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署名アラカルト №14 安藤忠雄

署名アラカルト №14 安藤忠雄
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 いわずとしれた日本を代表する建築家・安藤忠雄氏。最近は、国立競技場のデザイン・コンペの審査員として、ミソをつけてから、めっきりマスコミへの登場が少なくなってしまったし、著作活動も減っている。この署名は、1998年秋、東京大学大学院で行なわれた連続講座をまとめた『建築を語る』に記されたものだが、この時期の安藤氏は発信力はじつに旺盛であった。そして、さぞ多忙であったろう。それはこの署名にも反映されていると思う。
 署名はローマ字筆記体。字画の多い漢字より早書きできるし、しかし、雅印代りと書き込む「田」型の記しに安藤さんのサービス精神がにじみ出ているように思う。署名でじゅうぶんなところをわざわざ、それを書き込む安藤さんの意思を尊重したいと思う。
 建築家だから「田」は、ビルの象徴しているとも見えるし、窓ともいえる。安藤さんだから世界に開かれた窓か? 農民作家といわれるような著作家が署名に「田」を添えれば田んぼとなるだろうが、安藤氏のものだから、建造物とみるのが妥当だろう。(今日、農民作家といわれる人材は絶滅種になってしまったようだ。かつては家の光協会が「農民文学全集」という重厚なシリーズを出した時代もあった。佐賀の山下惣一さん以降、農民作家と呼べるような才能がでていない=余談)。
 
 

署名アラカルト №13 畏敬を以て接したい署名  白井のり子

署名アラカルト №13
 畏敬を以て接したい署名  白井のり子
のり子

 2006年5月に刊行された白井のり子さんの半生記『典子44歳 今、伝えたい』に記された署名である。
 はじめて足指で書かれた署名の紹介となるし、おそらくこれが最初にして最後の「足」蹟となるだろう。その意味でも貴重なものだ。

 白井さんを知る人には余計なことかも知れないが、知らない人には「足」蹟の意味もわからないと思う。
 サリドマイド胎芽病児として1962年1月、熊本市に生まれた。薬害を受け、両腕が不完全なまま生まれ、右目の視力もほとんどなかった。しかし、白井さんは努力によって身体的なハンディを克服、足指は健常者の手指のごとく働き、事務仕事にまったく支障はなかった。1980年にはサリドマイド被害者として熊本市役所に入所し、話題となり、松山善三監督が白井さんを主役とするドキュメンタリー形式の劇映画『典子は、今』を制作した。折から国連の「国際障害者年」(1981)という追い風もあり、映画は身体障害者の社会参加を訴えた作品としてヒットした。筆者もみた。今でも、当時のプログラムをもっている。しかし、白井さんへの関心はそこまでだった。
 白井さん自身、一市役所職員として専念したからだ、と思っていた。いや、それに間違いないだろうが、今回、本署名を取り上げるにあたって白井さんの「その後」を調べると、映画のヒットで有名になった彼女は、匿名の投書で誹謗中傷に晒された事実を知った。心ない人たちの存在はいまも昔も存在するということだ。そのため白井さんは講演の依頼やマスコミの取材などを一切、断ったというのだ。

 その後、結婚し子育ても一段落、自分も客観的に見つめる余裕もでき来し方を振り返るようになった。『典子44歳』は、自己検証のごとく書かれた自伝的エッセイ集となった。出版を機に映画もDVD化されたそうだ。

