ、コロンビア、コスタリカ等、各地の映画祭でグランプリ、またはそれに準じる賞を獲得してきた。すでに国際的評価を得ている映画だったがグァテマラ国内で上映される機会がなく、ベルリン映画祭での評価の後押しを受けて8月にやっと上映されることになった。あるいは公開が前倒しになる可能性もある。国際映画祭の価値というのは、そうした実際の興行的な力を発揮することで明らかになる。現在、そうした力を持つ映画祭は米国のオスカー、カンヌ映画祭、そしてベルリン映画祭だけではないだろうか。
 グァテマラだけでなく中米各国の映画興行は米国資本のシネコンの進出で、メキシコのように映画制作の多い国では上映スクリーンを優先的に保障する規定があるが、中米地峡諸国のように生産本数が極端に少ない国には、そうした制度は存在しない。米国資本の商業性が優先されている。という事情から『イシュカヌル』は先行して国際的な評価を持って国内上映に結びつけたともいえる。
 グァテマラはマリンバの国。第二の国歌といわれる「ルナ・デ・シェラフ(シェラフ(現ケツァルテナンゴの古名)の月」もマリンバで演奏される。メキシコ南部からニカラグアまでがマリンバ文化圏、つまりマヤ系先住民生活圏で育まれた音楽。本作のなかでもマリンバの音が上ってくる。その乾いた情感溢れる響きは、木製の反響筒からかもし出される。日本や欧米使われる反響筒は金属製だが、中米では木製。マリンバに使用する木材を中米ホンジュラスから輸入する日本だが、マリンバそのものは輸入されていない。(2015年6月記)

ニカラグア映画考

 前回、ニカラグアのカリブ沿岸地帯に住むガリフナ族の老人が出自を求めて隣国ホンジュラスのカリブ沿岸地帯を旅する一種のロードムービー『ルバラウン』を紹介した。
 東京在住の日本語の達者なニカラグア人女性が丁寧な字幕を入れてくれたドキュメントだった。けれど、この映画がDVD化され市場に出ることは無論、一般上映される機会もありえないので紹介を試みた。
 ついでに、いわゆるコアな映画ファン、あるいはラテンアメリカの文化にアンテナを張る人たちがどれほどニカラグアを映画を通して理解しているのだろうとネットで検索するとまったくお寒い限りだった。まぁ、交流の希薄な現状からすれば仕方がないが・・・ネットの冒頭に出てくるニカラグア在住の方が書かれた報告で、ケン・ローチ監督の『カルラの歌』が、ニカラグアを描いた唯一の作品ではないか、という一語いは正直、あきれてしまった。
 以下、かつて、ここでメモランダムに取りあげたニカラグア素材の劇映画の紹介文を採録しつつすこし追補してみた。

▽『アンダー・ファイアー』 『カルラの歌』『アルシノとコンドル』、そして、『ウォーカー』
 ニカラグアではじめて制作された本格的な劇映画は『アルシノとコンドル』であっただろう。ニカラグア・サンディニスタ政権が全面的に肩入れした映画ということで、最初から立場が明確で、教条的ではないが反米色の濃いドラマだった。監督は当時、母国チリのピノチェット独裁政権から亡命していたミゲル・リッテン。当時、サンディ二スタ政権を支持していたキューバでサウンドトラックが制作されたと思う。前のめりな誠実感が先行する映画だった。

 コロンビアの作家ガルシア=マルケスの友人でもあったリッテン監督だが、その作風は魔術的リアリズムには遠い作劇。監督は、芸術は現実的な政治(かれは民衆というのかも知れないが)に従属するという立場らしく、確か、どこかの国際映画祭の審査員として作品選出した際、芸術性をめぐって日本の某映画監督と論戦になったことがある。その日本人監督はとても穏やかな人だったが、その人をして、反発を起こさせるほどリッテン監督の思想性は亡命者として生きる強さを反映したものかも知れないが、柔軟性とは無縁だったらしい。

