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文庫化されない本のために 5~6 イラン人の本

文庫化されない本のために 5~6
 ★いつの間にか消えて行く本がほとんどだが、それでいい。適当に消えてもらわなければ書店は雪崩を起こす。
文庫化されずに絶版となる本はもともと発行部数が少ないわけだから古書店でも入手困難となる。そういう本に限って、ブックオフの書棚を飾ることはなく、従来、扱うべき街の古書店は激減しているから、なおさら手にする機会は激減する。無論、消えてもいさかかも差し支えない本もまた無数にある。そんな本に未練はないわけだが、これは遺しておきたい、とも思うし、できたら文庫化して欲しいと思うものもある。そんな本を少しづつ自分のためにも書き残しておきたいと思うようになった。極私的読書ノートかも知れないが・・・。★

☆005 シリン・エバディ『私は逃げない ~ある女性弁護士のイスラム革命』
☆006 モハンマド・ハタミ『文明の対話』

ノーベル賞受賞者の著作は文学賞を除けば素人には総じて面白くない。けれど、その面白くない本も受賞直後のセールス時に出版社は慌てて刊行するのが風物詩のようなものだ。著作がなければ、科学ライターなどを動員して聞き書き取材などして旬が終わらないうちに店頭に積み上げる。そんな本も当然、面白くない。積年の研究の歳月に比べて余りにも時間を掛けていない著作が良いできであるはずがない。したがって文庫化などはもってのほかとなる。
 日本の自然科学の分野でノーベル賞を受賞した研究者のなかで文庫化にいたった著作をもつのは湯川秀樹、朝永振一郎のお二人だけだろう。お二人に共通しているのは若い頃に学んだ日本人としての素養、和漢の書に通じた知性が文章に味わいを持たせているからだ。
 平和賞受賞者には著作の多い人が多いが、これもなかなか文庫にいたらない。日本で唯一の平和賞受賞者は元首相の佐藤栄作だが、氏が受賞直後だったか、慌てて刊行した著作は講演などを掻き集めた速記録のようなものだった。政界引退後も回顧録は書いていない。アジアの平和賞受賞者のなかで日本で文庫化された著作をもつのはチベットのダライ・ラマ14世ぐらいだろう。それは資料価値もある立派なものだ。そして、ここに一冊、加えたい本がある。
 2003年の平和賞受賞者シリン・エバディの自伝的イラン現代史とでもいうべき『私は逃げない』、サブタイトルは「ある女性弁護士のイスラム革命」。イランで最初のノーベル賞受賞者であると同時に、最初のムスリム女性となった。

 イランのパフラヴィ皇帝独裁が崩壊し、その後、イスラム・シーア派の聖職者ホメイ二ーが神聖統治を統治をはじめた、いわゆるイスラム革命と呼ばれるものだ。その革命の推移を最初は政権内部から、やがて下野して一弁護士として投獄されながらもイスラム女性の人権を守るために不退転の決意で活動に従事した闘いの半生記である。
 シリンはパフラヴィ独裁下で検察官となった有能な公務員だった。そして、その独裁に批判的な立場をとっていた。しかし、女性がその能力にしたがって活動し、仕事をする自由を天賦の権利として享受していた。当時、首都テヘランなど住む都市住民は一部の厳格なイスラム信徒を除けば西欧なみの自由を享受していた。女性はヒジャブどころかミニスカートを謳歌していたのだ。
 ホメイニーの革命それ自体もイランの若い有能な女性たちの献身的な活動から成功した側面がある。しかし、彼女たちはやがて自分の首を真綿で締め付けるようになることをしらなかった。
 シリン自身、ホメイニーの時代に検察官の席を奪われ閑職に就かされ、やがて退職に追い込まれる。と同時に宗教差別的なイスラム法によっ て迫害される女性たちの権利を守るべく一弁護士として立ち上がってゆく。それを著わした本だが、けっして自己礼讃に陥らず、客観的に自己をみつめる聡明さがあるし、事件の事例も客観的な資料にできるだけ依拠して書こうとする努力も納得できる。
 日本ではいっぱんにイスラムの原理主義的な法学を一面的に捉える傾向があるが、その法学も長い歴史のなかでさまざまな流派が存在する。シリンのしたたかさと賢明は、権力がイスラム法学の下に女性を処断しようというなら、自分もイスラム法学を徹底的に学び直して、女性の尊厳をまもる理論武装をするという現実感覚だろう。そのための努力を惜しまない。
 イスラム革命下のイランの内実はなかなかうかがいしれない部分があった。その視界をシリンは公的な弁護士としての職能性から広げるとともに、妻であり母であるという生活人の視点も失わずに書かれている、そのバランスにこの人の聡明さがにじみ出ている。日本でいえばバブルに浮かれていた歳月の同時代史である。