署名アラカルト №12 久保田一竹

愛好讃美風溺愛型  久保田一竹
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 平成15年4月、85歳で亡くなった戦後昭和・平成を代表する染織家・久保田一竹さんは実にパワフルな行動家であった。染織界に充足することなく領海を超えることを意識化した久保田さんは、必然的に公的な頻出度が高かった。むろん、創作した一連の「一竹辻が花」に対する絶大的な人気がそれを後押ししただろう。
 没後すでに13年経つが、その人気は現在も持続しているように思える。
 室町時代に最盛を迎え、ある時期、忽然と作られなくなって技術も途絶した「辻が花」を戦後昭和の時代に再興しただけでも、それは賞賛されることだが、その技術の再生を久保田さんは伝統の枠内の小事件として留めることなく、その成功を機に「和装」文化の改革という領域まで踏み込みはじめた。それは先駆的な実験性あふれる行為だった。だから、久保田さん自身、積極的に自ら広告塔になって公の場に出て行った。海外への公事も多かった。「辻が花」を展示するイベントは繰り返し行なわれ、その会場にも顔をみせていた。そうした場で描かれた図録への署名が実に多い。筆者の手元に流れ着き、そして送り出した、そうした署名図録はゆうに20冊は超えると思う。
 そして、そのいずれもが中扉見開き余白いっぱいに金また銀メタル色での、竹を簡略に象徴化し、みずからの「一竹」の竹に見立てるという署名(図)であった。黒ではなく金ないし銀色を選ばれたのは、図録という特殊性だと思う。中扉または見返しの色、紙質が通常の単行本より紙厚があり、色も多用であるからだ。
 それはすでに手馴れたもので、いずれも流麗で停滞のない筆の運びである。これを受け取ったファンは実にありがたい思いを抱いただろう。「和装」文化におおきな波動をあたえたいと思っていた久保田さんは、署名ひとつも考慮した。時間は掛けられないが、しかし、「心」は伝えようとした結果、「竹」図をあしらった署名となっていったのだろう。
 染織をなりわりとした人で、これだけ多くの署名本を残し人は久保田さんをいて存在しないし、その目立たずカウントもされない記録は今後も容易なことでは破られることはないだろう。それほど多くの「竹」図署名本は巷間にあふれている。

署名アラカルト №10~11 野坂参三、宮本顕治

 野坂参三(1982~1993)
野坂
日本共産党の顔でありつづけた人だ。だから共産党本部は東京の選挙区を割り当て連続当選を死守してきた。そんな顔であった政治家を、1992年、野坂100歳になってから、政党としてもっとも重い処分、除名に処した。93年、101歳で死去した際も、参議院は在籍25年議員ということで弔詞を捧げようとしたが、それに共産党は反対したのだった。理由は、「ソ連のスパイ」であったからで、野坂自身も「残念ながら事実」と認めた。一説には、米国のスパイでもあったとも言われる。
 写真の署名は1984年、共産党名誉議長であった当時に書き下ろされた著書『北に南に』に記されたものだ。墨書に書きなれた筆で記されたもので、そこにいささかのわだかまりの気配もない。この時、野 坂はソ連が崩壊し、さまざまな公文書が公けにされ、自身の記録まで暴露されることになることなど露ほども思っていなかっただろう。そして、自らの高齢を思えば後はただ戦後政治におおきな痕跡を残した政治家として大往生するときを静穏に待っていればよいという日々であったろう。署名はそんな日の余禄のような些事であったろう。
 政治家は自分の痕跡を遺したいものらしいし、共産党もまた党への財政に寄与してくれるよう、一定部数、しかも無条件で購入しようという党員は少なくないはずで、堅実に部数が捌ける名誉議長の回顧録をもとめたりしただろう。101歳のコミニュストなんて、どうもピンと来ない。長命もけっして良いことばかりではない。けっきょく晩節を汚したことになってしまった。そして、恥じ入ったかどうかはしらないが多くのナゾを抱えたまま去った。
 
 スターリン時代のモスクワにあって、日本人コミュ ニストを売った。裏切った。それも自ら認めた。生き延びるために友を裏切った。そんなことも明らかになった。そうした自らだけが知ると思っていた歴史的事実を胸にだきつづけ、それも自ら、「かつて、そんなこともあったかもしれない」という靄がかかりはじめたころに書かれた署名だろう。そういう人間の闇の不可思議さを署名から汲みとめられないだろうか。署名の筆跡はいがいと若々しい気配がする。いわゆる老成といった枯淡の境地にはいたっていないところが生涯コミニュストであろうとした野坂の真骨頂かもしれない。

 宮本顕治(1908~2007)
 宮本
 野坂とともに昭和を駆け抜け、共産党のもうひとつの顔であった宮本顕治。その70代に著した著作におけるサインペンの署名もまた若い。
 文芸評論家として小林秀雄と同時代に文 壇に登場した宮本の出自が象徴されているような、原稿のマス目に似合いそうな字体である。これもキビキビと若い。宮本は野坂のように晩節を汚すことなく不破哲三時代の地ならしをしたといえる。 その不破の署名もまた政治家らしくない気配のするもので、ある意味ぞんざいなものだった。
 自民党の諸先生方は総じて達筆立派である。その立派さと業績が比例するわけではないが、墨痕鮮やかな署名が多い気がする。民主党の管直人という政治家の署名も首相になる前から、署名だけはそれは立派なものだった。それは権柄ずくという感じであんまり良い感じのするものではなかった。