 むしろ政治性ということでは米国ハリウッドの資本が若手の才能を見出すために低予算での映画を製作させたB級映画に、サンディニスタ革命政権の打倒をめざし、隣国ホンジュラスから攻め込む米軍支援のコントラ軍の一兵士となったヒスパニック米国人兵士の“回心”を描いた映画『ラティーノ』(バスケル・ウェクスラー監督/1985)のほうがわかり易く説得力があった。しかし、日本のづクリーンでは上演されずVHSで販売されただけで注目されなかった。

 ケン・ローチ監督は、英国映画の“良心”という評価がある。それは主にアイルランド問題を主題にした数作の作品に対する評価として生じたものだが、『カルラの歌』もまた虐げられた者の立場から撮られた作品だった。弱者の視点から政治悪を眺めれば、たいていの映画は“良心”的にみえてくるものだ。そういう安易さを感じる作品だったが、良心的な映画であることには間違いなかった。 あまり評価されていないニカラグア内戦期を描いた映画に『アンダーファイアー』があった。ハリウッド映画らしい善意にあふれた映画だが、敵役の配分も滞りなく説得力にみちた大衆性ももった作品だった。
 当時、人気のあったニック・ノルティを報道写真家として主役置き、ジーン・ハックマン、そして、フランスの名優ジャン=ルイ・トランティニアン、さらに当時、上昇期にあったエド・ハリスが独裁政権下の雇われ軍人という“悪役”を好演していた。演技陣だけみても相当な資金を投入した作品だ。日本でも単館公開の枠を超えて各地で公開されている。映画ファンのニカラグア理解は『アンダーファイアー』からはじまったといえるだろう。
 1983年の映画だから、私自身が後年、幾度かニカラグアへ取材で赴くことなどまったく想定していない時期に観たわけだ。
 ニカラグアの自然、町の佇まいとは、このようなものであるかと映画で感得していたわけだが、実際に現地に訪れてみれば、ずいぶんと様相が違うのだった。映画はメキシコで撮影されていた。当時も現在も、中米、キューバやドミニカの話でもメキシコで撮影される機会が多い。日本でも評判になったオリバー・ストーン監督のエルサルバドル内戦の悲劇を描いた『サルバドール』もそうだった。その点、ケン・ローチ監督は撮影条件の劣悪さを承知の上でニカラグア現地で撮影しているのは、このリアリスト監督のこだわりといえそうだ。それは評価する。

 メキシコで撮影されることが多いのはラテンアメリカの映画大国であり俳優も技術陣も充実していることと、その自然の多様さが中米らしく撮影できるからだ。かつてハリウッド映画の「ターザン」もメキシコ市郊外で撮影されていた時代があった。

 さて本作『アンダーファイアー』は、サンディスタ革命が成立する直前、内戦下のニカラグア入りした報道写真家が、民衆の英雄となっているゲリラの指導者を求め、奥地へ旅をするという縦筋の前後左右に、内戦下の諸相を描いたものだ。ラジオ・キャスター(ジョアンナ・キャシディ)との恋愛挿話も挟みこみながら飽きさせない。
 当時のソモサ軍事独裁政権を米国は支援していたわけだが、本作はゲリラ側に立った視点から撮られている。

 ニカラグアという国は中米にあって、パナマと並ぶ野球国で、少年たちはサッカーより野球に夢中になっている国だ。そんな大リーガーを夢見る投手志望の若者が内戦下にあっては、手榴弾を遠投するゲリラ兵士となっていること、そして、それが禍して戦死するといった挿話なども適宜配され、ニカラグアという国へのリサーチはそれなりに消化されている。
 音楽は誰が書いたか知らないが、ケーナ、サンポージャを巧み使っているのが印象に残った。128分。