 シリンが平和賞を受賞した当時、イランはイスラム法学者モハンマド・ハタミが大統領が、神権政治のドグマにあきあきした市民の期待に応えるように登場して間もない時期だった。

 ハタミ大統領はイスラム革命によって米国はじめ西側諸国との関係が悪化していたが、「文明の対話」を提言、2001年には「国際連合文明の対話年」とされた。それは世界的なベストセラーになった米国のサミュエル・ハンティントンの『文明の衝突』への反証であった。しかし、シリンのハタミ評価は低い。
 ハタミ自身、イスラム体制を厳格に維持しようとする派と、緩和を目指す勢力とのあいだで板ばさみとなっていた。シリンは裏切られた、とも書いている。しかし、ハタミ自身にはホメイニー時代に戻ってはいけないと思いながらも、その影響下にある宗教界、軍隊、政界を無視できなという位置でイランの舵取りをしなければならないという治世者の苦悩があったはずだ。それにイラクとの戦争で経済も疲弊していた。

 そのハタミ大統領の著作『文明の対話』が、シリンが平和賞を受賞する2年前の2001年に邦訳されている。「国際連合文明の対話年」ということで出版されたわけだが、この著作が少しも面白くない、少なくとも筆者には。いかにもイ スラム法学者というアカデミシャンの著作という感じで、政治家としての生臭さがない。実に折り目正しい著作であるが、イランを鳥瞰図式的に語っても、地を這う視点はない。イラン民衆の息遣いは少しも行間から立ち上ってこないものだった。しかし、ハタミ時代の評価というものは、むろん、その著作で語られるものではない。やがて、イラン国民が歴史の審判を下すだろう。
 ▼『私は逃げない』ランダムハウス講談社刊。▽『文明の対話』共同通信社刊。

文庫化されない本のために 3~4『聞書き・寄席末広亭一代』『ターニング・ポイント』

文庫化されない本のために 
 ★いつの間にか消えて行く本がほとんどだが、それでいい。適当に消えてもらわなければ書店は雪崩を起こす。
文庫化されずに絶版となる本はもともと発行部数が少ないわけだから古書店でも入手困難となる。そういう本に限って、ブックオフの書棚を飾ることはなく、従来、扱うべき街の古書店は激減しているから、なおさら手にする機会は激減する。無論、消えてもいさかかも差し支えない本もまた無数にある。そんな本に未練はないわけだが、これは遺しておきたい、とも思うし、できたら文庫化して欲しいと思うものもある。そんな本を少しづつ自分のためにも書き残しておきたいと思うようになった。極私的読書ノートかも知れないが・・・。★


☆003 『席主北村銀太郎述 聞書き・寄席末広亭一代』冨田均・記述

 都内に現存する4つの落語定席のひとつだが、桟敷をもつのはこの末広亭だけだ。その桟敷の柱に背をもたせ、足を延ばしてペットボトルの濃茶を啜りながら江戸の話芸に耳を傾ける時間はなかなかいいものだ。

 末広亭と浅草の演芸ホール(及び併設の東洋館)がお気に入りだ。
 理由は周囲の猥雑感というか、いかにも下町の賑わいにみたされているからだ。池袋の演芸場もおなじような趣きがある。寄席がはね屋外に出た後、喧騒がないといけない。その点、最低の定席は間違いなく永田町の国立演芸場。何故、あんな場所に作ったのか気が知れない。隣の国立劇場との兼ね合い、付属、同時期への開館という行政の都合から、アソコになったのだろう。となりが最高裁判所という、なんとも興ざめの寄席だ。