署名アラカルト №9 ソン・ギジョン(孫基禎) ’ベルリン五輪マラソン金メダリスト

署名アラカルト №9 ソン・ギジョン
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 時どき思いがけない署名(本)が入る。この連載では主たる興味として個性的な署名しか扱わないので、まっとうな筆跡署名は取り上げない。その意味では、ソン・ギジョン氏の署名は元来、本連載に馴染まないかも知れない。しかし、ハングルでソン・ギジョンと記されているのではなく、漢字で「孫基禎」と記されていることに拘(こだわ)ってみた。
 朝鮮が日本の植民地であった時期、ナチのオリンピックとわれた1936年ベルリン大会に「日本代表」として参加したソン選手は、マラソン競技で日本に金メダルをもたらした。
 母語・母字としてのハングルを奪われていた時代、ソン選手の優勝は朝鮮民族におおきな励ましとなったことはいうまでもない。そして、当時ソウルで民族新聞を自任していた「東亜日報」は、表彰台のソン選手のランニングシャツにあった日章旗を白く塗りつぶした写真を掲載した。それは朝鮮総督府の統治に対する抵抗、「独立」活動として弾圧された。同新聞の関係者は逮捕され、新聞は停刊された。
 ここに掲げた署名は、1988年、ソウル五輪を前に自ら書き下ろした自伝『ああ月桂冠に涙』に添付されていた写真にあったものだ。日本での発売の際、関係者に贈呈したと思われる同書に添えられたものだ。ハングルではなく、「孫基禎」という滑らかな署名である。解放後、ソン氏はハングルでの生活に戻ったわけだが、日本で書かれたであろう署名は漢字であった。そのことの意味をさまざまに解釈できるだろうが、ソン氏の思いに届くわけではない。

署名アラカルト №8 長野まゆみ 自作慈愛的創作型

署名アラカルト №8  
 長野まゆみ  自作慈愛的創作型 
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 現代の作家のなかで、長野まゆみさんほど自作を脱稿後も慈しんでいるひとはいないと思う。
 否、創作に携わる才能は皆それぞれのやりかたで愛でいるはずだろう。しかし、慈愛の発露には明白な相違がある。長野さんの場合はそれがより具体的なかたちで示す、象徴するという意味で右に出る作家はいないと思う。
 長野さんは一作毎にかならず自前で「雅印」を創作する。そして、その「雅印」を他著に流用しない。筆者がみた限り流用例は確認されていない。
 便宜上、「雅印」と書いたが、創作的な小口版画といえるものだと思う。
 それぞれの作品、物語の内容に即して、長野さんてづくりの「雅印」が刻まれる。
 それを二色以上の色を用いて捺(しる)す。二色というより、それなりに多くの本に捺すわけだから手間かけるのは大変。だから、長野さんが使用しているのはJC,JKのおんなの子たちのように品揃えの多い、おしゃれ文房具屋さんに行ってグラデーション型のスタンプ台をみつけ、それを使っている印象だ。それもメタリック顔料のものを使う。その色にあわせてローマ字筆記体で署名を記す。その意味では長野さんの新作が出るたびに、次はどんな工夫があるのかと楽しみなわけだが、彼女の描く世界にさほど共感を覚えないわが身であるから、ついでの際に確認するぐらいだ。
 写真の署名は、『千年王子』の扉にあるものだが、この作品も筆者はすんなり入っていけない世界。長野さんのファンタジーは人工的な機密空間、湿度の少ない乾いたセラミックの枠のなかで展開されているようで、そこに登場する「人物」もよくできたフェギアに人工頭脳が嵌め込まれた印象だ。ナチュラル感が希薄なのだ。本書の「王子」に敬意を表して、左の紋様が王家のエスクード(紋章)を象徴しているようだ。
 同時代のファンタジー作家といえば、筆者の好きな作家に上橋菜穂子さんがいる。上橋さんの世界には土の匂いがある。緑のそよぎがある。それがわたしには好ましい。そこでは人は傷つき、血の生臭い気配もあるし、傷は膿み、ただれることも受け入れる。 しかし、長野さんの人間は血を流しても、生臭い匂いは感じられず、膿も生じない、という感じだ。その意味では現実生活に疲れた読者には逃避のオアシスなのかも知れない。長野ワールドを溺愛する読者は現実からの遊離感を求める人たちなのかもしれない。読書しているあいだは異次元にワープしていられるだろう。日常的な重力のない世界を描けるというのも、また才能だ。
 地から浮かぶ遊離感に浸りたいと思う読者には至福の時間だろう。そして、そんな読者に支えられて長野さんは堅実な世界を次々と編んでゆく。それも小説のおおきな効用である。