 後年、名優としての評価を勝ち得た時代になってからエド・ハリスはニカラグアを武力制圧し、ニカラグアの大統領に就任した米国人弁護士ウイリアム・ウォーカーを演じている。映画『ウォーカー』がそれ。ニカラグアを描いた映画のなかでは現在の最高傑作ではないかと思う。
 ウォーカーは『風と共に去りぬ』の最終巻に登場する。おそらく、スカーレット・オハラの物語として読む日本人読者のほとんどがウォーカーの挿話を呼び飛ばすか、歴史上の人物と認識しないまま読了してしまうのだろう。
 マーガレット・ミチェルの思想性、南部州にとって奴隷制度は必要なものであるはずだった、という立場は、そのウォーカー観に反映されていた。
 『風と共に~』の訳者は、日本人読者の理解を助けるべく巻末に「注釈」ページを設けているが、翻訳初版から何十年経っているのかしらないが、ウォーカーに関する評価は別として、死去の地など歴史的に明白な事実を間違えたまま現在も訂正されていないことで、いかにニカラグアが日本人にとって縁の薄い国であるかが良くわかる。
 映画『ウォーカー』の監督はアレックス・コックス。スペイン語も話す米国人監督で俳優だ。メキシコでもアート性の濃い映画に出演している個性的な才能だ。コックス監督は映画『ウォーカー』の歴史劇を、20世紀後半の米国の対中米政策へ敷衍しつつ批判的に描いていた。その能動的な批評はベトナム戦争、あるいは湾岸戦争以降の世界にも引用できるものだ。名優エド・ハリスのウォーカーの狂気を快演した。それはラテン諸国でアングロサクソンへの侮蔑的呼称となる「グリンゴ」の悪辣そのものを体現していた。 ケン・ローチの感傷的なアプローチなど冷戦下の中米では甘い。