 まぁ、そんなことはどうでもいい。本書の語り手・銀太郎翁が現在の新宿三丁目に末広亭を建てたのは昭和21年。空襲で焼け野原になった新宿に客が集まるのかと危ぶまれる時期に建てたのだ。当時、末広亭から新宿駅までさえぎるものはなにもなく見通せたという。その後、幾度かの改装・改築はあったものの創建当時の面影を色濃くのこす。
 寄席の正面玄関はああでなくちゃいけない、という勘所をおさえているのがいい。浅草の演芸ホールもそうだが、名前は変えて欲しいもんだな・・・。

 末広亭は埼玉の所沢に映画館を建てるための木材を使ったという。敗戦で映画館の建設が中止になったからだ。その木材も所沢に送り出そうと飯田橋の操車場の貨車に載せてあった。空襲を受けたが、その貨車は奇跡的に焼け残った。空襲もなく所沢に向かっていたら、あるいは空襲で焼夷弾を浴びたら、あの末広亭はなかったということだ。・・・そんなことも本書で識った。

 しかし、本書の主題は「末広亭」ではない。
 明治・昭和・大正の三代を豪快に遊びきった男の放蕩記である。その男が東京の悪所通いを赤裸々に語り、歌舞音曲を客視点で批評し、世相を語り、明治東京人のダンディズムを語り下ろした快作といえようか。むろん三代の寄席事情も分かる。

 市井の人の視点から東京の近代を伝える記録は多いが、どうも放蕩者のものはまともな資料扱いをされないようで、本書も久しく絶版のままだ。
 銀太郎翁の奔放な話しぶり、テンポ、息遣いをみごとに伝える記録者・冨田の仕事も褒めらるべきだろう。こうした本は文庫になって広く読まれることはないのだろうが、末広亭辺りでサイドビジネスとして復刻して売店に常備してもらいたいものだ。
 ▽少年社刊行・雪渓書房・発売。1981年7月初版。


☆004 『ターニング・ポイント』アーサー・ローレンツ著/小池美佐子・訳。

 筆者がバレエを描いた映画のなかで、もっとも好きで評価するのが『愛と喝采の日々』(ハーバード・ロス監督・1977)。本書はその原作。映画が良ければ原作も良い、とはならないが本書もよくできた小説だ。これはバレエが好きな人には読んで欲しいし、大衆小説の枠組みながら、20世紀のバレエ、帝政ロシアで育まれ、共産ロシアのなかで伝統の強靭さを確立し、以後、世界のクラシック・バレエ界に影響を与えてゆく真実も、女性の自立、生き方を描くという大筋のなかにきちんと捕捉されている小説として広く読まれて欲しい作品だ。