署名アラカルト №7 猪瀬直樹

自尊的渇墨型 
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 前都知事氏である。もちろん猪瀬氏の名を高らしめたのは著述家としての旺盛な活動だ。その知名度と前々都知事にして作家の石原慎太郎氏の後任者として1200万都民の代表となったわけだが、金の問題で失脚してしまった。
 猪瀬氏をついだのが現在の舛添要一現知事である。1995年に就任した俳優にして直木賞作家の青島幸男氏からはじまる都知事=著述業の系譜となる。舛添氏を学者とするむきもあろうが、学際的業績は客観的にみてたいしたことはない。舛添現知事の署名もまったく無個性でぞんざいで、署名に対する自愛感は希薄。事務的なものだ。
 その点、慎太郎氏の署名は“暴走老人”には似合わない大変、格調のあるもので凛とした気配がある。おそらく『太陽の季節』でデビュー した当時は、まったく違った筆だったのだろうが、政治家となってからの署名を見る限り年齢、作家としての自信がくる風格を感じさせる。面白いのは弟裕次郎さんの晩年の署名もなかなか立派なもので、兄慎太郎氏と似ている。

 さて猪瀬氏。書でいうところの渇筆での署名。目にする限り、氏の署名はほぼこの渇筆大書型だ。揺るぎない。
 都副知事になってからも著作はあったが、『ミカドの肖像』『土地の神話』、あるいは『ペルソナ~三島由紀夫伝』などを書いていた時期の仕事と比べると、行政官としての仕事に時間が割かれる分、密度が薄くなっているように思う。
 『ペルソナ』は三島自死後、出された評伝のなかで、もっとも優れた著作のひとつだろう。猪瀬氏の調査にかける網の掛け方、捕捉の手法、緻密さに関心させる力作であった。三島に近かった人たちの情緒過多の類書に比べて、その渇 きの客観性に説得力があった。都知事職を辞してから数年、また渇筆、大書の力作をみたいものである。その署名に一時は1200万都民を率いた権能者の余韻といったものがのこっているだろうか? 

署名アラカルト 6 アルドル的創作型 本谷有希子

署名アラカルト 6 アイドル的創作型
本谷

 今次芥川賞を受賞したということで、まずはおめでとう、との祝賀を兼ねて。
 ペンネームがひらがななら、まぁ、こんな署名もありだが、「本谷有希子」というペンネームであれば署名は必然的に創作型となる。
 「もとや」という下さがりの曲線が、「ゆきこ」の文字に重ねあわされ互いに融合している署名である。これは筆者、なかなかの工夫とおおいに悦にいっているものだと思う。たぶん、しばらくはささやかに悦に酔いながらしばらく、この署名を書きつづけるのだろう。
 今回は、あえて献呈先の名前の入った署名を選んだ。「鈴木サン」ということだからプライバシーの侵害にはなるまい。鈴木さんは、たしか日本で2番目に多い苗字であったし、わたしの可愛いガールフレンドのひとりも「鈴木ちゃん」だ。しかし、この「鈴木サン」、この署名本を手放したのだろうか? もしかしたら、芥川賞作家となったことを知って、処分するんじゃなかったとか思っているのではないだろうか? 本はこうして経巡り、本書は愛知県瀬戸市に住む方へと流れてゆくはずだ。一時的に私の手元にあった。『あの子の考えることは変』という中篇小説本なのだが、手元に滞在中、1時間足らずで読みきれた。若い女の子のつぶやきがそのまま表題となった中篇小説は、地方から東京に出てきて一人暮しをする若い女の子の「孤独」をいまどきの言葉づかい、小道具類多用して描いた一種の都会風俗小説。「孤独」と書いたが、この時代の若い子たちの孤独はけっこう猥雑で喧騒もあり、乱雑で多弁でもある色彩のなかに埋もれている。孤独は哲学の領域ではなく世相の範疇だといった気配があり、結末の死の気配も唐突に訪れる。たぶん、ある年代から上の人には、その「死の気配」も感じられないと思われるフレーズで進行する。というより、そもそも中高年はこの小説を手にしても、すぐ視線は停滞し、読了適わずになると思われる。
 私も立派な高齢者ではあるけれど、40歳年下の「鈴木ちゃん」のお陰で、こんな小説にもついていける“教育”をされた。芥川賞作品はまだ読んでいないが、まずは「鈴木ちゃん」の感想を聞いてから読むことにしよう。