中米ニカラグア  カリブ沿岸地帯に住むガリフナ族の現在

 中米ニカラグア  ガリフナ族の現在を伝える映画
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 東京・市谷のセルバンテス文化センターで6月第1週だけの企画として「フェスティバル中央アメリカ映画」が行なわれ中米4カ国の作品が上映された。
 特色のある作品が並んだが、すでに一般上映された映画、一般公開予定のない字幕のない映画を除くと、ニカラグアの記録映画『ルバラウン』を紹介すべき作品と思った。
 『ルバラウン』とはガリフナ語で「再会」の意。そのガリフナ語を母語とする中米カリブ沿岸諸国にひろく分布するアフロ系少数民族集団について書いておかねばならないだろう。
 ガリフナ族という民族はアフリカに存在しないが、彼らの祖先が、西アフリカ各地から買い集められた奴隷たちであった。ガリフナという名が興きたのは、カリブの島に住みだした西アフリカ出身の多様な民族、しかしその出自がきえうせてしまった人たちの総称である。奴隷船に拘禁されカリブ海上を航海中、ハリケーンにあって船が大破、近くの島に流れ着いた者を父祖とする。奴隷商人の手から逃れた彼らはカリブの先住民の助けを得て、独自に共同体を形成し、先住民アラワク族などと雑婚した。だから正確にはカリブから消滅してしまった先住民の遺伝子もうけつぐ希少な民族ともいえるが、現在の彼らの身体的な特徴のなかからカリブ先住民のよすがを見出すことはできない。
 ガリフナ族の誇りは、奴隷船で運ばれながら一度として強制労働を強いられることなく子孫を繁栄させたが、やがてカリブ地域の覇権をにぎった英国によって、彼らが逃避し、平和な生活を築いている島が植民地化されようとしたときに知力と勇気、ふたたび奴隷になるまいとする捨て身の覇気を力に武力抵抗しつづけた。けっきょく、武力にまさる英国軍に負けるが、服従はしなかった。英国軍もそうした勇猛果敢なガリフナ族を懐柔することはできないとして、当時、離島であった現在のホンジュラス、カリブ沿岸のロアタン島に打ち捨てた。行きたいやつはかつてに努力しろ、という処置だ。
 ガリフナ族は自由の身にはなったものの農耕に適した土地の少ない島で、やがて人口がふえるにしたがって、土地をもとめて島をでていく者がでた。まず対岸のホンジュラス沿岸地帯に住みつき、そこから南北に分岐して現在のベリーズ、グァテマラ、ホンジュラス、ニカラグア沿岸地帯に多くの共同体を形成した。
 映画の冒頭で、その沿革が簡略に紹介されている。
 映画はニカラグアのガリフナ族の小村オリノコに住む老人が、祖父母が暮らしていたといわれるホンジュラスの村を訪ねる旅を記録したものだ。
 ホンジュラスのカリブ沿岸地地帯の表玄関はサン・ペドロ・スラだ。そこを起点にラ・セーバ、テラ、トルヒージョと浜づたいに足を運ぶ。この辺りは米国のバナナや果実栽培の多国籍企業が独占的に鉄道を敷設したところで、20年ほど前、乗車した体験をもつが、現在はどうなっているだろう。バナナなどを積載するための鉄道で、客車はおまけというディーゼル機関車に連結されていた。
 先祖帰りの旅となった老人の行程は、困難な祖先の生活を偲ぶものとなった。どこでもガリフナ語とスペイン語でコミュニケーションをとっていく。ある村でこんな歌をしっているか、ガリフナの古歌を歌いだすと、周囲の人たちもそれにすぐ和した。
 現在、米国ニューヨークにベリーズ出身のガリフナ族を中心とする大きなコミュニティーが存在する。その米国在住者も含めてガリフナ族は約30万に過ぎない。しかし、その文化の影響力は大きく、民族音楽プンタはメスティーソの同国人音楽家に土俗的な灰汁が抜かれ、軽快なダンス音楽としてホンジュラスでは主要ポップスとなった。テラからバンダ・ブランカというスターも生まれメキシコを中心に一時、ラテン・ポップス界で注目されたこともある。
 ニューヨーク在住のガリフナ音楽家はあたらしいプンタを創造して本国に逆輸出している。
 映画はたえず海のみえるロードムービーだ。熱帯低地の湿度のたかい地をめぐる旅だ。
 老人がつぶやく、「先祖たちがすみ始めた土地はみな辺境だった。農地は極端に少ない。人口が増えれば、また新しい土地を探して散る。そうして、おれたちはカリブ沿岸一帯にひろがったのだ。貧しさのためだな・・・」
 

映画『汚れた心』~ブラジル日系人社会の悲劇を描く

ブラジル日系人社会にもたらした敗戦の悲劇を描いた映画『汚れた心』を撮った
  ヴィセンテ・アモリン監督
汚れた心
 日本の戦争は地球の裏側のブラジルに住む日系人社会にも深刻な影響を与えた。
 1945年8月15日敗戦を受け入れた人たち、この人たちを“負け組”、そして頑なに勝利を信じ信じ込もうとした、いわゆる“勝ち組”とのあいだに惹起された血の抗争があった。同胞同士のテロ行為で多くの死者が出た。この悲劇をブラジル人のヴィセンテ・アモリン監督が撮った。  

 まぎれもないブラジル映画だが台詞の大半は日本語、俳優も日本人。監督は日本語を解さない。そして、日系人社会のあいだでもオープンに語られることなかった悲劇を深い洞察をたたえた人間のドラマとして描いた。
 
 「私自身、自分の国でこんな悲劇があったことを、一編の小説を読むまでまったく知らなかった。小説は日系人が書いたものではなかったので客観性を持っていた。私はこの悲劇に戦争によって翻弄される個人のドラマを描けると思い、小説の映画化の権利を買い準備をはじめた。事件の当事者、日系人への取材は最初は困難でした。黙して語らない、そういう“壁”にぶつかった。けれど、私は、興味本意ではなく、戦争に翻弄された人たちを敬意をもって描くことを理解してもらってから取材ができるようになりました」
 