 日本では映画の公開がきっかけで出版されたが、原作も当初から映画化を想定して書かれたようだ。しかし、いわゆるノベライズのお手軽さを超えている。そして、本書を書こうとした作者のなかに1974年に米国に亡命したキーロフ・バレエの人気プリンシパル、ミハイル・バリシニコフの存在を抜きしては語れないと思う。原作でもバリシニコフを思わせる描写があるし、映画化する時期にはロシア語訛りの英語も話せるようになっている本人自身が助演という重要な位置を与えられている。キーロフ仕込のバレエの芸術性と、男優としてドラマを演じるクオリティーの高さでオスカーの助演男優賞に受賞とはならなかったがノミネートされた。
 本筋は中年女性の葛藤劇。かつて結婚でプリンシパルへも道をあきらめたディーディー(シャーリー・マクレーン)、その親友で独身を通していまもステージに立つ大スター、エマ(アン・ヴァンクラフト)。その二人が再会して、それぞれ自分のターニング・ポイントにおける選択は間違っていなかったか、お互いのいまを認めることによって反芻する。自分の来し方の時間に対する慈しみと少しの後悔。原作ではもろんエマが『アンナ・カレーニナ』を踊り19回のカーテンコールをうけるシーンなどがあるが、映画のエマはいっさい劣らない。女優アン・バンクロフトが踊れるわけがないからだ。
 ふたりが“女の道”をわかった1点、それは恋愛を昇華するか諦めるか? あるいは目の前のスターの階段を昇か降りるか、を決めなければならない青春のその時であった。物語はディーディーの視点から描かれるが、映画ではほど対等な配分だ。バレリーナとして自己実現できなかった悔恨を、エマの踊りで見、3人の子どもの母親としてのせわしない充実の日々のなかで、いつのまにか若き日の悔恨を覆ってきた。
 映画ではエマの踊りのシーンを描けない分、バリシニコフのバレエで観客をじゅうぶんに満足させるという仕組みになっているわけだ。小説も映画もディーディーとエマが主役だが、助演陣のリアリティによって映画は成功し、そして本書が邦訳された。
 バリシニコフは本作で踊れる男優として注目され、やがて『ホワイト・ナイツ』で主役となった。そして、目立たない役だが、ロシア革命後、米国に亡命したバレリーナで、やがてバレエ教師として生計を立てたダカロワという老女が登場する。彼女が小説のなかでだが、「クチェシンスカヤですよ。マリンスキー・バレエ団のプリマですよ。ロシア皇帝の愛人になったほどのバレリーナです」と語る。作者は現在の米国のバレエも革命前ロシアの血を受けて育っているものだと語っているわけだ。(サンリオ刊。1978年初版)

文庫化されない本のために 001~002『炎の画家 横山操』

文庫化されない本のために 1~2
 ★いつの間にか消えて行く本がほとんどだが、それでいい。適当に消えてもらわなければ書店は雪崩を起こす。
文庫化されずに絶版となる本はもともと発行部数が少ないわけだから古書店でも入手困難となる。そういう本に限って、ブックオフの書棚を飾ることはなく、従来、扱うべき街の古書店は激減しているから、なおさら手にする機会は激減する。無論、消えてもいさかかも差し支えない本もまた無数にある。そんな本に未練はないわけだが、これは遺しておきたい、とも思うし、できたら文庫化して欲しいと思うものもある。そんな本を少しづつ自分のためにも書き残しておきたいと思うようになった。極私的読書ノートかも知れないが・・・。★

☆001『破滅 ~梅川昭美の三十年』毎日新聞社会部編集
 本書について記そうと思ったのは理由がある。
 参考に、とウィキペディアで「三菱銀行」と検索すると、筆頭に「三菱銀行人質事件」と出てくる。すでに大半の日本人には忘却の事件、戦後昭和の犯罪史の特筆される項目でありながらも、すでに語られることはなくなった。しかし、戦後史を紐解けば、そこにこの事件が異様な相貌をみせて横たわっていることは誰でも知覚できるだろう。そうした人が少なからずまだ存在していて、その証拠として「三菱銀行」と検索すると、「人質事件」が筆頭にでてくるということだろう。検索件数が多い、ということだから。
 そのウィキペディアの「三菱銀行人質事件」の詳細な記述の後半に関連資料として5冊の書籍が紹介されている。しかし、そこに本書が何故か記載されていない。これはどうしたことだろう。
 毎日新聞大阪社会部は事件直後、大阪府警がシャッターの穴をくりぬいて撮影した犯人の写真を入手、全国にスクープした。本書の表紙にも、その写真が象徴に掲げられている。
 事件の概要は今更、書くまでもないが、事件後、大阪社会部はそのネットワークをいかして射殺された犯人・梅川の誕生から銀行に押し込むまでの30年間を丁重にたどって本書にまとめた。梅川の30年をぶれなく綴りながら、16名の記者の仕事は梅川周辺の人びとの戦後の生き様もきちんと記してゆく。梅川が事件をおこさなければ生涯、自分の名、半生なりが絶対に活字化されることなく生涯を終えた人びとばかりだ。また、梅川自身の30年間もまた、タダノ銀行強盗であれば書物の主人公を務めることもなかったはずだ。
 特異な犯罪は多くの衆目をあつめる。そして、そこに名もない市井のひとびとの姿が浮かび上がってくる。