署名アラカルト №5 挑発的含意型  柳美里

挑発的含意型  柳美里
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 個性的な署名を紹介するコーナーなのに柳女史のそれは誰が読んでも容易に「柳美里」と判読できる。
 そう、文字自体には取り立てていうほどのことはない。けれど、このひと、自著に署名するさい一筆目を必ず上部、裁断されたすぐ下から書き込む。すると必然、文字の配置、レイアウトは細長で書き下す筆でなければ必然、大書となる。そう、いつも余白をめい一杯つかうのである。署名における『隙間恐怖的空間忌避症』的である。そういう署名はしかし、珍しくないのである。
 柳女史の署名は“症状”といったものではないが自己顕示欲というものを感じはする。大書のわりには破調がないぶん結構、神経質な気配がある。
 柳女史が繰り返し書くテーマは家族、在日二世の自分の家族を赤裸々に描き、自身の恋愛問題もためらわず抉る、いわゆる女流として稀有(けう)な私小説家的作風である。でも、この人の描く「私」は瀬戸内晴美(寂聴)さんや宇野千代さんのようなカラリと乾いたところがないし、田辺聖子さんの旦那さんモノのようなユーモア精神も無縁。突き放してはみていない。陰気で、じめついている。そして、署名はそんな小説を、これから読もうとする読者に向かって、なにやら挑発しているような気配すら感じる。なにがしかの底意の気配が。そういう意味では物言う意味深長な署名である。

署名アラカルト その4 日野原重明

その4
 硬軟的教祖型 日野原重明
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 いわずと知れた日野原流老生教開祖の署名である。本業は聖路加国際病院理事長・名誉医院長、だが東京・築地の同院へ親しく通院できるひとは圧倒的に少ないので、日野原流老生教の公布、宣教活動は講演、そして視力の弱った高齢者の目にやさしい大きめ活字による本の大量頒布によって行なわれる。ときどきテレビでお茶の間に語りかけることも厭わない。過日、みた「徹子の部屋」であったか、「私は東京オリンピックまで予定がびっしりだ」と乾いた口調で豪語されていた。2020年ということは109歳ということになる。率直に頭が下がる。

 もう5~6年前のことになるが、都内のマスコミ用試写室で偶然、隣席したことがあった。秘書とか、あるいは付き人といった人もなく、飄々と入ってきて、映画がはじまって約30分ほどして、ツッと立ち上がり、「つまらん映画だ」との判断か、スッと席を離れ、飄々と立ち去った。音もなく入ってきて、音もたてず消えてしまった。痩身で小さな人だから床に加わる重力も少ない。歩行の摺り音も吸収されてしまった感じだった。いま、指折って数えてみると99歳の日野原さんとなるだろうか。

 この人にはどうも「翁」という文字ほど縁遠い人はいない。白衣に聴診器を下げた教祖は、生涯、医業も現役でなければいけないようだ。そして、それを少しも苦にしていていないところはもはや“人間国宝”。健康・明晰を後光とした教祖は無敵である。
 署名は能書の部類に入るだろう。しかし、日野原さんの署名と知らず、差し出されて判読容易なのは「原」の一字だけだろう。「日」などは野牛の両角にしかみえないが、全体のトーンは長調で快活である。自信と確信に満ちている。教祖でも自ら体現している実践性の裏打ちがある。
 「かくありたい」と思う高齢者にとって日野原さんの署名はありがたい“御札”“御守”のようなものに違いない。
プロフィール

上野清士

Author:上野清士
店長の最新著書

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