 アモリン監督は本作の前に、ナチドイツに翻弄される一大学教授の悲劇を描いた『善き人』という映画を撮っている。戦争という大きな状況に翻弄される個人の弱さ、「善意」すらも容易に政争の具とされてしまう悲劇を描いた。

 「人間はみな私的生活を超えたところで、社会的存在として“選択”を強いられることがある。社会が与える強制力に個人はどこまで抗し切れるか、という永遠のテーマがある。私はそれに興味がある。映画の観客の大半は、権力者ではなく市井の人たち。そんな公衆に向って権力と個人の関係を考えてもらいたいとも思っています」
 
 多くの死者も出した敗戦後のブラジル日系人社会は、それでも心の傷を胸底に隠しながら社会的成員として働き、学び、子を育て同国において尊重されるようになった。
 
 「多民族国家のブラジルでは2年一本ぐらい、公用語のポルトガル語がほとんど語られない映画が撮られる。その多様性はブラジル映画の特徴であり魅力だ。この映画はまだブラジルで公開されていません、日本で先行上映され、その評価がブラジルに反映されるはずです。ですから、是非とも、日本で成功させたいと思っていますし、日本人は地球の裏側で起きた同胞の悲劇を知る必要もあると思います」
 
 日本の映画人が今まで何故、こうした日系人社会の抗争を描かなかったのだろう。大戦中、米国における日系人社会の分裂を描いた映画はあった。しかし、ブラジルの悲劇はまだ一顧だにされていない。と思えば、中米のパナマでも、南米のペルーでも、またメキシコ全域に広がっていた日系人がメキシコ市に集められたことなど、大戦中の日系人の物語はまだ文章化されていないことも多々あることに気づく。
 いずれにせよ、日本語をまったく解さないアモリン監督によって完成度の高い映画が提出された以上、日本映画界は重い宿題を与えられたようにも思う。  (2012年春期・記述)

マルビナス紛争を描いたアルゼンチン映画

マルビナス紛争を描いたアルゼンチン映画「ステイト・オブ・ウォー」(トリスタン・バウアー監督)

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 陰々滅々とした話だ、と思えば覚悟をもってみられるだろう。
 シリアスという言葉で比喩することも可能だが、そういう醒めた客観性は薄く、話に手触りの質感がある。それは南米アルゼンチン映画の特徴のひとつだ。アルゼンチンに現実にあった〈政治〉を素材にして描くとグレーな寒々とした心象光景となってしまう。

 アルゼンチンはエビータこと、エヴァ・ペロンの死後、ながい政治的混乱期に入る。軍事独裁時代がながかった。スペイン語に「デスアパレシード」という言葉がある。直訳すれば「行方不明者」だが、「政治的に抹殺された死者」という意味ももつ。長い軍事独裁下で多くの民衆が「デスアパレシード」になった。日系人の犠牲者もいる。その軍事独裁政権が崩壊するきっかけとなったのが、1982年4月、南大西洋洋上のマルビナス諸島で起きた武力紛争だった。短期間に多くの犠牲者が出た局地戦争だった。
 アルゼンチン独立以来、主権を主張してきた英国が実効支配する諸島にアルゼンチンが主権を主張して軍事侵攻して起きた紛争だ。日本では「フォークランド紛争」としてしられる。本作は、その「紛争」を描いたアルゼンチン映画。敗者となったアルゼンチンの帰還兵の視点から撮られている。酷寒の地で寒さと飢えに苦しみ、痩せた地を這いずりまわる歩兵の視点だ。
 日本では劇場未公開のままDVD化された映画。日本人にとっては遠い国の小さな紛争ということで、すでに現代史の狭間に埋もれてしまっているだろう。劇場公開しても客は呼びこめない、商業的価値の希薄な映画だと・・・しかし、第二次大戦後、いわゆる西側、市場経済を志向する英国とアルゼンチンが戦火を交えた特異な紛争として歴史に残るものだ。