*1979年に本書を初版刊行した晩聲社は、現在は韓国カルチャー応援団のような企画に終始しているようで、とてもシンパシーを感じるものではないが、創立期、まだ中米エルサルバドルの内戦をルポしていたカメラマン長倉洋海の仕事を取り上げたり、統一教会批判の先駆けとなった茶本繁正の取材にも意欲的に呼応して出版、その批評精神に筋を通っていることでしられていた。『破滅』もまた、その文脈のなかで登場したのだろう。しかし、韓流ブームにあやかろうというような企画を安易に立てるようになってから、創立期の覇気は雲散霧消したようだ。
 *本文をアップしてすぐ読者から、「幻冬舎より文庫化されている」との指摘を受けました。確かに同社の「アウトロー文庫」から刊行されていました。この点、不注意をお詫びいたします。但し、本文の主旨を訂正するほどの必要は認められないので、このまま掲載しておきます。

☆002『炎の画家 横山操』田中穣
 先年、中央アジアのイスラム国ウズベキスタンを旅した際、観光の傍ら、近くに「日本人の墓地がある」と知れば、時間の許す限り手を合わせに行った。今次大戦の敗戦で中国本土及び北朝鮮に散在していた日本人兵士・軍属がから不当にソ連邦に“拉致”された。いわゆるシベリア抑留だが、それはジュネーブ協定違反の強制労働だった。満足な食事も与えられず過酷な肉体労働を強いられるなかで多くの日本人将兵が異郷の地に果てた。その人たちが無念至極と眠る墓である。
 合掌したい、すべきと思ったわたしの感情、心根などはここでは吐露する場所ではないので書かないが、その墓地のなかで、ふつふつと頭をもたげてきた想念のなかに、四人の美術家の仕事があった。
 強制労働を生き延び、戦後の日本美術界に名を遺すことになった日本画家の横山操、具象彫刻家の佐藤忠良、洋画家の香月泰男の仕事をそれとなく想い出していた。
 三人のなかで終生、抑留体験を凝視しつづける作品を繰り返し描いていたのはいうまでもなく連作「シベリア」を代表作とする香月だが、ほとんど抑留体験を表出しなかったのが佐藤であり横山だった。
 その横山の生涯を描いたのが本書であり、ここで横山の抑留体験が何故、絵に表象されなかったか、その秘密をしったように思った。そして、その抑留体験も過度に描き込まずに横山芸術の完成を見事に描いた評伝である。
 著者の評伝、それは美術家に限定されるのだが、よくこなれた文章で説得力をもって生き様を辿らしてくれる。たぶん、本書は1970年の後期に一度、読んでいるが、その時はたぶん横山の回顧展を観てから読んだか、観る前の参考として読んでいるはずだ。たぶん、走り読みしたはずだ。生涯をたどるというより、年譜の時歴を追うように読んだに過ぎなかったはずだ。
 いま再読して、横山の幾多の富士、黒色多用の画業、その黒にこめられた意思、右手の自由を奪われ、絵筆を左手に換えてあたらしい抒情の世界へと転成した横山の軌跡を知った。横山の前に川端龍子が存在するが、横山の後に、彼を追う気概はまだ登場していない。いや、気概をもつ日本画家は存在するはずだが、横山の気宇壮大な富士に匹敵する才能をみせていないということだ。

 横山は抑留生活で労働が軽減されるのに役立つ、描く技術をもっていたわけだが、それをソ連兵の前でみせることはなかった。その理由も知った。忠良さんは小器用に描いたらしいが、むろん、それを責めているわけではない。生き延びるためにみな極限状況のなかで懸命に知恵を絞ったはずだし、そうすべきであった。横山が描く技術を用いなかったのは、食の量の増減に関係したということも本書での発見であった。
 横山の巨きな絵をこれから親しみをこめて眺望できるような、そんな気がする。畏怖とか峻厳とか、そんな形容が無縁なところで絵に入りこめるような気がするのだった。
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上野清士

Author:上野清士
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