 アルゼンチンの武力で諸島を制圧すると、当時のサッチャー英国政府は、空母2艦、原子力潜水艦を含む本格的な機動艦隊を送り込んだ。装備に誇る英国軍が装備も低劣で士気もあがらないアルゼンチン軍を対して、苦戦する。3ヵ月の戦闘で英国軍は300人近い死者、約800人ほどの負傷者を出し、2隻の駆逐艦、34機の航空機を失うなど大きな損害を蒙った。アルゼンチン軍の死者は約650人、負傷者1000人以上、失った航空機は100機以上だ。
 という戦績をみればアルゼンチンでその紛争を取り上げれば当然、寒々とした挿話の積み重ねるになるのは仕方がないところだ。

 マルビナス紛争の後、アルゼンチン兵士たちは本国に帰還した後、多くの者が戦争後遺症に悩まされる。300人近い帰還兵が自殺した。異様な数だ。ベトナム戦争後、米軍の帰還兵からも多くの自殺者が出ているが「戦争」の規模からすればアルゼンチンの帰還兵の自殺は異様な比率だ。映画も、ふたりの帰還兵の視点から回顧される。ひとりは自殺し、ひとりは自殺した帰還兵の戦友という立場だ。その戦友が語り部となって戦争が回顧される。マルビナスにロケも行なわれ、戦闘の残骸もある戦跡でも撮影されている。
 紛争では当時のハリア戦闘機や原子力潜水艦など最新鋭の兵器が実戦に投入されたが、そうした事実は映画ではニュースフィルムで経過説明の程度にしか語られず、もっぱら極寒の島で身を竦めながら過ごす歩兵に寄り添って語られる。

 マルビナス紛争は、当時のアルゼンチン軍時独裁政権が経済政策の失敗から国民の目をそらすために冒険的に拙速ではじめたものだが、迎え撃つサッチャー英国政府も労働者に過酷な犠牲を強いた構造改革で陰りをみせていた。そういう両国の政治状況のなかで、いわば起死回生の好機とみて巨額の戦費を調達して交戦に入ったわけだ。
 このあたりは名優メリル・ストリープがオスカーを獲得する名演技をみせた映画『マーガレット・サッチャー』(フィリダ・ロイド監督)のなかでも描かれている。
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 『ステイト・オブ・ウォー』のDVDの解説はマルビナスを採用せずフォークランドで統一している。アルゼンチン映画だから、「マルビナス(フォークランド紛争)」ぐらいの表記はしてもらいたかった。スペイン、ポルトガル語圏、つまり中南米諸国ではどの国でもマルビナス紛争が歴史的用語として定着しているのだから。
 アルゼンチン、いや中南米諸国の多くでは、この紛争においてラテンアメリカ諸国の擁護者とみていた米国への不信感を募らせた。米国の主導で創設された米州機構への信頼も急速に冷えた。域内で紛争が起きれば、米国は機構加盟国の立場を擁護することを前提に中南米諸国をまとめたはずだったが、英国に加担した。そういう意味でも同紛争が域内に与えた政治的意味は大きい。また軍事史的にみれば、垂直上昇できる戦闘機ハリアがはじめて実戦の場に登場し、原子力潜水艦(英国)が実戦を交えた等、特筆されるべき戦績を遺すことになった。英国は紛争後、ハリアの生産が加速される。多くの国が購入することを決めたからだ。英国の軍事産業にとって紛争は商業的なデモストレーションの場になったわけだ。
 そして、アルゼンチンの軍事独裁政権は崩壊し、民主化が実現し、エビータも復権した。そして、アルゼンチン国民のなかに根強くあった西欧文化に対する親密感は薄れ、ラテンアメリカにおける民族性を真摯に模索するようになる。
 紛争後、経済の疲弊はつづき、民衆は日々の暮らしに終われ、心に傷を負った兵士たちを忘れた。映画は、そんな兵士たちを復権させる試みともなっている。 (2005年*100分)
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上野清士

Author:上野清士
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